第121話:Prelude
大会終了から一年後。
遂に、法龍院学が決断する日がやって来た。
その日の早朝も、学は菩薩人形へ向けて拝んでいる。
「ふわぁ~、おはよう」
「おはよう」
「今日も今日とて早起きだねぇ」
リリィが遅れてベッドから起きて来る。
これから二人でコロシアムへ向かうのだ。
「どうすっか決めた?」
「うん、まぁ、一応」
「歯切れ悪いなぁ。神になったって、私は気にしないからね」
「うん……」
「あんたの人生なんだから。私はそれを、黙って尊重するだけよ」
リリィが歯を磨き、顔を洗い、化粧が終わるのを待って、二人は家を出る。
そこに、ちょうど良いタイミングで飛んで来た飛龍のタクシーを拾う。
予定では夕方にコロシアムで優勝者による宣言が行われる。その時間までに到着するには、早朝のこの時間に家を出ないと間に合わないのだ。
「行こうか」
「うん」
学がリリィの手を取り、飛龍は出発する。
朱色の光に染まる二人。
二人の行く手を、日の出が祝福している様であった。
***
「そろそろ来るかな?」
会場では、大勢の観衆たちが優勝者である学を待っていた。
場合によっては、新しい神の誕生となる。そうなれば、生誕祭やら何やら色々と準備が要る。
新聞や雑誌の記者達も多く詰めかけている。
「凄い人だな」
「野暮な人達よ。要するにこの世界は暇人で溢れているって事ね」
竜騎士ショウと魔剣士レイムルが、客席の最前列に座っている。
この二人も、何だかんだ気になっているのだ。
「神になった彼と戦ってみるのも悪くない」
「リリィってば神の妻って事になるのかしら? エラい事になるわね」
二人とも、学が神になれば決して悪いようにはならないと思っている。
学の中にあるのは知識欲と食欲ぐらいだと知っているのだ。
***
長い長い時間をかけて、ようやく学とリリィは闘技場付近の森へ舞い降りた。
「少し酔った」
「長時間飛び過ぎたわね……休憩入れるんだった」
学の背中をさすりながら、リリィは背後の気配に気づく。
「わざわざ待ってたの?」
「ええ。一言だけ言っておきたくて」
織原蒼であった。比較的近場に住んでいる彼女は、二人の到着を一時間前から待ち続けていた。
「学さん」
「蒼さん?」
蒼は近づいて、20cm以上高い学を見上げる。
「近い近い」
「私の考えは変わりません。学さんは、神になるべきだと思います」
「……」
「でも、それが正解かまでは残念ながら見通せませんでした。だから信じます。きっと、学さんの選ぶ方が正解なんだと」
「僕の選ぶ方……」
「幸せになる方を、選んでください。決して、間違えないで下さい」
蒼はそれだけ言うと、会場へ一足先に向かった。
残された学の背中を、リリィが強くたたいた。
「大丈夫だよ。何があっても、私がいるから」
「そう、だね」
「迷うな! 大丈夫!」
二人は、蒼の後を追う様にコロシアムへ向かった。
***
夕日が差すG.Gコロシアムの中央で、爛々と光る御神体。
戦闘神トーレスその人である。
VIP席に座って、優勝者の到着を待ち焦がれている。
「来たな」
会場の入り口が開き、観客が一斉に目を向けた。
真っ黒な道着に、真っ赤な帯。彼なりの正装に身を包んだ、法龍院学がそこにいた。
大歓声で迎えられる学。
世界最強の人間。神になる資格を持った人間への、様々な思いが、声に乗って届けられた。
腹にズシリと響くその激に、学は思わずたじろいだ。
「ほら、しっかり」
「ごめん」
魔女が魔拳士を支える。その手をしっかりと握って、上目使いで一言、付け加える。
「一つ、我儘を聞いてくれる?」
「何ですか」
「ここから出る時、あんたが何者になっていたとしてもさ」
学に教えてもらった通り左薬指に嵌めた指輪が、夕日に反射して赤く光る。
「やろうね。結婚式」
「……ああ」
「約束だよ」
「約束だ」
学は小指を立てて、魔女の小指に絡める。
「これは?」
「指切り。約束を絶対に守る意思を示す、故郷の風習だよ」
「素敵だね」
「じゃあ、行ってくる」
「マナブ!」
彼が人間でいられる最後の時間かも知れない。
その名残を惜しむように、魔女は最後にもう一言。
「忘れないで。私は、味方だよ」
左手を掲げて、応える学。
リリィは客席に向かい、学は、中央へ向かった。
思えば一年前。
あの苦しい闘いの三日間を思い出す。
魔薬師を圧倒した。
竜騎士を紙一重で退けた。
同胞の強き望郷心を受け切った。
かつての師と拳で語り合った。
そして、勝ち取った今。
戦闘神の前へ立つ。
「待っていたぞ、法龍院学」
「ご無沙汰しております。戦闘神トーレス様」
深々とお辞儀する学。
「しかと休めた様で何よりである。余の与えた時間も無駄ではなかった様だな」
「感謝しております」
トーレスのお蔭で、この一年間は今までになく充実した日々であった。
その上で出す結論。しっかり悩んで、しっかり考えた。
悔いなど、残らない。
幸せになる道を、選ぶのだから。
「では、聞かせてもらおうか。お前が、何を望むのか」
「はい」
「神になるならそれも良し。神にならずとも、望みとあらばどんな願いでも一つだけ叶えてやろう。時間を巻き戻す以外の事ならば、な」
「それでは……」
学は、その願いを吐き出した。




