第113話:天才只今治療中
「んー! んー!」
法龍院学は呻いていた。完全に固定された両手両足。
一切身動きの取れぬ彼に、魔の手が迫る。
「う、ご、く、な!」
「んんー!」
リリィは震える手で透明な爪楊枝の物を取り出すと、学の腕に刺す。
苦痛に歪む男の顔を無視しながら、そこに神通力を送り込む。
すると、もう一本突き刺されている柱から、派手に炎魔法が出力された。
「ふむ、なるほど。ここが導通している……っと。大分解析が進んで来たわね」
魔女が白版に書いた人体図、その腕の部分の該当箇所に○を二つ記録する。
「んにー!」
「誰が鬼よ!」
傍から見ると魔女が学を拷問している様にも見えるが、これはれっきとした治療である。
短絡箇所を見つけ、その導通を切る。その繰り返しである。
「じゃあ今日のイタイイタイいくよホー君。顎があれだから、歯は食いしばらない様に」
「んー!んー!」
もちろん切るときは痛いので、麻酔が必要だ。
抵抗する学の腕をガッチリキャッチして注射する。
ただし、この世界の麻酔は効き目が弱い。ハッキリ言ってほとんど気休めである。
学の冷や汗が止まらないのはそのためだ。
「せーの……ほっ!」
「ん”ん”ん”ー!」
涙腺を爆発させる学を見ない様にして、魔女は線をハサミで切った。
切った痕に、蒼魔法をかけた絶縁被膜で覆い、切り口を縫って閉じる。
「はい、今日はここまで」
「んん……」
まだ顎の固定が外れない学は、魔女に体を弄ばれた疲れからグッタリきていた。
「ンンんんん」
「趣味悪い? いやいやいや、好きで弄んでるわけじゃないのよ。分かってるでしょ?」
「んッン」
「だってじゃない! 誰のためにやってると思ってるのよ。助手、拘束解いてあげて」
「へいへーい」
助手のトーマス・フルスロットルが拘束具を操作し、ロックを解く。この拘束具は彼の力作である。
学が万全の力なら、それすらも引きちぎってしまうだろうが、今の彼は戦いの疲れからそこまでの力は出ない。また、そのつもりもない。
「んん~」
ようやく体の自由を取り戻した学は、両手を掲げて大きく伸びをする。
「はい助手、今日のバイト代」
「いただきやす。これで新型の完成に一歩近づけるね」
「カッコイイのが出来るといいわね。あなたは優秀な助手だから、いつでも歓迎するよ」
「えへへ。じゃ、俺はこれで」
去っていく技術士を見送る魔女。
居間に戻ると、学の視線を感じる。
「ん」
「え、何? 嫉妬してる?」
失言だった。本気で睨まれたので、慌てて話題を変えるリリィ。
「ま、魔術回路の短絡だけどねぇ? 上手い具合に絶縁出来る様に計画立てて切ってるから、もうちょっと時間かけるわよ?」
その時、外に新たな人の気配がした。
「魔女さん、いるかい?」
「はいはい、今出ますよ」
溜め息をついて、玄関に回るリリィ。
リモンド家に来る来客。その割合のほとんどは……。
「最強の座、貰いに来たぜ」
「はぁ……またか」
挑戦者である。最強の代名詞である魔女。
その魔女たる彼女を倒せば、自分が最強を名乗れると思ってやって来る輩がいるのだ。
「はいはい、相手したるわよ」
常在戦場の女、リリィ・リモンドはいつ、誰の挑戦でも受けると決めている。
だが。最近は、その気合いが空回る。
「いや、あんたじゃない」
「え……」
「いるんだろ? ホウリュウイン」
その名前に、リリィは青筋を立てた。怒鳴る様にして学を呼ぶ。
「ホォォォォーーー君! まーたあんたにお客さんだってさぁーーー!」
「んんー」
出て来た学の覇気の無さを見て、挑戦者は笑う。
「何だ何だ、世界最強の人間が、今はこんななのかよ! これなら、俺でも勝てるぜ」
学はYシャツを脱いで、リリィに渡す。下半身はジーパンに近い、この世界で流通しているズボンを穿いている。
露わになった上半身は、紫色に変色していた。
ダヴールとの決勝で、幾度となく浴びせられた打撃と魔撃。
二週間経っても、まだダメージが残っている。このまま元に戻らないのではないかとさえ思える。
折れた左の指も、まだ固定したままだ。ハッキリ言ってしまえば、戦える状態では無い。
「おいおい、楽勝じゃん。これじゃ弱い者いじめになっちまうぜ」
「んんんん」
「やめとけってさ」
「悪いな、今日から俺が世界最強だ!」
一歩男が前に出た瞬間、学の眼の色が変わった。
「がふっ」
「うわ、汚っ」
次の瞬間には、吐瀉物が玄関前にまき散らされていた。
先の先。相手が技を出すより先に、学が中段前蹴りを鳩尾に見舞ったのである。
触れたのはたった一瞬なのに、余りの蹴速に耐えきれず、男の内臓がグチャグチャにかき回された。
――何が、起きた!?
いつ動いたのか。全く分からなかった。
学が『分からないタイミング』を狙って出したのだ。
相手が動く頃合いを見切って、相手の動きより速く攻める。先の先は、実力差のある相手程嵌り易い。
今の学なら、誰が相手でもほぼ決められるのかもしれない。
「片付けて帰らないと消し炭にするわよ」
「ひゃ、ひゃい……」
リリィは、残心を解いて戻って来る学を見る。
――強い。今は二割の力しか出ない筈なのに、これだ……。
魔女の眼になっていた。
もはや世間では最強と言えばリリィではなく、学の事を指している。
彼女にとっては、非常に複雑な気持ちだった。
本当は、嫌々務めて来たはずの魔女。嫌々なったはずの最強。
その称号が、あのトーナメントで奪われた。
奪われて良い。奪われるその瞬間までは、そう思っていた。堅苦しい称号なのだと。
だが、今の自分はどうだ。
喪失感ではない。自分が何者でもない感覚。
乙女でもない。魔女でもない。……何もない。
今までは最強の称号があったから、女でなくても精神の均衡が保てていた。
今は、その称号は、目の前の男に……。
「……」
学が、また自分を見ている。その視線で、リリィは自分が学に向けて気を放っている事に気づいた。
***
「来週はようやく顎の固定が取れるねー」
「んん」
夕食。リリィは学から隠れる様にしてパンを食べているが、学はストローからスープを飲んでいるだけだ。
余りにも悲しい食事であった。
これを二週間も続けて来ただけに、遂に顎が自由になると思うと嬉しくてたまらない様子だ。
「まずは何がしたい?」
「んんんひ」
「歯磨きかぁ」
歯が磨けない事で、学はずっとイライラしていた事をリリィは知っている。
そう思って、彼女は街に降りて歯ブラシを買って来てあげていた。それを使う時がもうすぐ来るのだ。
「きっと狂った様に磨くんだろうね」
「んん」
「他には?」
「ほほん」
「ごはんかぁ。そうだろうね」
ずっとパンを混ぜたスープと水を飲むだけの生活を強いられていた学。
これまた、狂った様に暴飲暴食するに違いない。
何しろ180超の長身である。食欲も並ではない。
「お腹いっぱい食べるといいよ。ホー君は何が好き?」
「んんーほんんんん」
「魔獣のカラ揚げ? ほうほう。他には?」
「ひんほのひほんん」
「神魚の塩焼きね。私も好きだよ」
***
後片付けを終えたリリィは、入浴中に物思いにふける。
「料理、かぁ……最近全然やってないなぁ」
リリィは、学の好物を一通り聞いて(と言っても彼に好き嫌いはほとんどない)、自分に作れるものも含まれている事を知った。
もし顎が治った学に料理を作ってあげたら、喜んでもらえるかもしれない。そんな考えが浮かんでくる。
「いやいや、魔女が料理って。ないわー」
風呂から上がると、学が椅子でうつらうつらと船を漕いでいる。
「ホー君、上がったよ。次入っていいよ」
「んー……」
「おーい」
無防備な姿であった。完全にリリィに背後を許している。
普段の学なら、仮に寝ていても背後は奪われないだろう。リリィに気を許している証拠だった。
その時、リリィの脳内に声が響いた。
――どうしたのリリィ。『最強』が目の前にいるわよ。
ドクン、と心臓が跳ね上がる。
母の声がする。死んだはずの母の声が。
――さぁ、殺しなさい。あなたが『最強』になるのよ。
「はっ、はっ」
魔女とは『最強』の座を切望する一族。その長年にわたる刷り込み教育の産物であった。
震えながら、掌に神通力を浮かび上がらせるリリィ。
学は、まだ突っ伏している。
蒼魔法が、掌に球を作る。
――やるのよリリィ。『最強』じゃないあなたなんて、何の価値もないのだから……。
「ハァ……ハァ……違うっ!」
「んん?」
学が眼を覚ました。リリィは急いで掌を背中に隠す。
「お、お風呂空いたよ」
「んんー」
のそりと立ち上がって歩いて行く学の背を、魔女の眼をした魔女が、後ろめたそうに見つめていた。
――何やってんだ、私……もう自分が分からないよお……。




