第43話:嘆願
魔王の左目は、負傷はしたが視力は保っていた。それを餌に、勇者が死角と思い込んで攻めてくるのを待っていたのだ。そして満を持しての暗魔法が、勇者に炸裂する。
「あぐぅぅ!」
突き刺さる闇の剣。あの闇籠を放ってなお、魔王は神通力を残していた。
つまり、魔王が詠唱を行っていた事。それ自体がブラフだと言う事実に、勇者はワンテンポ遅れて気づいたのだ。
そう、自分達が死の恐怖を感じたあの魔王の無尽蔵の神通力は、全くもって失われていなかった。
勇者の腿に闇棘が刺さる。
「くおっ」
続けざまにもう一本。
「ぬぐああ!!」
観客も悲鳴をあげる。グロテスク化したルネサンスの足は、もはや使い物にならない。
それでも彼は考える。この状況を打開する逆転手はないか、頭を回転させる。
しかし、自分を生かす手は考え付かなかった。
その間に、腕や腹に闇棘が刺されていく。
じわじわとなぶり殺しにするつもりなのか。もはや、心臓に突き刺さるのも時間の問題である。
勝てないのか。
その絶望の中で、微かに二筋の光がよぎった。
「……リリィ」
ボソリとその名を呟く。その通り、魔女リリィと二人掛かりなら可能性はある。
魔王討伐など、どだい一人では無理だったのだ。ルネサンスは観客席を探す。
「私はここよ」
コーナーにリリィがいる。縋りつく様な目を見る『勇者』を見て、彼女の胸に去来した感情は何か。
哀れみか。失望か。嫌悪か。
そのどれでもない。彼女は、ただただ悔しかった。そこに立っているのが、彼でなく自分であったなら。彼は死ななくて済んだかもしれない。
そう、彼女は『彼を助ける事はできない』。
「勇者ルネサンス。魔女リリィよ」
トーレスの低く鋭い声が響く。勇者は震える体で戦闘神に振り返った。
「第五試合の後に申したはずだ。今後の試合において、対戦者同士以外の者を傷付けぬ事、および対戦者同士の者を闘技場に降ろさぬ事。これらの法を犯した者は失格と厳罰。例外は無いぞ」
「あ……」
「さぁ、下らぬ戯言はそこまでにして、続けよ。最高の戦いをな」
追い討ちをかける絶望。やっと見つけた光明は戦闘神にかき消されてしまった。
無論、リリィは厳罰など恐れてはいない。恐れているのは失格の方である。彼女には彼女の目的があってこの大会に参加している。ここでルネサンスを助ければ、目的には生涯かけても辿りつけはしない……。
心は助けたがっている。だが魔術師の本能がそれを許さない。
「リリィ、リリィ!」
「……ルネサンス。引く事もまた勇気よ。魔王はあなたを殺すつもりはない。今ならまだ……」
「う……」
死に体の勇者は、その甘い言葉に一瞬、降参を考えた。
だが、観客の声援はその姿を望んでいない。
「頑張れ、ルネサンス!」
「勇者様、魔王を倒して!」
「頼れるのはあなたしかいません!」
「世界を救って下さぁぁい!!」
その無責任な声援にリリィは辟易する。逆のコーナーで見ていた学も、今のこの状況が分かっていない客に舌打ちした。
「馬鹿どもめ。逆転の手など、もう残っていないんだぞ!」
「ヤバいですよ学さん。大人しく降参しないと、勇者様は魔王に……でもこの声援の中なら、恐らくあの人は」
蒼の考えは当たっていた。ルネサンスは、観客の声を聴いて自分が希望の象徴である事を思い出す。
希望の象徴が、降伏などあってはならない。例え負けても、そう、例え……。
「リリィ、君を困らせてすまなかった」
「え?」
勇者は折れていない方の足で、立ち上がる。観客の歓声をBGMに、魔王に向き直る。
「悪かったな。湿っぽくさせてしまった」
「問題ない。勝敗は決している。楽しかったぞ。流石は勇者と言っておこう」
「ああそうだな。勝敗は決していた。最初からな」
魔王アスカリオにとっては意外であった。勇者は、最初から勝てると思っていなかったのか。それでは、まるで特攻ではないか。
「私の勝ちだと、最初から思っていたのか」
「何を勘違いしている」
片足の勇者は、震える足で、震える手でもって剣先を天に掲げた。
この惨状でなお、その表情は濁っていなかった。
「俺の勝ちだよ。ワーストケースとはいえ、全て俺の筋書き通りだ」




