第122話:Don't underestimate
――お前の様な神がいてもいい。
師の言葉が反芻する。神の座。永遠の安全と絶対権限。全人類の夢と言ってもいい。
――神になってもいいんじゃないか。
竜騎士も言っていた。
――神になるべきです。
親愛なる同胞も、推奨していた。
魅力が無いと言えば、嘘になる。
だが、法龍院学は、きっぱりと。
「神にはなりません」
きっぱりと、その権利を捨て去った。
蒼が、ショウが、唾を飲み込む。
「よいのか? 神だぞ?」
「はい」
「貴様の師も、神の眷属だった筈だが? 同じ存在になりたいとは思わぬのか」
「師匠は、神の子である事によって、様々な特権を持っていたのだと思います。僕も、そこに憧れた事がありました」
「そうだ。神になれば、様々な事を知れるぞ。それこそ、真理までだ」
学は首を横に振る。
「師匠も苦労していたところがあるようですから。それに」
「それに?」
「今は、妻がいますから。人間として、二人で一緒に生きていきたい。彼女が死んだ後も、一人だけ何千年も生き残るのは、ある種の拷問になる様な気がするのです」
リリィは黙って聞いている。
彼女に出来る事。それは夫の意志を尊重する、ただそれだけだ。
「拷問と来たか。貴様では余の様に、永遠の命を楽しむ事はできぬか」
「はい」
「ハッ、随分と無欲な供物が優勝したものだ。だがその思考、嫌いではないぞ」
戦闘神は静かに笑う。
どうやら、学の考えを受け入れてくれるらしい。
好意を無碍にされた戦闘神が怒り出すのではないか。そう心配していた係員と観客達だったが、杞憂に終わった。
「では、望みを言え人間。約束通り、一つだけ叶えてやろうぞ」
「はい」
この時だ。
この望みのために、師の元を離れ、拳の道を究め、激闘を制した。
法龍院学に、迷いなし。
「黒幕を教えて欲しいんです」
「黒幕?」
「我が故郷であった、日本。そして恐らく私の世界そのものが、戦争により滅びました」
「ん?」
「父は申しておりました。この戦争は『始めた理由が分からない戦争』であると」
「ふむ?」
戦闘神は、イマイチよく分からない、というジェスチャーを見せた。
「しかし僕の考えは違う。戦争が始まるのには、必ず理由がある」
「そうであるな」
「あの悲惨な戦争が、誰が起こしたのか。なぜ、父と母が死ななければならなかったのか。それを知りたい」
「……」
「それが私の願いです」
戦闘神は、椅子に座したまま、頬杖をついて何かを考えている。
いや、思い出そうとしている。
「戦闘神様ならば、異世界の事もお分かりになるのでしょう?」
「その通りである、転移者よ」
「ならば、教えて頂きたい」
「知って何とする」
過ぎた事に拘る学を、心底疑問に思っているのだろうか。戦闘神が尋ねる。
学が自嘲気味に笑う。
「まぁもしかしたら結局、黒幕なんてどこにもいないのかもしれません、でも」
「それでも知りたいと申すのか?」
「はい。憎悪の対象がいないなら、いないでいいんです。ハッキリさせて過去と決別し、妻と未来に進みたい」
毎日の様に見る悪夢。父母を奪った戦争の記憶。
その戦争の根源が、『なんだ、所詮そんな物なのか』という事が分かれば、きっと馬鹿馬鹿しくなる。
そうすれば、悪夢と決別できるに違いないのだ。
これが学の考える、幸せになれる道だった。
「ん~……」
「分からないのですか?」
「いや……すまぬ、情報量が膨大過ぎるのだ……それは、貴様の世界の……西暦? でいうと、いつの話だ?」
学はすぐに答えた。忘れもしないあの年。ハッキリ覚えている。
「2074年です。僕が10歳になったばかりの時でした」
「2074年……ああ、もしかすると『フィンブルヴェト実験』の事ではなかろうか」
「……実験?」
その言葉に違和感があった。戦争ではない。実験。
何を意味しているのだろうか。
「う~む、異世界の事を人間に教えるのは禁止であるのだが……聞きたいか?」
「……」
「ま、何でも望みを叶えると言ったのは余であるからな。他の神から文句を言われるかも知れぬが、責任は果たすとしよう」
そう言うと、戦闘神は人差し指を額に充て、数千年の記憶の中を検索し始めた。
額が光り、該当の項目の発見を告げていた。
「フィンブルベット実験とは、2072年後期から2074年前期にかけて、並行世界No.0x00001B53EF229A6D4434に存在した、太陽系第3惑星であるテッラ……において行われた実験である」
「……」
その辞書を引くが如き説明口調に、学は耳を傾け続ける。
最悪の想像が頭を過り、額から汗が流れる。
「この実験は、戦時におけるある種の心理実験である」
「……」
「ステップは以下の通り。まず、とある大国の人口密集都市へ、政治的敵国からの大規模な同時多発テロを『仕掛けさせる』。また同日同時刻、逆にその大国から敵国に大規模テロを『仕掛けさせる』。その際に人心を操る方法については本実験では問わぬものとする」
「何を、言っている……!?」
「すまぬ、分かりにくいわな」
学が言っているのは、そういう意味ではない。
しかし構わずにトーレスは説明を続ける。
「つまり二つの国に、同時に。それでいて正当な大義名分……引くに引けないダメージを持たせた場合」
トーレスは一拍置いて、学の眼を見る。
「どうなると思う」
「……」
学は自分の頭が、熱を持ってきている事を感じている。
今説明されているのは、ボードゲームの様な机上の空論を語っているのか、それとも……。
「幸いにもテッラに存在する国の数は、最近独立した一カ国を加えると丁度偶数であったため、全ての国同士を余さず戦争状態に遷移させる事ができた」
「……」
「乗り越えるべき課題としては、なるべく戦力が均衡しており、それでいていがみ合っても不自然でない二カ国の組み合わせをおよそ百組作らなければならないという点である。この点についてはまあ色々あったが、結論から言えば解決する事ができた」
「……」
「無論、何もしなければ最終戦争に限りなく近い状態になるであろう事は自明である」
トーレスはここまで説明して、両手をクラップさせた。
「さてこの状態から! 全ての国が客観的思考を持ち合わせ、神の人心掌握魔法に抗って、世界の滅亡を防ぐ事が出来るか否か。これを文字通り神の視点から観測する事が主題である」
ここで、トーレスの話は終わった。
「という実験であったのだ。貴様のお蔭で久方ぶりに思い出したわ。どうだ、面白いであろう」
「何が……」
「何が、とは?」
戦闘神はかつての記憶に興奮している。
法龍院学は、煮えたぎる脳をそのままに、どうしても聞いておかなければならない事があった。
「『仕掛けさせる』とか『遷移させる事ができた』とか……その言い方が、気になるのですが」
「おや。余がそんな事を言ったか?」
「し、主語にあ、当たるのは……どなたなのですか?」
「誰がやったかという事か?」
震える唇に手を当てて、必死に発音する学。
質問をしたのは自分だ。願ったのは自分だ。
だが、その回答は聞きたくない。
「余であるが?」
学の目の前が赤白く着色された。
急に、眼球全体が充血した様な感覚。
「どうした?」
「なぜ……なぜ、その世界で行ったのですか」
「なぜと言われてもなぁ。理由などないわ。並行世界の母数は多いからな。その内の一つをランダムに取り出して、この実験を行った次第である」
全身の筋肉に力が入っては、抜けていく。
「なぜ……なぜ、そもそもなぜ、この実験を行ったのですか」
「はぁ?」
長時間座していたためか、腰をトントンと叩きながらトーレスは、煩わしそうに答える。
「質問が多いな。余は戦闘神ぞ。極限状態の中で戦闘を見物する事を至上の喜びとするものぞ」
「喜び……?」
「人の本質は闘争である。戦闘神とは、程よく戦争を与える者よ。まぁ、この時の経験は、有効に使わせて貰っているぞ。戦を引き起こすにも、バランスという物を考えなければならぬのでな」
「バランス……?」
「やはり、戦力が均衡した上で等しく名分を与えると、行くところまで行くのだなぁ。しかし全力を出し切った闘争が百通り。実に見ごたえがあったぞ、貴様の世界の滅びゆく様は」
学はこの時、師匠ダヴールが、何から自分を守りたかったのか。ようやく理解した。
師は、法龍院学の気性から、法龍院学を守りたかったのだ。
師は、真実を全て、知っていたのだ。
だから、聞かせたくなかったのだ。
父と母の断末魔が蘇る。口の中がヒリヒリする。
十四年間、忘れた事のない感情だ。
「戦闘神様」
「何だ、願いは叶えたぞ」
学は、考えるより先に口を動かしていた。
「もう、一つ。願い事を叶えてはくれますまいか」
「無欲と言ったが、取り消そう。強欲な奴が優勝したものだ」
トーレスは甲高く笑った。
「ま、よかろう。特別だ。一つだけ、だぞ?」
学は、会場を見渡した。
自分を見ている人間の顔を、見ておきたかった。
竜騎士がいる。驚きの眼で自分と戦闘神を向いている。
魔剣士がいる。狼狽している。
同胞がいる。必死に首を振って、翻意を促している様だ。
そして、その横に魔女がいた。眉間に皺を寄せて、泣いているのか、怒っているのかよく分からない表情をしていた。
――やろうね。結婚式。約束だよ。
つい先ほどの言葉が、頭の中で反芻していた。
彼女は今、幸せだと言っていた。
今まで不幸であった分、この後に幸福が待っているはずなのだ。
―-幸せになる方を、選んでください。
同胞・織原蒼が言っていた『幸せになる方』とは。
リリィを幸せにする道だ。彼女を独りぼっちにさせない道だ。これからを、平和に生きていく道。
自分どうこうではない。リリィありきで考えれば、迷う事は無い筈だ。
自分の、故郷の屈辱など、どうでもいいとは思わないか。彼女を幸せにできれば良いとは思わないか。
全てを抱えて、全てを我慢して、何もせずに、彼女の所へ戻ろう。
そう思って、もう一度リリィを見る。
顔つきが変わっていた。真っ直ぐ、学を睨みつけている。
『私を見損なうな!』
眼が、そう語っていた。
お互いの眼を見て、二人は頷きあった。
――忘れないで。私は、味方だよ。
学は、戦闘神へ向き直る。
「もう一つの願いは」
「うむ、申せ」
鮮やかな朱色が、コロシアムに弧を描く。
その朱色は青年の踵に乗り移り、頭蓋を狙った朱色の神通力が、
戦闘神の掲げた左腕に……突き刺さる!
「お前を殺す事だ! 邪神トーレス!」
「……ふふっ、ふはは!」
法龍院学の怒りが、魔術回路を暴走させ、朱色の爆炎を蒔き散らす。
戦闘神の猛りが、黄金色の光を蔓延させる。
世界が、橙色に染まっていく。
「お前だけは、絶対に許さない!」
「最高だ、最高だぞ! 法龍院学!」
金色の三叉槍が、神の手に握られる。
「ふはぁぁッ、いいぞ、この感覚! これだから戦闘は止められぬ!」
「シアァァァアッ!」
槍の切先と、左拳の刻が交差した時。
最後の闘いが、始まる。




