第131話:Angry Fist
法龍院学の全身が炎に包まれている。
今までは魔術回路の暴走による、異常な量の魔力を出力していたせいで燃えていた。
だが、今は彼の皮膚が燃やされているのではない。
彼の皮膚が、炎になったのだ。
学の体に、炎神が降臨した事を示していた。
命を、供物として神に払ったのだ。
神々しいと言うよりはまるで、学自身が負の感情……怒りの象徴であるかのような、極めて退廃的な姿であった。
「法龍院学よ……貴様は、貴様は本当に……クフフッ」
戦闘神トーレスが、笑いを堪えきれずに漏らす。
あまりの喜びに、神ともあろう者が破顔していた。
それもそのはず。学を拾って、異世界に転送させた時。
トーレスは、学と戦う時を待った。それは実現した。
今の状況は、その先だ。
炎神と、戦える。心行くまで、戦える。
トーレスは遂に、壊れない玩具を手に入れるに至ったのだ。
「貴様は本当に、我が期待通りに動いてくれたのぉぉーーーッ」
はち切れんばかりのテンションとなったトーレスを無視し、学は近くにいた魔狩に話しかける。
「マーガリン、お前の主人や、僕の妻たちを避難させてくれないか」
「クゥン」
「ありがとう。でも心配するな。最低でも、闘技場の外へ頼む」
魔獣たるマーガリンが、蒼の服の袖を引っ張って闘技場の外へ連れ出そうとする。
「避難させなきゃ!」
「儂らにできるのは、それぐらいだな……」
倒れている残りの三人を、マルカーノやトーマスら、闘技場内にいた闘技者達が連れ出した。
これで、コロシアム内に残っているのは二人だけ。戦闘神トーレスと、法龍院学。
向かい合う二人。
「待っていてくれるのか」
「その方が、貴様が遠慮せずに向かって来れるであろうが」
学は爪先で、土を蹴る。忽ち深い溝が出来上がった。
足の形を溝に合わせ、簡易発射装置を作る。
「いくぞ……いくぞ、炎神シュルト!」
「シュルトではない……法龍院学が、お前を殺すのだ」
溝を蹴り、炎神に等しい学が左拳を構えたまま突進する。
使い慣れた技。最速の刻突き。
「クハァーッ」
トーレスの三叉槍と激突した時。神性の神通力の衝突が、爆発を生む。
あのトーナメントを全試合耐え抜いた、強固な造りであった筈のコロシアムが、吹き飛んだ。
***
二人の周囲に、もはや者もなし。物もなし。
平原でぶつかり合う、闘神と、炎神を降ろした人間。
「待っておったぞ、貴様と戦えるのをォ」
トライデントの横薙ぎが、学の外受けで受け止められる。
またも、爆発が起こる。その爆発さえ、神には余裕で耐えきれるものだ。
人間とは位の違う場所に、今の二人はいる。
「他の神々は導きに従って今の地位についたにすぎぬ……我が父母も含めて」
「……」
「だがシュルト! 貴様は違う! 元は魔人でありながら、自力で神の座についた、本物の強者だ!」
「スゥゥ……」
「その貴様と、終末戦争の終焉を、飾りたかったのだ!」
笑いながら、戦っているトーレス。
その口を。その笑みを。学は黙って見過ごせない。
「コォォッ」
遠距離から、いきなり伸びて来る上段左正拳逆突が、顎に炸裂する。
トーレスの神性のガードも、突き破って炎を伝える。
構造に逆らった方向にかかった強い神性の力が、戦闘神の顎を外す。
「ほごぉッ」
「お前などに……」
続けざまに放つ炎の脛に、トーレスは反応ができなかった。
神の脇腹に、神の中段蹴りがめり込む。
爆風と共に、腹が焼焦げるほどの神性の炎が塗り込まれる。
「ムグッ」
「お前などに……」
更に近距離。
体格の差を利用してトーレスの懐に潜りこんだ学が、凶悪部位である肘を下から振り上げる。
戦闘神の舌が、彼自らの歯と歯の間にプレスされた。
上顎と下顎の隙間から、炎神の神通力が侵入し、炎が発現する。
地獄の痛みと、地獄の業火が、戦闘神の口内を駆け巡る。
「あぐぅぅッ」
「お前などに、この世界を飾らせてなるものか!」
学はまだ止まらない。
親指を除く四本の指を隙間なく合力し、残った親指を内側に巻き込み、強力な一撃に耐えうる、掌に連なる一つの面を作る。
綺麗に継いだ連撃のラストは、振り上げた肘を耳の付け根の裏側に回し、全身を撓らせる様にして放つ……。
炎魔。右上段。
手刀打……否。手刀斬!
「あっぐあああああ!!」
人間千人にも勝る声量を持つ戦闘神の叫びが、世界を揺らした。
神が神に屈する、衝撃の光景。
鎖骨から胸にかけて、炎神の右手に切り裂かれた。
血は出ない。斬撃の通り道を、炎が綺麗に追随し、傷口が焼き止められたからである。
――こ、これが……これが、炎神の……究極魔法・神威の力か!!
「立てよ、邪神」
「法龍院学……!」
膝をつく戦闘神の頭蓋、その頂点に向かって、踵落としの炎が突き刺さる。
が、その直前。黄金に輝く三叉槍が、神性を持ってしてその蹴りを受け止めた。
「この緊張! この痛み! 素晴らしいではないか! これこそ、私が望んだラグナロクである!」
「囀るな……外道神」
学は掌を、真っ直ぐトーレスに向けた。
師匠、ダヴール・アウエルシュテットが、自分に向けて使った技。
命を捨てて神性を手に入れた今なら、自分にも放てる。
体術ならば、怒りは邪魔となる。だが魔法ならば、怒りを存分に込められる。
滅ぼされた故郷。そのありったけの怒りを込めて。
炎魔法、第拾八式。
「炎天使!」
放たれた神通力が、トーレスの節々に回り込み、神性の炎を爆発させる。
内側から暴かれそうな手の届かない痛みが、トーレスの中で猛威を振るう。
「おっ、おっ、おっ、おぉぉあああああ!!」
だが、この痛みさえ戦闘神にとっては、自らを愉しませる餌に過ぎないのか。
ダメージを継続させたまま、学の体に憑りつこうとする。
「シュッ」
口から炎を吐いて拒絶する学。
その炎を、三叉槍の回転が受け流した。
「ハァァァ……フフフッハァァ……良いではないか、良いではないかこの痛みはよぉぉぉ!」
「止まらぬか、邪神トーレス」
「止まるものかよ。これだけの極限の戦闘……この甘美を、終わらせてなるものかよぉ」
三叉槍を上段に構えるトーレス。
これが彼の、本気の構えか。
学は、上下の正中線を、左右の拳で守る様に構え直した。
神の炎の蜃気楼。回りの空気が熱で揺れて、本来のビジョンを歪ませている。
「行くぞ……貴様にも褒美をやろうぞ。この戦闘神の本気を、存分に味わうが良いぞ!」
「お前に与えるのは褒美ではなく罰だ。直前まで苦しみを味わせてから、頭を踏み抜いて殺してやる!」
思想対思想。力対力。神対神。
終末戦争の、終焉が近づいていた。




