エピローグⅢ:元世編_最後の予知
「暑っつぅ……」
日本の夏は暑い。
特にその年は猛暑であった。
その猛暑の中、人でごった返している電車の中に、彼女はいた。
織原蒼、十九歳と十ヵ月。
「新幹線なら、直ぐなんだろうけどなぁ……私お金無いしなぁ」
小田原から、京都まで。
日本に帰って来てから、初めての一人旅であった。
***
「え、嘘……ここ、私の中学!?」
半年前。元世界に帰還した蒼は、母校の教室で目を覚ました。
幸い夜だったため、生徒達のいないガランとした教室に転送されたのであった。
立てかけられた時計。床の色。机の匂い。
何もかもがその頃のままではないけれど、それでも蒼には分かる。
ここは、自分の世界だ。
「私、私、本当に……!」
その時、扉の向こうをガリガリと引っ掻く音がした。
「えっ、何? 開けて欲しいのかな」
夜の教室の怪談的な恐怖も、今の蒼には通用しなかった。
事もなげにスライド式の扉を開くと、それは勢いよく胸に飛び込んで来た。
尻餅をつく蒼は、悲鳴では無く歓喜の声をあげた。
「マーガリン!」
「ハウッ、ハウッ」
炎神シュルトが気を利かせてくれたのか、掛替えのない相棒も一緒に転移されてきたのだ。
再会を喜ぶ一人と一匹。
「フッ、フッ」
「うん、行こうか。案内するね」
教室を出て、下駄箱を抜けて、校庭に出る。
彼女を祝福するかの様に、満天の星が出迎えた。
家までの道は、体が覚えている。
様変わりしたが、まだ名残を感じる商店街を通り過ぎ。
人通りの少ない路地裏の近道をすり抜けて。
そして、何も変わっていない我が家の、インターホンを、ゆっくりと押した。
聴きなれたチャイムの音が、涙腺を刺激する。
「どちらさっ……」
カメラで、その姿を確認したのだろう。
もしかしたら何度も、『その希望』を打ち砕かれたかもしれない。
それでも、今度こそと思ったのだろう。
裸足で駆け寄って来る母の姿に、頬を伝う己の涙。
「蒼……ちゃん?」
「ただいま……」
「蒼ちゃんなの!?」
「ただいま、お母さん!」
母の胸に頭突きの様に飛び込んでいく蒼。
「お母さん、お母さん!」
「大きくなって……」
「うわああああ! あっ、あああ!」
「お母さん、ずっと信じてたからね」
大声で泣き叫ぶ蒼。
「蒼!?」
父もやって来て、母子纏めて抱きかかえる。
隣近所も深夜に何事だ、と起きて来る。
「会いだがっだよぉぉ」
「よく頑張ったね。頑張って帰ってこれたね」
「親切な……凄く親切な人が、助けでぐれで……」
「うんうん。その人に何かお礼をしなきゃね」
悲願成る。
織原蒼は、六年間夢見た我が家に、遂に帰還したのだった。
***
しかし大変だったのはその後である。
死亡届けこそ出されていなかったものの、六年も行方不明だったのだ。
警察から厳しい事情聴取が行われた。
しかし本当の事を言っても信じて貰えるわけもないので、記憶喪失で押し通した。精神異常者のレッテルを張られるのは御免だった。
プロ相手に嘘を吐き続けるのは至難の業だったし、正直かなり疑われもした。
だが基本的には被害者であり犯罪者でも何でもないため、最終的には解放された。
それからも失われた教育機会をどう補填するか、魔狩にドッグフードを食べさせて良いのか等、色々と問題が積み上がった。
今では、その問題を地道に消化していく毎日である。
両親は、そんな蒼を笑顔で応援し続けてくれている。
「蒼は、成りたい職業があるのか?」
「うん。ブリーダーになりたいんだ!」
失われた日々は正直大きい。
だとしても、大切な人の起こしてくれたこの奇跡に、恨み言など言えるものか。
笑って過ごすのが義務だと、蒼は日々笑顔を絶やさない。
「……そう言えば」
蒼はふと思い至り、端末で何かを検索し始めた。
「……マジか。検索してみるもんだね……」
凄い情報を、見つけてしまった。
***
京都へ一人で行きたいと言った時、両親は流石に良い顔をしなかった。
六年も行方不明だった一人娘が、また行方不明になっては堪らない。
しかし、蒼は一人で行きたかった。
一人で、行かねばならなかった。
「場所を追える様にはしておくんだぞ」
常に居場所を監視してもいいという条件付きで、蒼の旅は認められた。
向かう場所は、京都・太秦。
とあるスポーツジムである。
電車に揺られながら、蒼は後悔していた。
どうしてあの時、自分の気持ちを伝えられなかったのか。
いや。そんな事よりも先に、言わなければならない事があったはずだ。
ありがとう。その一言が口に出せなかった事が、堪らなく悔しい。
この世の誰よりも、両親に並ぶほど、感謝しなければならない人だ。
――その人に、感謝を伝えられないなんて。人生最大の失態だ……。
だから、蒼は京都に向かった。
ネットで拾った情報では、その人はジムのインストラクターとしてちょっと名が知れている。
数年前まで、とある道での輝かしい戦歴を誇ったが、怪我に泣かされて引退したらしい。
「……着いちゃった」
そのジムの目の前まで来て、どうアプローチしたものか悩んでいると。
「こんにちは。入会希望の方ですか?」
その声に驚いた。
聞き覚えのある声だった。
その長身と筋肉質。
後ろに纏められた黒髪。
先の先まで見切る鋭い瞳。
まるで、そのまま異世界から持って来たかの様であった。
「あの……」
「はい。お気軽にどうぞ」
「あなたは……」
「法龍院学さんですか?」
「……」
その男は一拍置いた後、答えた。
「違います」
「……そうですか」
蒼の中で、何かがジュッと溶けた気がした。
人違いだったのか。
「読みが違うんですよ。初対面の人は皆そっちで呼ぶから困る」
「へ?」
「マナブじゃなくてガク。法龍院学と申します」
「あ、ああ~」
蒼は納得した。
並行世界なのだから、同一人物でも音読み訓読みぐらい違っても不思議では無い。
溶けたものが、復活した。
間違いなくこの人が、並行世界の学なのだ。
そう意識したら、急に緊張して来た。
「で、何ですか? 入会希望じゃないんですか?」
「え、いや、その」
モジモジし出す蒼。
どうしても確かめたい事がある。
果たして、この世界の法龍院学は幸せになれるのかどうか。
蒼の遠未来予知なら、もしかしたらそれが分かるかもしれない。
どうしても、試してみたかった。
そしてもし悲劇が待ち受けるなら、こんどこそ自分の努力でその未来を変えてあげたい。
それは法龍院学に救って貰った、自分こそがやらなければならない事なのだ。
その為には、遠未来のビジョンを見るための、何かしらの波を受け取らなければならない。
今までの経験からいくと、因縁の場所に行くか、その人と接触すれば……。
「すみません、失礼します!」
「ちょっ、何するんですか!?」
蒼は学の手を掴んで、両手で強く握りしめる。
そして蒼の脳内にビジョンを描く波が、伝わって来た。
未来が、見えた。
「これは……」
幸せそうな、学の姿が見える。
奥さんがいる。子供も二人いる。
皆で、手を繋いで歩いている。
――ああ、良かった……今度こそ、学さんは幸せになれるんだ……。
蒼は安堵した。
そこまでは、であった。
ビジョンを写す角度が変化し、手を繋いでいる奥さんの顔が見えた瞬間。
狼狽した。
二度見した。
赤面した。
――えっ、まさか!?
もう一度だけ、しっかり確認する。
どうやら、間違いはなさそうだった。
「そ、そう来たか~ッ」
「あの、ブツブツ言ってないでいい加減放して下さいよ……」
蒼は、学の手を握ったまま、固まってしまった。
次に何をしたらいいか。
分からなくなってしまう程の衝撃が、遠未来から蒼を突き刺した。
震える声で、何とか話しかけようとする蒼。
「あの、まな、じゃなくて学さん」
「気安くファーストネーム呼びですか……」
――蒼さんなら、大丈夫。
彼の言葉を信じて、彼に対する小さな一歩を踏み出す事にした。
「ま、まずはお茶から始めませんか?」
「はぁ!?」
予知した未来は、本当に来るのかって?
そんな事、その時になってみないと分からない。
でもこの幸せな予知だけは、どうか無事に訪れる未来であって欲しい。
――そう願うのは、ちょっと欲張り過ぎかな?
――――――――Shield And Trident 完――――――――
完結です。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。




