第125話:Divinity
トーレスの地面を踏みしめる音が、観客の恐怖を煽る。
人類を玩具としか思っていない神。
この世から戦争が無くならない元凶。その気になれば、村々の平和な暮らしなど、一撫でするだけで消し飛ばせる存在。
その存在が、一人の人間を殺すために接近している。
この世界の民は等しく、この男の存在に踊らされてきた。
だからと言って人間の民草が、光り輝く神に逆らえるわけがないではないか。
その反攻を、たった一人でやろうとしている人間がいる。馬鹿だ。大馬鹿だ。
法龍院学。
彼が、人類の意地を示そうとしてくれている。
――やれるのか。
――やってくれ。
――神に、一矢報いてくれ!
神に怯える臆病故に、言葉にできない民の願い。学にそれが伝わるか。
***
「炎神シュルト様、神通力を!」
ノータイムで降り注ぐ神通力が、事態の深刻さを表していた。
人間が戦闘の神と戦っているのだ。炎神も気が気でないという事である。
受け取った瞬間、学の上半身が真っ赤に燃え盛る。
「限界を超えた魔力回路の暴走……人間の最終到達点か」
「来い!邪神トーレス!」
「だが、貴様には足りない物がある。私やダヴールにあって、貴様にはないもの」
学は、トーレスの接近タイミングに先の先を合わせようと狙う。
あと四歩、三歩、二歩、一歩半……。
「シアッ!」
拳が顔面の手前で止まった。
間合いが、半歩だけ遠かったのだ。
名実共に最強の格闘家となった今の学が先の先を見誤るなど、あり得ないことだ。
原因はハッキリしている。
「貴様はぁ……」
ガッカリした顔で、トーレスが学の腕を掴む。
「臆しているのかよ」
「黙れ!」
怒りで恐怖を相殺しようとする学。
左腕を拘束されている。
だが裏を返せば、相手の動きも制限されているという事だ。
学は脚に炎を灯し、強烈無比の炎魔ミドルを蹴り込む。
狙いは、神の金的!
「甘いと言うに……」
掴んだ腕を中心に、トーレスの体が右回転する。
恐るべき力で引っ張られた学の体勢が崩れると同時に、廻りこんだ背中側から臓器へ。
強烈な肘鉄が、撃ち込まれる。
「がふぅッ」
臓器撃。人間のそれだけでも殺人技である。
その上に、トーレスの神性が追加効果として加わる。
外側から打撃が。体の内側から、神性の衝撃が加わり骨が折られかかっている。
ーー折れる!?
骨だけではない。心が折れかかっているのが分かる。
必死に呼吸を整えようとする学に向かって、神が歩を進める。
「降参などしたら許さぬぞ」
「ハァ、フゥーーッ」
「つまらぬぞ人間! 死ぬまで、余に抗い続けろ!」
――許すな、この愚神に屈しようとしている、法龍院学を決して許すな!
炎の階層が一段階大きくなる。
怒りが、そのまま神通力の強さに比例している様であった。
「シィィィッ」
両手足に灯した炎魔が舞い踊る。
花火連撃。ダヴールとの戦いで見せた、炎魔拳の繋げ技。
相手の動きを見て、頭の中で次技の動きを高速で思い描きながら、繋げていく。
蹴りを混ぜるのは、伍撃に一度。
――呼吸を間違うな、蹴りまで繋ぎ終えろ!
右拳左拳右拳左拳右拳、そして振り抜いた右拳の陰から遅れて現れる、炎の右脚。
終着点の六撃目まで、苦心して繋ぎ合わせた学。
だがその時、鈍い、鈍い金属音がした。
最後の炎魔右廻蹴に、トライデントを合わせられたのだ。
脛から足の甲にかけて、神性の衝撃が広がっていく。
思わずその場で座り込んで転げ回りたいような、手の届かない痛み。
「痛ぁぁぁ……」
「無様な。貴様は手数だけか?」
痛みに逆らう様に、トーレスを睨みつける学。
通じない。
半神に通用した打撃が、何もかも通じない。
神なのだから、半神の倍程度の強さだと、高を括っていた。
戦ってみて分かった。二倍ではない。二乗だ。
そもそも持っているものが、スタートラインが人間とは違う。学には、どうしても手に入れられないものが、神々にはある。
「やはり、神性を持たぬ者の力など、この程度と言う事か……」
「何だと……」
「期待していたのだぞ、人間の限界を超えた力。ガッカリだ。ガッカリだぞ人間」
トーレスが、トライデントに輝きを結集していく。
嫌でも、大技が来る事が分かった。
本能か。観客達が、避難を始める。
「我が胸の高鳴りを裏切った罪は重い」
集まった光は、人間の眼では直視できないほどの輝度であった。
人間ならオーバーフロー。だが神ならば、その力すら余裕で器の中。
遂にヴェールを脱ぐ神の一撃に、学は覚悟を決める。
――神性なら、広範囲打撃の筈。避けられん、受け止める!
炎魔を纏った、前羽の構え。正面から、自分の面積分の衝撃を受け切るつもりだ。
現状、人類にできる最大の防御法である。
左右の手が形成した火壁が、学の前面に層の厚い盾を作る。
「ほう、神性の弐拾式をも受け切った最強の盾か」
「スゥゥ……」
「いいだろう、受け切って見よ。我が矛を」
右手に構えたそれは、空色すら白に溶かす輝き。
槍というよりむしろ、破城槌の如き破壊力。
学に向かって、神性・雷神槌撃が突き刺さる。
「ハッハァァーーッ」
――覚悟は、出来ている!
雷の血が混ざった衝撃を、炎盾が受け止める。
神の矛と人間の盾。余りに結果の見え透いた、真っ向からの激突であった。




