第65話:歪曲拳
この世界には二種類の人間がいる。
魔法を使える人間と、使えない人間だ。神通力の気配を察知できない人間が後者である事は既に述べた。
暗殺者クライド・クライダルは後者の人間である。
ならば何故暗殺者として成功できたのか。暗殺対象には、当然魔術師も含まれている。
魔術師を暗殺するには、暗殺術だけでは足りない。勝てるには勝てるが、百戦百勝の境地には程遠い。
このままではいつか、しくじる。
暗殺業でしくじると言う事は、即ち死を意味する。
そう考えたクライドが、幼い時分から研究していたモノ。それが……。
***
クライドの次の一手は、一本拳で軽くダヴールの右腕を突いただけであった。
素早い動きだった。何をされたか理解される頃には、左腕にも同様の行為をされる。
「確かに素早さはあるが、こんな軽い攻撃ではどうしようもないぞ」
ダヴールの言葉に耳を貸さず、両脚を素早く突いた。
もはや防御の必要すら無い、ノーダメージの軽い打撃。
「だからそんなものは……」
「シッ!」
いきなり懐に踏み込んだかと思うと、一本拳で腹を突いた。
「ふむ、最後のは中々だったが……」
対顔面打撃用である中高一本拳を、中段への攻撃に使うのは愚策である。
計五発打ちこまれたものの、ダヴールは一切ダメージを負わなかった。
「終わりにしてやろう、クライドよ」
左の掌をクライドに向けた。フィニッシュの炎魔法を浴びせる気である。
そのアクションを見て、クライドがニヤリと笑う。
掲げた掌からは、何も出てこない。
処刑前の猶予期間なのかと観衆は思った。溜めが必要な大魔法の前触れなのかと観衆は思った。
そうではない。出せないのだ。
「クライド、貴様……」
「その通り。貯蔵庫から四肢まで、神通力の通り道を塞がせて貰った」
暗殺者が、魔術師に対抗する術……それがこの整体術である。
神通力は、キャッチした後体内の臓器に貯蔵されるが、それを体外に放出するには決まった通り道である魔術回路――血管と同じ様な管――を通らなければならない。
その通り道を、整体術で歪曲させて塞いだ。先のダメージの少ない五発は、体の筋を歪曲させるための打撃だったのである。
「これで、あなたは毒に侵されたただの人だ」
クライドは地に捨てられたククリナイフを持ち直し、ダヴールに攻まる。ダヴールの解毒は、まだ完全に済んではいない。
ダヴールは盾を構える。
「遅いんだよ、『人間』!」
クライドのスピードは、参加者の中では竜騎士ショウの次に速い。
ダヴールが盾で守れるのは正面だけ。超スピードで側面に回られ、切り刻まれる。
これでは素手対ナイフで戦っている様なもの。当然、素手が不利だ。
先程までは、盾で弾けない範囲の攻撃は神通力で防げていた。しかし今はその神通力が、四肢に届かない。致命傷は避けているが、徐々に皮膚を切り刻まれていく。
「毒で死なないのであれば、このまま最後まで切り刻むだけだ」
「……」
「おっ」
ダヴールは万策尽きたか、盾をクライドに向けて投げ捨てた。
当然当たらない。正面の防御を金繰り捨てたダヴールに、クライドはここぞとばかりに襲い掛かる。
――終わりだ。動脈を切裂いて失血死させてやる!
首筋目がけて飛ぶ刃は、一回戦の様に死をまき散らすかに思われた。
しかし銀色の線が空を切る。
今まで躱せなかったものが、目の前の大男に躱された。
まぐれかと思った。ヤマを張ってえいや!で避けたのかと思った。
しかし二発目も、三発目四発目のコンビネーションも、全て空を切る。
「馬鹿な、あんたに何故そんな動きができる!?」
「ナイフ相手ってのは、盾を持ったままの動きでは遅すぎるらしいのでな」
「まさか……」
体術のスピードを、一段階挙げたのだ。そしてこれがダヴールの本来の体術レベルであった。
そして遂に、毒から完全に回復したらしかった。
「タイムアップだ、クライド」
「うおおッ!」
選択肢はもう一つしかない。ナイフで胴体を突きにいくクライド。
ナイフ術で最も怖いのがこの体ごとの突進である。素人にも簡単にできる単純にして最強の技だ。
相手を殺す事に特化した技である。
一撃だけ強烈な反撃を喰らう事を条件に、魔人の命を取りに行く!
だが、そのナイフは……。
「痛いぞ、クライド」
「す、素手で……」
右手でナイフが握られていた。通常なら、指の神経を傷つけかねない危険すぎる行為……。
だが、ダヴールの岩の様な皮膚は、その限りではなかった。
「コォォ!」
「ふぶっ」
そしてクライドが覚悟した、強烈な一撃が肋骨にお見舞いされた。
メキメキと、ブチブチと。折れる音が戦意を萎えさせる。
くの字に折れ曲がったクライドの体は、そのまま吹っ飛ぶ。
「ハァハァ……」
観客席まで放物線を描いて飛んだクライド。観客に介抱されて立ち上がる。
肋骨は二本折れている。もはや戦う事は不可能なダメージに思えた。
「続けるのか。クライド」
「いや、終わりにするさ……こいつでな!」
小銃であった。介抱してくれた観客は、暗殺業の仲間である。
入場検査では勿論持ち込めない武器も、ヒューマンネットワークで闘技場に持って入る事が可能なのだ。
「この距離、避けられまい!」
神通力を塞いだ。生身の体で、銃を防ぐ事はできない!
発砲音が鳴り響き、瞬く間に銃弾はダヴールの体に届いた。
目に写るその結果に、クライドは脱力した。
「どういう、事なんだ……?」
ダヴールは、銃弾を手で掴んでいる。神通力は使っていない。生身で銃弾を掴んでいる。
神通力を使えなければ、銃で撃たれれば人は死ぬ。人間の常識では、有り得ない結果だった。
それを見ていた蒼も、クライドと同じ感想を持つ。
――人間では、ないのか!?
リリィも驚く。彼女も一回戦で銃弾キャッチの離れ業を見せたが、あれは神通力あっての事である。
生身の人間が、貫かれずに銃弾をキャッチするなど有り得ない。有ってはならない。
会場全体がその事実に凍り付いた。ニコニコしているのは、もはや戦闘神トーレスのみである。
そしてキャッチされた銃弾が、投擲でクライドの瞼に帰って来る。
「ぐっ!?」
その目つぶしの間に、その巨体では信じられないスピードでダヴールが間を詰め……。
クライドのガードの上から、右拳を見舞った。
顎がズれ、歯の軋む音がする。
「俺……は……殺し……神」
「暗殺業ならではの手練手管。見事だったぞクライド」
グッタリとダウンするクライドに、立ち上がる力は残っていなかった。
決着の裁定が下る。
「勝者、ダヴール・アウエルシュテット! 準決勝進出ゥ!」
歓声の中で、気絶寸前のクライドにダヴールが耳打ちする。
「聴こえるか、クライド……」
「ふぅ、ふぅ……」
虫の息の暗殺者の耳に、意外な一言が舞い込んだ。
「四年前の仕事を、もう一度頼みたい」




