第49話:美味しさ雷級
学は目覚めると、自分の目から涙が零れている事に気づく。
「また、あの夢か……」
父と母が目の前で殺される夢。幼い時分に見た光景が、今も焼き付いて離れない。
忘れたい記憶ほど、忘れられないのが人間の不具合だ。
もうひと眠りして忘れてしまおうと、枕に顔を押し付ける。そしてその感触から、それが枕でなく、女性の乳房である事に気づいた。
まだ夢の中なのかと思い、手で数度揉むと柔らかく、安心させる感触が掌に伝わり、広がっていく。まるで、母親の様な……。
「んん……」
「えっ」
リリィの呻き声で、現実に戻る。自分がリリィに密着していて、リリィが自分を抱き締めていて、なおかつそれが夢でない事を悟った。
「うぉぉおおお!?」
「えっ、何!? うひょあああ!?」
二人は同時に距離を取り、次の瞬間には正拳と杖突がぶつかり合った。
***
「おーい、どっちか仕掛けろよ!」
「動かないな、二人とも」
蒼とトーマスは、試合開始から3分。ピクリとも動かなかった。観客がインスタント食品の蓋を開けている。
蒼からしてみれば、トーマスの装備が昨日と全く違うのだから様子を見るしかない。今まで集めて来た対トーマスの情報が完全に無に帰した今、攻勢に出る前に情報を少しでも集めたいのだ。
だが、それが失策だと悟ったのは数分後。
「あー、やられた」
「うん、どうやら神通力が消滅したらしいなァ。アオイちゃん」
トーマスがニヤつきながら(と言ってもフルフェイスヘルメットで表情は見えない)勝ち誇る。
蒼の神通力の保持時間はそこまで長くない。持って3,4分である。昨日の試合の反省を活かし、事前に詠唱を行っていた蒼だったが、様子見に徹しすぎて神通力を失ってしまった。
トーマスの作戦勝ちである。
「それを待っていたよ!」
ここぞとばかりに距離を詰めるトーマス。やはり機能の装具より、動きが良くなっている。蒼は後方に距離を取ろうとするが、所詮前進の方が早い。すぐに間合いに踏み込まれてしまった。
「コマンド0xDE! ナックルアロー!」
振りかぶって加速度をつけた鉄拳が、弧を描いて蒼に襲い掛かる。
しかし蒼には予知がある。これを後転でギリギリ回避すると、壁伝いに距離を取る。
「土神様、哀れな蒼ちゃんにお慈悲を! えい!」
「おっ!?」
蒼は最も少ない神通力を必要とする技、土魔法第弐式でトーマスの足元を崩す。
堪らず転んだトーマスが地に伏せると、一気にバックステップで距離を取り、今度は長い詠唱を始める。
「天にまします土神様よ、我卑しくも魔術師なり。その崇高な神通力の一端を、どうか我にお与えくださります様、お願い奉ります」
立ち上がったトーマスに対し、蒼は十分に距離を取れており、かつ魔力の補充を終えている状況であった。
――これなら、七式が撃てる!
蒼が土魔法第七式の反動に備えるため、腰を落として両手を胸前に重ねた、その時である。
突然の光波により、蒼の体が痺れる。二、三歩たたらを踏んで、蒼が尻餅をつく。
「え、あれ?」
倒れ込む蒼には、何が起こったか理解が追いつかない。その電光石火の前では、予知能力で察知する暇もなかったのだ。
しかし、文字通り客観的に試合を見れる観客は、何が起こったか気づいていた。
「か、雷魔法だ……あの鎧の中から撃ちやがった」
「あの鎧を動かすだけじゃなくて、出力もできるのかよ!?」
全開の鎧は、鎧を脱がなくては雷魔法を使えなかった。
しかし今回の鎧、『ブラックサンダー』は手甲の部分から雷魔法を射出できる設計になっていた。加えて名前も美味しそうと来ている。
「さて、早目の決着といこうか?」
「え、ちょっ、まだ痺れてるのに!」
立てない蒼に向かって、猛然とトーマスが走り込んで来る。織原蒼、絶体絶命である。




