エピローグⅠ:異世編_彼の見た未来
時は流れて。
戦闘神トーレスが消滅したため、残された人々の闘争心は急速に収まって行った。
あれだけ沸いていた魔獣も、トーレスが操っていたのだろうか。街を襲う事もほとんどなくなった。
戦争も無くなった。政争という名の戦いは無くならないが……。
そんな中、残された一人である魔女リリィ・リモンドは。
「はむっ、はむっ! ふはっ」
食べていた。
一角獣の乳で出来たチーズをふんだんに使ったピザを、山ほど街で買い込んで頬張り続ける。
食べ終わった後の空箱が、背後に積み重なっている。
「あ、あのさぁ……」
「何よ」
「限度ってもんがあると思うよ?」
泊まり込みで様子を見に来ているレイムルが、流石に心配して止める。
しかしリリィは食べる事を止めない。
「はふ、はふ!」
「しかしまぁ、そんだけ食べて良く太らないわね」
暴飲暴食が始まってもう二か月近くになるのに、恐ろしい事に魔女の体型はほとんど変わっていない。
元々スラリとした美人だったが、今はチーズの匂いがするスラリとした美人である。
その体型維持の理由は。
「ごめんくださーい」
「ほら、お客よ」
「……」
リリィが玄関に出ると、五人ほどの男が武器を持って待ち構えていた。
「廃品回収です。『最強』を頂きに参りました」
「その言い回し、センスあるとでも思ってんの?」
蒼も、ダヴールも、そして学もいなくなった今。
魔女リリィは再び最強の座に躍り出ていた。
繰り上げの最強。その事実が彼女の癪に障る。
「放って置いてよ!」
青龍波が庭を自在に飛び回り、無頼漢五人が瞬く間に地に伏した。
腹やら脚やら、ところどころ肉を削ぎ落されている。
「強ぇぇ……」
「誰だよ傷心の隙を狙えとか言った奴は……痛ぇ」
「はん。掃除して帰ってよね」
再び部屋に戻って来たリリィ。
「お疲れさま」
「……」
レイムルに一瞥する事すらせず。
そしてまたもピザを頬張り始める。
「はむ、はむ!」
「ちょっと! いい加減にしなさい!」
リリィからピザの箱を取り上げるレイムル。
「返せ!」
ピザの断片を頬に入れたまま、レイムルに飛びかかるリリィ。
たかがピザを巡った取っ組み合いの末、レイムルはリリィを巴で投げ飛ばした。
「痛ぅ……」
「何やってんのよ、あんたは」
痛みは人を逆上させもするが、落ち着かせもする。
リリィはようやく冷静になった。と同時に吐き気を催す。
「うおえっ」
「あんだけ食べていきなり運動して、また食べるからよ」
神通力は供物として人間の体中の養分や血を吸い取っていく。
リリィが痩せているのは、毎日バトルで神通力を使っているからに他ならない。
食べても食べても、体重が増えないのだ。
この事が、魔法と体術の両方を極める事の難易度を引き上げている。
体重が増えなければ、体術で魔法を上回る威力は発揮できない。
魔法を日ごろから使わなければ、魔法で体術を上回る威力は生み出せない。
二律背反。矛盾した二つの力。
その二つともを手にした法龍院学が、如何に逸材であったかを改めて思い知るリリィ。
――ほら。また、思い出しちゃったよ。
「……私さ」
「んん?」
ピザを箱に戻したリリィが語り始める。
「元々、嫌われ者の魔女だからさ。あの戦いが終わった後、家に戻ってさ。思ったわよ」
レイムルは黙って耳を傾ける。
「『なんだ、元に戻っただけじゃん』ってね。魔女に戻っただけだって」
「……」
「ベッドに潜りこんで、寝たのよ取り敢えず」
リリィは天上を見上げる。雷魔法で点いた電灯がチカチカしている。
「でも、朝は来ちゃうのよ」
「……」
「おはようって、言っちゃうのよ」
「……リリィ」
「そしたら、あの人、うっ、もう、へっ、返事して、うっ、く、くれなくて……」
レイムルは泣き崩れるリリィを抱き締める。
「もうあの人がいないんだって思うと、体の中が……空っぽの空洞になった感じがして……う、うっ」
「大好きだったもんね」
「私は、ごんなに、好きだっだのに、何で私だけ、うっ、うっ、置いて、また独りぼっちにして、うっ、何で……」
リリィは後悔しているわけではない。
あのままトーレスから逃げていれば、もしかしたら学はまだリリィの隣にいたかもしれない。
だがそれは最早、法龍院学ではないのだ。
だから、二人は戦う道を選んだ。薄々こうなると分かっていながら、自分達で選んだのだ。
だからリリィは後悔していない。ただただ悲しいだけである。
優しく頭を撫で続けるレイムル。
何と悲しい魔女の物語であろう。ようやく見つけた恋が、逆に彼女に塞ぎきれない風穴を開けてしまったのだ。
――これは、塞ぐのに時間がかかりそうね……。
***
だが、この風穴は思わぬ形で塞がる事となる。
「妙ね……」
二か月後。住み込みでリリィの世話をしていたレイムル。
衣服の洗濯を数週間している内に、気づいた。
「リリィ、ちょっと」
「……」
瞼をぷっくりと腫らしている。
恐らく今日は食べる物が無くて、ずっと泣いていたのだ。
「あのさ、聞きたいんだけど」
「……何?」
「どれくらい来てないの?」
「何が?」
「何って……」
そう言えばコイツは魔法以外の知識はからっきしだった事を、魔剣士は思い出していた。
「体が滅茶苦茶重くなって、吐きそうなくらいイライラするあれよ」
「ああ、あれね。私あれは神様の設計ミスだと思ってる」
リリィは顔を隠す様に、そっぽを向いて答えた。
「どれくらいって言われてもな……二か月ぐらい?」
魔剣士は魔女の手を引っ張って、部屋から引きずり出す。
途中で思いとどまって、引き摺るのを止めて抱きかかえた。
「ちょっと、何してんのよ馬鹿!」
「行くのよ!」
「どこへ!」
察しの悪さにイラついたレイムルが叫ぶ。
「病院に決まってるでしょうが!」
***
「ご懐妊です」
「へ?」
呆気にとられるリリィ。
口を塞いで驚きを隠そうとするレイムル。
「レイ、ゴカイニンて何?」
「待って、一つずついこう」
逆にレイムルの方が緊張しているのか、深呼吸する。
「あんた、経験人数は?」
「えっ、そんな、恥ずかしいよ」
「いいから! 恥ずかしがってる場合か」
「ひ、一人しか……」
よし、とレイムルが頷く。
「最後にやったのは?」
「え?」
「いいから!」
「ら、ラグナロクの前夜……」
決め手に欠ける、と言いたげなレイムルが更に追求する。
「その前は?」
「その前の晩」
「その前は?」
「その更に前の晩」
「その」
「ほとんど毎日だよ!」
――決まった。
友人が握って来た手が、熱く火照っている。
その温かさが、事態の本気度を告げていた。
「あんた、お母さんになるんだよ!」
「私が……?」
ようやく実感が沸いた。
ぽっかり空いた穴が、急速に塞がっていくのが、分かる。
「子供……」
「そうだよ! あんた達の子だよ!」
「本当に?」
「間違いないよ! プロが言ってるんだから」
リリィは、赤裸々に学に語った願望の事を思い出す。
ーー私ね…お母さんになりたいの。
学は確かに死んだ。
しかし彼は、最後にリリィの願いを叶えてくれていたのだ。
「私、お母さんになっていいの?」
目頭がまた熱を持つ。
「あの人の子供を、産んでいいの?」
悲しみに暮れていたはずの魔女。今は胸いっぱいの喜びに支配されていた。
***
「うーん……」
「どうしたの?」
「名前が、ね」
帰路、すっかり元気にリリィは子供の名前を考えていた。
性別もまだ分からないのに、気が逸っているらしい。
「ホリィ、マリィ、うーん、しっくり来ない」
ニヤつきを堪えられないリリィを見て、レイムルまで嬉しくなってしまう。
と、リモンド家に差し掛かったその時。
「あれ?」
庭が焼焦げている事に気づく。
「ありゃりゃ、私の庭が」
「何これ、炎魔法? 誰かあんたに負けた腹いせにやったのよ、きっと」
「へーきへーき。寛大な心で許してあげるわよ」
しかし今のリリィはそんな事で気分を害さない。
口笛を吹きながら家に入ろうとした、その時。
「……まさか」
何かに気づき、庭へ戻って来る。
意味ありげな焦げ跡を何となく眺めるリリィ。
「魔神様、神通力を」
キャッチした神通力で、蒼魔法の膜を作ると、焦げ跡に残る神通力と共鳴した。
「え、これって」
「神通力の文字……天啓ってとこかしら」
しっかり確認したリリィに迷いなし。
「よし、決めた!」
それからも楽では無かった。リリィにとって出産は辛かったし、母手一つでの子育ては困難を極めた。
そのリリィを助けてくれたのは、街のおばちゃん達であった。
「水臭いよ魔女さん。私らを頼ってくれていいのに」
「そんな、悪い……です」
「気にしない事よ。あんたの旦那は親切にしてくれたし、あんたも魔獣から守ってくれたからねぇ」
学のやった挨拶廻りが生きた。
人は独りでは生きられない事を、リリィはこの時理解したのだった。
――マナブは、全部分かっていたのかな。
***
そして月日は流れた。
「おはよーございます」
「おはようマモ君。今日はお母さんとお出かけかな? いいねぇ」
「えへへ」
ペコリと頭を下げる母リリィに、小さな小さな男の子がくっ付いて歩く。
マモル・リモンド。日本名を、法龍院護と発した。
「お母ちゃん、おんぶ」
「はいはい」
「やっぱりだっこ」
「はいはい」
親子の青い髪が風に靡く。
美しい、一族の特有の色だった。
少年は今年で四歳になる。
今日は毎月に一度、夫の墓参りに行く日である。
「お父ちゃんはどういう人だったの?」
「秘密」
飛龍に乗ってはしゃぐ息子を、必死に落とさない様に抱きかかえたりしながら、二人はコロシアムにやって来た。
森の奥に、法龍院学の墓がある。戦闘神の暴虐を沈めた英雄として、立派な墓を民たちが立ててくれたのだ。
墓の前に立つリリィ。
「久しぶりだね」
「お父ちゃん久しぶり」
「私、ちゃんとお母さんやってるよ」
毎月同じ報告をするリリィ。
護が成長していっても、墓参りは続けた。
十四歳にもなると、さすが長身の学の息子。リリィの背を軽々追い抜いて行った。
まだあどけなさも残るが、四十を過ぎても若いままのリリィと並ぶと、まるで恋人同士の様にも見えた。
「マモル! なーんで手を繋ぐのを嫌がるのよ!」
「流石に恥ずかしいって! いくつだと思ってるのさ」
「いいから、ほら!」
「ああもう!」
今日も二人は手を繋いで、学の墓に語り掛ける。
「見て見てマナブ。おっきくなったでしょ? マモルは今日で十五歳になるんだよ」
「はいはい。早く帰ってご飯にしようよ」
リリィは、ふと護を見る。
その面影に、十五年前の学を思い出し、衝動的に抱き締めた。
「何!? 何!? お母ちゃんどうした!?」
「ありがとう……」
――マナブ、私お母さんになれたよ。
今世最強の魔女と言われた、リリィ・リモンドの幸せな物語は続く。
それは法龍院学がこの世界に残したものであった。




