第115話:最強の称号
「何やってんだ、私……」
ベッドで枕に顔を埋める魔女がいる。
彼は、自分の作った料理をおいしいと言ってくれた。平らげた。
それを見ているだけで、本当に幸せな気持ちに包まれた。
なのに。せっかく、途中まで上手くいっていたのに、詰まらない事で台無しにしてしまった。
彼が悪いのではない。笑って「いいよそんなの」と言えない自分の器の小ささに、リリィは辟易する。
その時、ノックの音が聴こえてきたので、慌てて毛布を被る。
「あのー……」
ドアを半開きにして、学が覗きこむ。
「お、お皿を洗っておきましたので、一応ご報告を……」
「……」
「ごめん。よくわかんないけど、傷つけちゃったみたいで……」
「出てって」
「え……」
「出てってよ!」
怒鳴られたがために、逃げる様にドアを閉める学。
五秒くらい経った後、リリィは再び枕に飛び込む。
――ああ~今仲直りするチャンスだったのに! 何で怒鳴っちゃうかなーー!?
自分が怒ってしまった手前、すぐに素に戻って反省している事を、学に悟られるのが恥ずかしかったのだ。
***
その夜。泣きながらベッドに横たわっているリリィ。
ずっと考えているのは、明日の第一声をどうするかという事だった。
――開き直って『おはよう』でいいのかな……でも、流石に謝らないのは不味いかな……どうしよう、嫌われたくないよ……。
眼を閉じて、あれこれ作戦を考えているうちに、いつの間にか夢の中に堕ちていく。
その夢の中で……。
――リリィ。
母の声がする。
――起きなさい、私のリリィ。
「おかあ……さん?」
――立ちなさい、リリィ。立ってドアを開けなさい。
「……」
今日の出来事により、精神が弱り切っている魔女は、素直にその暗示に従っていく。
ドアを開ける音が、暗闇に支配された廊下に響く。
――居間へ向かいなさい。
そこまで細かく指示されたわけでもないのに、ゆっくり、足音を立てない様に居間へ歩く。
真っ暗だが、家具の位置は体が覚えている。
学がソファで睡眠を取っている事も。
――さぁ。取り返すのよ。『最強』の称号を。
「……」
学は、寝息を立てて眠っている。お母ちゃん、お父ちゃんと寝言を漏らしながら。
その無防備な『最強』に向けて、魔女は震える掌を向ける。
――殺しなさい。
掌から、青い光が漏れる。
――殺しなさい。あなたは良く頑張ったわ。あなたの乙女心をふいにする、酷い男。殺したって、バチは当たらないわ。
「私……私は……」
魔女の蒼魔が、球を造り出したその時。
ソファのバネが、バウンドする音がした。
「っ!?」
ギシギシと、跳躍の余韻が残されたソファの上から、学が消えていた。
「動くな」
リリィの頸椎が、右手でつままれている。
発汗が止まらない。
何と言う男であろう。ソファに寝そべった状態での、先の先。
暗示にかかったリリィが神通力を放つ、その数瞬先。それを眼を閉じた状態……どころか浅い睡眠状態から計って、そのタイミングで動いて見せた。
ショウとの死闘。蒼との激闘。そしてダヴールとの決勝が、学のセンサをここまで研ぎ澄ませてしまったのか。
「動けば、頸椎を捻じるぞ」
「……ホー、君?」
ここでようやく、リリィの暗示が解けた。
暗示とは言え、自分の意識が少し残っている状態だったのが、彼女にとっての不幸だった。
自分が、彼を殺そうとしたという自覚だけが残されたのだ。
「……」
「何で、こんな事をするんですか?」
「……私が、魔女だから」
リリィは言い訳しない。何を言っても、説得力が無い事が分かっているから。
「あんたの持つ、最強の称号が欲しかったのよ」
「嘘だ」
「嘘じゃ、ないわよ……」
「ちゃんと話してよ、リリィさん」
強がり虚しく、学には見抜かれていた。
泣き崩れるリリィは、母が自分にかけた、一族伝統の暗示について全て説明した。
魔女は、最強を証明して、死ななければならないと。
だから、最強である学が近くにいたら、リリィは学を襲ってしまうのだ。
「私……どうしたら」
「だったらさ」
学は大の字になってソファに寝ころんだ。
「僕を倒せばいいんですよ。ほら」
「そんな事……」
「僕は最強の称号とか、どうでもいいですから。ほら」
学は自分を犠牲にしようとしている。死なない程度なら、痛めつけられても良いという意思表示。
だが、リリィは首を横に振る。
「無理、だよ……」
「何故。他に方法はないんでしょうよ?」
「……」
「大丈夫。死にませんから。ほら」
リリィは強く首を振る。涙が左右に散った。
「なんでダメなんですか。簡単な事なのに」
「無理だよ。私……あなたが、好きだから」
お互いの体に緊張が奔った。
リリィは顔を膝に埋める。学から表情が見えない様にするためだ。
「ごめん……もう、私達一緒にいない方がいいんだよ」
「……」
「ごめんね。もう明日から、離れて暮らさなきゃ。だから、最後に一度だけ……」
リリィは学の脇腹に手を回して、抱き着いた。別れの抱擁のつもりだった。
学もその意を汲取って、彼女の肩に手を回した。
――悔いはないよ。自分の気持ちは、伝えたんだから。
***
学は、準決勝前の事を考えていた。
リリィに冷たく当たったのは、彼女と決勝で当たる事を考慮しての事だ。
師・ダヴールにリリィは敗ける。その公算が強かったとしても、万が一。
二人が決勝で当たってしまえば、お互いに譲れないものがある。つまり、殺し合いになる。
だから、彼女を突き放した。
結果、今二人は生きている。
これからも、離れて暮らせば、きっと生き永らえるだろう。
離れれば……。
「ありがとう、ホー君」
最後の抱擁を終え、リリィは満足した。
だが、学は手を放さない。
「もういいよ、ホー君」
学はその言葉を聞いて手を放した。
しかし、拘束は解かなかった。解いた腕を彼女の肩に回すと首を傾げる様にして、目線を合わす。
「ホー君?」
ゆっくり、静かに眼を閉じて。リリィと唇を重ねた。
何が起きているか、魔女は一瞬分からなかった。
母の呼ぶ声がする。
――殺しなさい!
「んっ……んん」
蒼魔法を宿した手で、学の肩を掴み、空間を作ろうとする。
だが、学の力は強い。
百キロを超える握力と、三百キロを超える背筋力が、リリィを掴んで放さない。
「んっ!」
もがいて離れようとするリリィへ、学が語り掛ける。
「何を勘違いしているんですか」
「えっ」
「あなたに、僕が殺せるとでも?」
学は腕に力を込めて、リリィの体を地から浮き上がらせる。
ジタバタする魔女など可愛いもの。
「仮にも、竜騎士を倒し、狩人も倒し、まぐれとはいえ半神も倒してる男に対して」
「……」
「魔女ごときが、何ができるんですか」
「ホー、君……」
「大丈夫。殺されないよ」
そのまま、ソファの上に、仰向けにリリィを押し付ける。
「待って」
「待たない」
――殺しなさい!
「駄目!」
暗示によって、強制的に放たれる蒼魔法。それを学は、真正面から受け止めた。
「ほら、大丈夫」
「でも……私は、魔女だから」
「関係ない」
「辛い事になるかもしれないよ?」
「それでもいいよ。故郷を砕かれること以上に、辛い事なんてない」
学は、リリィに覆い被さるようにして寝そべる。
「嫌なら、やめるよ」
「……」
「リリィ」
「嫌じゃ、ないです……」




