第62話:カウントダウン
「いつかやるとは思ってたけど、まさか本当にやるとは……流石はプロの暗殺者」
クライドの場外戦には、魔女リリィもあんぐりである。
仮に試合開始前も含めて「序盤戦」と呼ぶなら、この試合の序盤は完全にクライドが制していた。
大差をつけられたダヴールは、ここからまずイーブンと呼べる地点まで挽回しなくてはならない。
「恐れ入ったぞ。あのタイミングで不意打ちとは、普通は出来ないぞ」
「褒め言葉と受け取っておこう。あんたは日常生活の方が隙が少ないタイプだ。仕掛けるなら、試合開始直前しかないと思ったんでね」
「ああ、褒めている。その発想に辿り着いた事に。自分を『格下』と認めたからこその行動だ。そうだろう?」
「……」
舌戦を仕掛けるのには理由がある。銃弾のダメージがまだ抜けていない為だ。
神通力でガードしている際には、どんな攻撃も打撃技の様な感触になる。故に今、ダヴールの脚には鈍痛が奔っているのだ。
最初の苦無で刺された場所も痛みがあるが、正直これは気にしていなかった。
「それにしても久しぶりですな、ダヴールの旦那」
意外にも、今度はクライドの方から会話を仕掛けて来た。せっかく序盤を有利に持って行ったクライドから、である。
「まさか、かつての依頼人と殺し合う事になるとは思いませんでしたよ」
「大昔の話だ」
「いえ最近ですよ。あの時から、たったの四年しか経っていないのだから」
クライドは喋りながら、ダヴールの周りをまわり出す。ダヴールも、背後を取らせない様に正対を保つ。
双方が、隙を見せるのを待っているのだと観客は解釈し、いつか来る激突に向けて緊張する。
しかし、その時が一向に来ない。ダメージの回復を狙うダヴールが仕掛けないのは道理だ。
だが溜め込んだダメージを元手に、リードを広げなければならないクライドの方が何故か、仕掛けない。
「妙ね……」
「リリィさんもそう思います?」
「うわっ!? アオイ、あんたいつからそこに!?」
愛犬と共に現れた蒼は、闘技場の二人を観察していた。動きではない、目を観察していた。
「クライドさん、もしかして……」
「何よ」
「もう、何かしてる?」
「何かって?」
蒼が首を振る。何か、までは分からないがクライドが待っているのには理由がある。
時間が立てば、彼が有利になる何かが……。
そして、ダヴールは決断する。どうやら自分から動かなければならない様だと悟った。
「まずはその鬱陶しい動きを止めさせて貰おう」
「できますかな? 旦那」
「わけはない」
ダヴールはクライドの進行方向に火壁を放ち、動きを制限する。
と同時に、自分は逆側に飛んだ。袋のネズミ状態になったと思われたクライドだったが……。
「そうは行きませんねぇ」
連続バック転で遥か後方まで距離を取るクライド。この呆れる運動能力の持ち主が38歳だと言うのだから、世の中いくらでも化物はいるものなのだと、観客は思い知らされる。
そしてここまで露骨に逃げるクライドに対して、観客がブーイングを始める。
「チョロチョロ動き回ってんじゃねぇぞお!」
「お前から攻めろよ、クソ暗殺者!」
二人の観客が、盛んに罵声を浴びせている。クライドは一瞬動きを止めて、その二人を睨みつけた。
「うっ、おっ、な、何だよ! 試合中だろ!」
「一回戦と違って観客殺したら失格だぞ! ざまあみろ」
クライドはニヤリと笑うと、何かを諳んじ始めた。
「ネビロス・クラムチャウダー、41歳。銀行員。家族構成は妻一人に子供が二人、男と女が一人ずつ……おっと妹もいたか」
「なっ!?」
「ベリアル・ベルベット、44歳。風俗店員。家族構成は妻が一人、子供はいないが故に金が浮いており愛人多数。現在妻が暗殺者クライド・クライダルへの見積もり依頼中……」
「な、何だとォ!?」
クライドの暗唱が意味する事を理解すると、二人の中年は口を紡いでしまった。
――お前らなど、いつでも殺せる。
世界一怖い音読で、ブーイングを一蹴してしまったクライド。それをジッと見ていたダヴール。
「隙を見せたつもりだったのですが」
「罠、だったのだろう。分かっているのだぞ」
「流石、旦那だ。けど、今の今まで攻め手を緩めたのは失策でしたね」
クライドが右手をパーに開き、五本の指を折り曲げ始める。
何かのカウントダウンである事は、察しの良い人間なら気づく。
「5、4、3……」
慎重派のダヴールは、そのわざとらしいカウントダウンをブラフだと考えている。この期に及んでも、動かない。
「2、1……0」
「むっ!?」
だが、それは起こった。ダヴールの見ている地平線が、歪み始める。
気が付けば、ダヴールは膝を地面についていた。
「これは何だ……?」
「予定より長かったですが」
接近戦を避けて来たクライドが、自信満々にダヴールの足元に立つ。
「時間切だ、ダヴール・アウエルシュテット」




