第120話:変わらない未来
学は持って来ていた菩薩像に祈ると、森に入って行った。
「どこいくんですかー」
「ちょっと、墓参りに」
森には、自分が大会後に密かに立てた、クライド・クライダルの墓があるはずだった。
暗殺者とはいえ、自分が殺してしまった相手である。
拝んでおかなければ、申し訳が立たない。
「あれ?」
学はクライドの墓に参った後、帰路の途中で別の墓石を見つけた。
勇者ルネサンスの物だろうか、と思ったが、彼は祖国で盛大に葬式が行われたためここに墓はないはずだった。
――となれば、ショウさんに殺されたチョー・ヒリュウの物だろうか? 魔王、って事はないよなぁ。
学はとりあえず、誰とも分からない墓に向かって、手を合わせる。これも日本人の習性であろうか。
もう一人、大会で亡くなっている事を学は知らない。
「あっ……」
その様子を陰から見ていた蒼は、あまりに悲しいすれ違いに、人知れず涙を流した。
何を隠そうこのお墓は、彼女が立てた物である。
――ダヴールさん、学さんが来てくれたよ。
そして、決意を新たにする。
「私が、守らなきゃ」
***
「ただいまー……あれっ?」
レイムルを連れて家に戻って来たリリィは、学の気配がしない事に気づく。
「ホーく~ん」
返事が無い。
居間に行ってみると、机の上に書置きがしてあった。
――学さんは預かった。すいません調子乗りました。ちょっとの間だけ貸して下さい。
蒼の書置きであった。
「ホー君が拉致られた……」
へなへなとへたり込むリリィを抱きかかえるレイムル。
「アオイめ。私の可愛いリリィになんて酷い仕打ちを」
「私に飽きちゃったのかな……」
「そんなわけないって。探しに行こうよ」
「でもあんた、アテがあるの?」
レイムルは腕組みをして考えるが、何も思いつかなかった。
「ま、今夜は寝て待とうか」
***
予知能力の特訓は二日目に入っていた。
しかし学の近未来予知は、やはり短期間では開花しないのか。
蒼と魔狩の攻撃を完全に防ぐ事はできない。
「うーん、もう少し集中しないと無理なのかなぁ。動きながらやってるから……」
そこで蒼は、学に座禅をさせる事にした。日本人なら、座禅で集中できるだろうと言う安直な発想である。
「胡坐じゃだめなんですか」
「座禅で。その方がカッコイイです」
「はいはい……」
逆らうだけ体力の無駄だと悟っている学は、大人しく座禅を組んで、眼を瞑る。
「……」
頭の中に浮かんでくるのは、師であるダヴールの行方や、故郷の記憶。
そして、もう二日も会っていないリリィの事。
――怒っているだろうか。どうやって機嫌をとろうか。食事はちゃんと摂っているだろうか。泣きながら寝てはいないだろうか……。
その時、学の脳内に、鮮明なビジョンが飛び込んで来た。
黒いローブを羽織った、美しい女性がいる。その女性と手を繋いでいる男性がいる。
とても楽しそうだ。どこへ行った帰りだろうか。鼻歌を歌っている様に見える。
ふと、ビジョンの中の女性が振り向いた。その女性の顔は……。
「……見えた」
その発言で、遠くにいた蒼が飛んでくる。
「遂にやりましたか! 何が、何が見えましたか」
「リリィが……」
「ん?」
「リリィが、僕じゃない男と手を繋いで……歩いて……」
ガックリと項垂れる学。
蒼が慌ててフォローに入る。
「な、何かの間違いですよ!」
「いや……何かハッキリ顔が見えたんですけど」
「顔まで?」
蒼は驚愕した。
学はどうやら、近未来予知をすっ飛ばして、遠未来予知の方をやってしまったらしい。
遠未来予知はなかなか起こせない。偶然の産物に近い現象である。
蒼ほどの熟練者なら、未来に起こる事象に近い物に触れる事によって、未来の『電波』を受信する事はあるが、それだって成功確率は低い。
――それを、まさか初心者の学さんが受信してしまうとは。
実は、この遠未来予知こそ、蒼が学にやって欲しかった事なのである。
自分自身の未来を、感じ取って、その未来―-勿論悪い方の未来―-を、変えて欲しかったのだ。
蒼にはそれはできない。学自身の行動の詳細が分からないから、蒼には学の行動が変えられないのだ。
学が自分自身で覚醒して、ベストな道を選ぶしかない。
「さぁ、学さん! ここからですよ!」
そして学は今、覚醒したのかもしれなかった。蒼は期待を込めて振り向く。
が、当の彼は頭を抱えて落ち込んでいる。
「僕に飽きちゃったのかね……」
「そんなわけないですって」
「心当たりが結構ある……」
「喧嘩でもしたんですか?」
学は髪をくしゃくしゃしながら、赤裸々に語る。
「夜に蒼魔法ぶっ放すのやめろって言ったら、あんたこそ痛くするなって怒って、喧嘩になって」
「あんたらが喧嘩したら山が一つ消えますよ」
「痛くない様に気を付けてたのに、まだ怒ってるのかな……このままだと浮気するのかな……」
学はしばらく唸った後、突然立ち上がって叫ぶ。
「帰らないと」
「えっ」
「帰らないといけない気がします」
「ちょっと待って、まだ特訓の途中で」
今の予知で、何かの危機感を抱いたのか。学は入り口に向かって歩き出す。
蒼はそれを引っ張って止めようとするが、体格が違い過ぎて止められない。
「待って下さいってば!」
「あと指輪を、指輪を買わなければ」
「くそう、学さんが何言ってるか分からない! 何で指輪!?」
普段は蒼の言動に学が振り回されていた筈だが、今回は学の行動に蒼が振り回されている。
結局、学は蒼を押しのけて、飛龍のタクシーを捕まえて飛んで行ってしまった。
「あーもう! 前の飛龍追って!」
蒼は慌てて後を追うのだった。
***
「あっ、帰って来た!」
ふて寝していたリリィが、飛龍の羽音に飛び起きる。
「リリィ!」
「ホー君!」
駆け寄って、ガッチリと抱き合う二人。勢い余って回転する。
数日合わなかっただけなのに、まるで七夕の再会である。
「どこ行ってたのよぉ。ひどいよぉ」
「浮気、浮気してないよね?」
噛み合わない会話だったが、一件落着したらしい。
うんうん、と頷いているレイムルの背後に、ようやく追いついた蒼が呆れている。
「たった二日会わなかっただけでしょうよ。どんだけラブラブなんですか」
「分かってないわね。会わない時間が、逆に二人の愛を深めてしまったのよ」
「体中が痒くなるセリフですね」
「で、何してたの?」
指の骨を鳴らす魔拳士。答え如何では承知しないと言う事だろう。
「秘密です」
「性的な事かそうでないかで言うと」
「違います」
「なら、ギリギリ許す」
二人はまだ抱き合っていた。
***
その夜。
リリィに連れられて、学は山の頂上に登った。
「うわ、凄い」
「綺麗でしょ。私の秘密の場所」
背の高い樹木に囲まれた、真ん中の空洞から、星々の光が舞い込んで来る。
「今日は、天気が良かったからきっと星が見られると思ったんだ」
学の肩に、リリィが頬を寄せてくっつく。
「一緒に見れて良かった」
「うん……そうですね」
「どうかしたの?」
学がなにやらそわそわしているのを、リリィが肌で感じ取る。
「今日、嫌なものを見た」
「何を?」
「君を誰かに取られる光景……未来予知」
「私が?」
「僕じゃない誰かと歩く君が見えた」
リリィは顎に手を当てて考える。
――モテ期が来るのかな?
「このままだと誰かにリリィさんを奪われてしまう」
「いやいや、そんな事ないって」
「だから、はい」
小さな小箱を渡す学。
リリィは頭を下げながら受け取る。
「恐縮です……けど、なにこれ」
「え、ここまで来て分からないんですか?」
「分からない。ごめん」
ピンと来ていないリリィに、少ししょんぼりする学。
その様子に焦りながら箱を開ける魔女。
「……指輪? え、くれるの? ありがとう嬉しい」
このイマイチな反応を見れば、もう事は明らかであった。
「もしかしてこの世界にそういう文化って」
「どういう文化?」
「はぁ……」
ここで説明してしまえば興醒めである。後は勢いに任せるしかない。
改めて、リリィの顔を見る。
綺麗な、整った小顔だった。百戦錬磨なのに、目立つ傷はついていない。
ダヴールと激戦を繰り広げたにも関わらず、だ。
学は思う。恐らく師は、自分と魔女が恋仲だと勘違いしたのだと。後に本当になったが。
それで、リリィの体は綺麗なままなのだ。
――敵わないなぁ、師匠には。
改めて師の偉大さを知った学は深呼吸して、丹田に力を込めて、渾身の一撃を見舞う。
「結婚しよう」
「……は?」
必殺が突き刺さった。鋭い、ストレートであった。
魔女は恍けているわけでは無い。予測していなかったから、思考が追いついていないのだ。
「YESかNOで答えて」
「え、でも」
「YESかNO!」
「い、YES!」
答えてから、何に対し何と答えたか、脳の処理が追いつき始めた。
魔女の耳が一気に赤くなる。
「でも……私だよ? 魔女だよ?」
「嫌なら、やめますけど……」
「嫌じゃ、ないですけど……」
暫く、辺りにいる虫の音がリンリン、となり続けた。
静寂の中に、吸い込まれる小さな音。
「本当に、私が……ホー君のお嫁さんになっていいの?」
「他の人に奪われたくないんです」
「……嬉しい」
絞り出した言葉がそれだった。これ以上は言葉にならない。
胸いっぱいの幸せを伝えるため、学に飛び込んでいく。
「私、こんなに幸せでいいのかな」
「今までいっぱい、苦しんで来たんだから……お互いにね」
星光に照らされながら、唇を合わせる二人。
密かについて来ていたレイムルと蒼が、それをしっかり見ていた。
「あー、指輪ってそういう……」
「尊いわ~……生きてて良かった……」
レイムルがまた泣いている。
だが蒼は、複雑な気持ちだった。
「じゃ、私帰りますね」
「祝杯をあげないの?」
「何の祝杯ですか。そもそも私未成年ですから」
蒼は飛龍に乗って帰って行った。
***
その帰路、コロシアムに立ち寄った蒼は、中央の土に触れる。
そして、未来の電波を受信した。
もしかしたら、あの幸せそうな二人なら、これから起こるビジョンを変えられるかもと思った。
しかし。
「やっぱり。同じ予知だ……」
脳内に飛び込んで来る、そのビジョンを見た。
学が、自分の足元に転がっている光景。
そして、その日はやってくる。学が、決断をするその日が……。




