第61話:突発
「痛ぇぇ……くそ、見事に持ってかれたなぁ……小指」
通路まで戻って来た学を、骨折の痛みが襲う。
如何に慣れている格闘家でも、痛いものは痛いのだ。本当は七転八倒するほど痛いのだ。
「お疲れさん」
「ああ、リリィさん。役に立ちましたよ」
「そりゃ良かった。けどそのダメージ、結構大きいようね」
学は指を押さえていた逆の手を離す。ノーダメージのアピールだ。
しかし実際は小指の骨折だけでなく体中に軽度の裂傷、そして右耳の破損。
種類の違う痛みを多数抱えていた。
「……こんなのは、怪我の内に入りませんよ」
「ふぅん、カッコイイ事言うじゃん」
やせ我慢であった。
人前で弱みを見せないのは、武道家という生き物の習性である。
相手がリリィだったとしても、隙を見せたくは無かった。
しかし魔女にはやせ我慢を見抜かれている。
リリィは近づくと、頬にできた真一文字の傷をそっと撫でる。流石にこれは我慢できなかった。
「痛い痛い」
「あ、ごめん……ホー君、ビジュアルだいぶ変わったわね」
「耳も飛ばされましたしね。鏡を見るのが恐いです」
「気にする事ないよ。私は、今の方が好きだし」
「……」
「医務室行ってきなよ。傷口から黴菌入る前に」
「言われなくても、そのつもりですよ。それじゃ」
会話を切り上げたのは、リリィの気遣いであった。一人になった学は、ようやく壁にもたれ掛って患部を押さえる。
指の骨折は二つの意味で痛い。一つは投げ・掴みのバリエーションが減ったり、そもそも突きが打てなくなるという痛さ。もう一つは……。
――声には出さないが……痛ぇぇぇ!!
単純な痛みである。
***
「あああ……何で勝っちゃうんだよう、学さんよう」
蒼はまだ頭を抱えている。蒼の足元に学が転がる光景が、何度もフラッシュバックしているのだ。
――殺すのは、嫌だ。嫌だけど……。
「ヤツに負けて欲しかったのか?」
ダヴールが問う。蒼とは初めての対話だが、不思議とお互い緊張していなかった。
「ええ、負けて欲しかった。あの人と私がやったら、私が勝って……きっと、殺してしまうから」
先程の学の戦いを見てなお、そう言いきれる蒼。対するダヴールは驚いた表情すら見せない。
「確かにな。ヤツと君では、君の方が強いだろう」
「え?」
「君にはまだ『それ』が残っている。よく温存したまま準決勝まで進めたな? 大したものだ」
「何の事だか、さっぱりですね」
蒼は白を切る。ダヴールは確信を持って喋っているが、99%の疑惑を100%にしてしまうほど蒼は馬鹿ではない。
「まあいいさ。殺さない様にするには、完封してしまえば良い。君の『それ』なら、できるのではないかな?」
「……」
「決勝で、待っているよ」
そう言うとダヴールは、自分の試合の準備へ向かった。
蒼は、誰もいない闘技場のど真ん中を、じっと睨み続けていた。
――使うしか、ないのか。
***
蒼と別れたダヴールは、自分の試合のため西側の通路を歩いていた。
「法龍院学に、織原蒼、か……まさか、二人も来るとはな」
ストレッチもせず、そのまま直で試合場へ向かう。
その通路の前半で、天井の通気口から、音がする。
その音を認識した時、腕に苦無が刺さっていた。
「……クライド・クライダルか!」
ダヴールは苦無を取り払って、天井へ投げる。
しかしクライドは既にそこにはいなかった。ダヴールは背後へ裏拳を放つ。
クライドはそこにいた。
「おのれ!」
この距離では魔法もクソもない。組手が始まる。
ナイフの鋭い切先が舞う。ダヴールの腕に、無数の擦過傷を作っていく。
しかし、擦過傷止まりである。ダヴールの横蹴りで、今度はクライドが吹っ飛ぶ。
その瞬間に、銃声が鳴り響く。
「ぬぅぅ!」
ダヴールの左脚に、銃弾がヒットした。神通力のガードにより貫通まではしていないが、不意打ち故にダメージが残る。フットワークが、思う様にいかない。
クライドはピストルを投げ捨てる。
「ぬん!」
ダヴールは火壁で、クライドを吹っ飛ばした。
そしてその勢いのまま、闘技場に転がり込んで来る二人。
観客が気づくのに五秒かかった後、場内は騒然とした。
「なんだぁ!?」
「魔人と暗殺者……もう戦ってる!?」
「場外で戦ってたんだ!」
戦闘神は笑っていた。この様子では、ルール違反で失格の線は薄い様だ。
クライドは武器検査を終えている。「闘技場には」ククリナイフ一本しか持ち込んでいない。
彼はいたって真面目であった。ダヴールに勝つために、真面目にこの作戦を考えたのだ。
「あんた相手には、このくらいは必要だ。まだ生温かったと思うくらいだ」
「……分かっているじゃないか、クライド」
「レ、レディゴーーー!」
今更すぎる合図で、波乱の第三試合が始まった。




