エピローグⅡ:天界編_展望窓にて
「あれが、そうかな?」
魂だけの存在となった法龍院学は、あの世で旅を続けていた。
傍から見れば生前の肉体を保っている様に見えるが、これは魂に記憶されたビジョンに過ぎない。
もう肉体は消え失せているのだ。
いつまでもこの状態でいるのも何なので、輪廻転生の道を進む事にした。
転生道の入り口には検問が張ってあった。
検査官にギロリと睨みつけられるが、和の心を持って受け流す学。
「名を申せ」
「法龍院学と申します」
「ふん。日本人か」
あの世へ強制送還されてから、転生するにあたって六道(天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)のどの道を歩むに相応しいか。
その事について厳密に審査を受けるのがこの検問だ。
「何か罪を犯したか」
「人を殺しました」
「はん。だったら地獄道だな。悔みながら進むが良いわ」
鼻で笑う検査官であったが、学の魂を調べている内に態度が変わっていった。
「お、お前! 炎神様の神性が混ざっているではないか!?」
「まぁ、神威を使いましたから」
「か、神威を!?」
「あと未来仏様より法力を授かり、使いました」
脂汗を拭ったあと、最敬礼を持って学を案内する検査官。
「し、失礼致しました……」
「地獄道ではないので?」
「お戯れを。神威の使用者は、善道の最たる道……即ち天道を歩いて頂く事になっております」
「ふぅん」
興味なさそうに進む学であった。
***
「あれ……」
休まずに天道を進んで来たためだろうか。
数か月後には輪廻転生を待つ大蛇の列に辿り着いた。
その最後尾には、見知った顔がいる。
まさかの再会であった。
「師匠!?」
「……学、か?」
見えているのはビジョンだけだが、確かにダヴール・アウエルシュテットであった。
一年前に死んだダヴールは、先行して天道を進んでいたのだった。
「え、師匠いつの間に死んだんですか?」
学は、自分が師を殺した事を知らない。
「猛獣に心臓を貫かれて死んだのだ」
簡潔に説明するダヴール。嘘は言っていない。
「師匠ともあろうお方が……油断しましたね」
「油断はしておらぬよ。想像の少し上を行かれただけだ」
「はは、言い訳しないところを見ると本当に師匠だ」
学は、ダヴールと最後に話せなかった事が心残りだった。
その機会を、まさか死んでから得る事になろうとは。
「師匠。今まで本当にありがとうございました」
「何だ改まって」
「貴方が私を想って止めてくれていた事、今は全て理解しています」
溜め息を吐くダヴール。
「愚か者めが。ここにいるという事は、忠告を聞かなかったのだろうよ」
「はい。申し訳ございません」
「我が心配りを台無しにしおって。お前など弟子にするのではなかった」
「まぁまぁ、御両人。天界に来たんだから大らかにいきましょうや」
学はその声でようやく、見た事のある魂が傍にいる事に気づいた。
「もしかして勇者ルネサンスさん?」
「いかにも」
「そっか、あなたも神威を使ってましたもんね」
クライドや魔王はどうしたのだろうかとも思ったが、流石に地獄道だろうとダヴールは言った。
アリシアやチョーは恐らく人間道だろうとも。
「トーレスは」
「間違いなく修羅道だろうな」
「神様なのにですか?」
「そういう神様だからな」
三人は暇つぶしによもやま話をしながら、輪廻転生の列を進む。
これから壮大な時間を待つ事になるのだ。一人よりよっぽど気が楽だと、学は安堵した。
「まさか、君とリリィが恋仲になるとはな」
「お前は昔から魔女に会いたいと言っていたが、本当に娶るとは」
学がリリィと結婚した旨を聞いて、勇者とダヴールが驚いている。
「最初に会った時は、そんな事露ほども思いませんでしたがね。性格キツそうだったし、幻想を壊された気になりましたよ」
「あれは魔女らしさを演じるためのあいつなりの努力だぞ」
「そう! そこにギャップがあって、それが良くて」
「もう良いもう良い」
聞くに堪えない惚気話を延々と話される二人の気が滅入っていく。
「ん?」
ふと、学が列の脇に目をやる。
窓が、浮いていた。
「あれは?」
「展望窓だよ。神性の混ざっている我らには千里眼の特権があるからね。下界を見る事ができるんだ」
「下界を……」
学の胸がざわついた。
「ちょっと、見てみようかな」
「愚か者。決して見てはならぬぞ」
「は? 何でですか」
師の忠告にまたも反発する弟子。
リリィが元気に生きられているかどうかが心配で仕方がないのだ。
自分がいなくなったことで、悲しみに暮れている事は容易に想像ができた。
「魂だけなんですから、ちょっとぐらい自由があってもいいでしょう」
「自由だからダメなのだ」
「意味が分かりません」
勇者が割って入って、説明する。
「下界を見たいって事は、未練があるって事だろ」
「う、いや未練ってほどじゃ」
「そういう奴があの窓から下界を見ると、そこにずっと留まる様になる」
「……」
「未練がそれ以外の行動を許さないのさ。自由だから、いつでも列に戻れるから、もうちょっとだけ……てね。その選択が無限にループする」
「……」
「今の俺達には、永遠と一瞬はイコールなんだよ。進む奴は最後まで進む。止まる奴はずっと止まったままだ」
寿命もない。滅びる肉体もない。
だから、その選択を続けてしまう。続けられてしまうのだ。
学は勇者の言葉を理解した。
だが。
「馬鹿! 本当に戻ってこれなくなるぞ!」
「もう知らん。勝手にするがいい!」
ダヴールとルネサンスの静止も空しく、学は展望窓に向かって行ってしまった。
***
千里眼を発動させると、自分が覚えているリリィの魂の波長を探す。
毎日肌を突き合わせてきた学なら、この程度の検索は容易い物であった。
「……」
部屋の隅で愛する妻が泣いているのが見える。
その光景が、学の魂を締め付ける。
「ごめん……ごめんよ……」
後悔しているわけではない。
二人は自分達で選んで、なるべくしてこうなったのだ。リリィと学である以上、これ以外の結末などない。
自分を護る事はできなかったにせよ、矜持と妻は護りぬいた。
同胞である織原蒼も救う事ができた。だから後悔はない。ただただ悲しいだけだ。
「ん……?」
そのリリィを、魔剣士レイムルが引っ張っていく姿が見える。
街の病院に連れて行った。
明らかに産婦人科であった。
――まさか!?
二人が抱き合っている。
リリィがまた涙を流しているが、それが嬉しさから来ている事は顔を見れば分かる。
「子供……、なのか!?」
学は意識をリリィの腹に集中する。
魂の波長を感じ取る。自分に近い間隔でパルスを放っている事が、分かる。
リリィのパルス間隔とは遠い。自分に近い。
――ああ、男の子だ……。
肉体があれば、涙腺があれば学は今泣いているはずであった。
リリィが抱いているであろう胸いっぱいの幸せを、自分も今感じている。
何か、一つでいい。
あの子の一生に、ほんの少しでいい。自分が関わりたかった。
「シュルト様、聴こえていらっしゃいますか?」
隣家の住人が如く、気安く炎神を呼び出す学。
『何用だ、法龍院学』
「申し訳ないのですが、少しだけ神通力をお分けいただけますか?」
シュルトは学の意図を測りかねて、渋ろうかとも思ったが……。
学はトーレスを倒してくれた、天界にとっても英雄と言える存在である。
それにシュルト自身、学のために何かをしてやりたかった。
『何に使うのかは、敢えて聞かんぞ』
「ありがたき幸せ」
『私の息子によろしくな』
そう言うと、シュルトはゆっくりと神通力を落として来た。
学はそれを魂の前方に留まらせると、下界へ放つ。
届け先は、リモンド家の庭だ。
「何をするのかと思ったら」
ダヴールとルネサンスが後ろにいた。
「神通力で何をするのだ。腹いせに家を燃やすのか」
「いえ。庭に掘っているのです」
「何を」
「名前です。子供の名前……」
厳つい声であったダヴールが、それを聞いて柔かな心になる。
「お前の子供か」
「はい」
「お前が、父になるか」
「はい師匠……僕、僕、お父さんになれました」
ダヴールは自分の宝物が生きた証が、確かに下界に残った事を嬉しく思った。
「良かったな」
「はい……もう思い残す事はないです。名前の希望を、神通力で残しました。」
学はシュルトの神通力を使って、漢字とあの世界のフリガナを。リモンド家の庭に残したのだ。
ルネサンスが心配そうに質問する。
「分かるのか? 神通力を地中に埋め込んで書いた文字だろう? 普通は気づかないぞ」
「気づきますよ。だって魔女ですから」
「……なるほど」
ルネサンスは学よりもリリィとの付き合いが長い。確かに彼女の魔力に対する嗅覚ならば気づかない筈はないと思った。
「これであのリリィも母になるか。あの子が遂に、報われたか……」
リリィの不遇を知るルネサンス。
彼にとっても妹の様な存在。誰かに救って欲しいと思っていたのだ。
「ありがとう、ホウリュウイン」
「僕にお礼を言われても困りますよ」
「君がトーナメントに参加してくれて、リリィと出会ってくれて、本当に良かったと思う」
まさしくリリィと自分を掛け合わせた様な男に育つだろうと、学は想像を膨らませた。
そして、今更ある事に気づいた。
「……そうか、あの予知はそういう事か」
そして学は、展望窓からあっさりと離れた。
「えっ、もう良いのか」
「離れないと、ずっとここに留まってしまう。そう言ったのはルネサンスさんですよ?」
「確かにそうだが、出産が心配じゃないのか?」
遅れを取り戻そうと、どんどん先に進む学を二人が追っていく。
「出産は成功しますよ。ついでに言えば15,6歳くらいまでは問題なく育つはずです」
「何故わかるんだ?」
「さぁ、何ででしょうね」
多くは語らない学。
暖簾に腕押しだと思った勇者ルネサンスは質問を変えた。
「何と言う名前にしたのだ」
「護です。」
日本語の分かるダヴールが更に問う。
「世界を護って欲しいという事か?」
学は笑って否定する。
「まさか。自分自身を護って欲しいんですよ」
「自分を?」
「死んでるからこそ分かります。それが如何に難しい事だったか」
「……なるほど。その通りだな」
「さぁ、輪廻転生に向かって歩きましょう。しり取りでもしながら行きませんか?」
学にもう、未練は無かった。
ダヴールは言う。天道を渡り終えた場合、神と人間、どちらで生まれ変わるか選択できると。
学の腹は決まっていた。
何度輪廻を巡っても、変わらず人間に生まれ変わる。
弥勒菩薩との再会を果たすその日まで……。
次回で完結です。




