第114話:魔獣クッキング
顎の固定を外した学が医療所から帰って来たが、思いの外テンションが低いのでリリィは驚いた。
「ただいまぁ」
「お帰り。何でそんななの? もっと喜びなよ」
「ん~、何か違和感があるんですよ。自分の顎じゃないみたいで」
飛龍のタクシーを使ってコロシアム付近の医療所まで遠出したためか、学は疲れていた。
それもそのはず、まだまだ蒼やダヴールから受けたダメージが残りっぱなしなのだから。
「私は嬉しいよ。ようやくホー君とちゃんと話せる」
「魔術回路の治療の時は凄く煩くなりますけど?」
「あー……それはありそうだね」
魔術回路の治療は叫び出したいほど痛い。
神経を弄っているのとほぼ同義である。
「まぁ、顎の骨折って言っても元々下顎の一部が砕けただけだったんだし、すぐに慣れるでしょ?」
「この苦しみは伝わりませんよ……取り敢えず歯を磨きます。内側を慎重に」
「ローテンションだなぁ」
その弱った後ろ姿を見て、心の中の魔女が、また脳内で囁いた。
―-今が好機よ。彼を殺して、『最強』になりなさい。
「……黙れ」
誰にともなく呟くリリィだった。
***
次の日のリモンド家。
外が騒がしいのでリリィが覗いてみると、見知った顔が一人と、見知らぬ顔が大勢いた。
「ホウリュウイン出せやぁぁぁ!」
「この人数でかかれば絶対勝てる! 最強の座はもらうぜ」
「ちょっと、何なのよこれ! お尻触んないでよ!」
なんと三百人の野蛮人達が玄関先に集まっていた。その先頭にいたのが、織原蒼であった。
「アオイ、何これ……」
「見舞いですけど?」
「いや、あんたはそうだろうけど」
「私に聞かれても困るよ。学さんに挑みたくて集まって来た奴らでしょ?」
鬱鬱とした学が、玄関から出てくると有象無象のテンションが上がった。
「うおおお!」
「かかれぇぇ、殺せぇぇ!」
学は相変わらずサツマイモの様な色をした上半身を晒すと、無気力な構えを取った。
「蒼さん、リリィさん、三等分で」
「合点承知の助です」
「はいはい」
ものの五分で、三百人は倒された。
ローテンションのまま百人組手を成し遂げた学は、ローテンションのままソファに戻っていく。
「元気ないですね? 普通戦いを経たら、ハイテンションになるものですけど」
「何か食欲が戻らないらしくてね。いっぱい食べれると思ってたからショックだったみたい」
「ふーん……」
――わりと重要な話をしに来たんだけど、今は話せる雰囲気じゃなさそうね……。
蒼は日を改める事にした。
「今日は帰ろうか、魔狩」
「悪いわね」
「また学さんが元気な時に来ますよ。へい、タクシー!」
飛龍を拾うと、愛犬と共に去っていく蒼。
――う~ん……あんまり柄じゃないけど、やるか。
リリィは何とか、学の元気を取り戻したかった。
***
「ただいまぁ」
術後経過一ヵ月が経った頃、通院から戻った学に衝撃の光景が現れた。
「えっ、何ですかこれ」
食卓に料理がずらりと並んでいる。
魔獣のカラアゲ、神魚の塩焼き、コカトリスの卵焼などなど、学の好きな物ばかりだった。
「リリィさん、一体どうしたんですか?」
「いや、その……そろそろ顎に慣れて来たでしょ? 好きな物だったら、お腹いっぱい食べられるかなって」
「え、僕のために?」
「他に誰がいるのよ」
リリィは心臓をバクバク言わせていた。
先程味見をしたところ、全体的に味が『濃ゆい』。量産性を重視して、味の調節を大雑把にしすぎたのがまずかったのか。
「……」
学がそうっと、カラアゲをつまみ、口で先端を齧る。
緊張した空気の中、出て来た論評は。
「……美味しい」
二つ、三つ。顎への不安も忘れて、一気に口の中へ放り込む。
飲み込むと、更に三つ投げ込んだ。
「凄い! 何で僕の好きな味付けが分かるんですか!?」
「あっ、いやそれはマグレで」
「師匠と同じ味だ!」
どうやら半神独特の濃い味付けと共に育って来た学にとっては、リリィの調節が丁度いい塩梅だったらしい。
みるみる内に消えていく料理と、涙を流しながら食べる学。
「そ、そんな泣くほど?」
「だって、久しぶりだったから……」
泣きたいほど嬉しいのは、実はリリィの方だった。
学にこんなに喜んで貰えるとは、正直思っていなかったから。
「ごちそうさま」
「はやっ!?」
ヘビー級の学にとって、リリィの作った『大量』を平らげるのは二十分とかからなかった。
「ありがとう、ありがとうリリィさん」
「いや、それほどでも。私だってレイムルほどじゃないにしろ、料理本とか結構読んで味付けとか研究して、まぁそれほどでも私、だって私」
「じゃあ、お礼にこれを」
そう言って、学は金塊を一つ机の上に置いた。
その瞬間、リリィの心が一気に冷えた。
「……なにこれ」
「今まで居候させて貰って、いっぱい世話になりましたから。お礼です。いつまでもここにいるわけにもいかないし」
「……」
小さく、溜め息をつく魔女。
「ホー君さぁ」
「はい?」
「何でそういうことするの?」
リリィは、お金を貰うために頑張って料理を作ったわけではない。
ただ、学に喜んで貰いたかっただけなのだ。
その心意気をお金でイーブンにしようとされる。その事が悲しかった。
イーブンにする必要など、ないのに。
「え、何で怒ってるんですか」
「いいよ、もう」
「だから何で」
自分の行動が彼女の気分を害してしまった事ぐらい、学にも分かる。
だがここで出した物をしまう事は、もっと最悪である。要するに、もうどうしようもない。
「面倒くさい女だと思ってるんでしょ?」
「いや、それは……」
「はぁ……ごめんね。私が悪いわ」
リリィは寝室に去ってしまった。
――う~ん、しまったか。
どうやら傷つけてしまった事に、学は遅まきながら気づいた。




