第103話:出陣
「ふあっ」
涎を垂れ流して眠っていた(というより気を失っていた)学が、ようやく覚醒した。
時計を見る。寝る前に狙った通り、三時間+αの睡眠を取れた。
あとの一時間弱をウォーミングアップに使える。
蒼との激戦で増えた青痣の数々を、一つ一つ指で押してみる。
痛い事は痛いが、睡眠を取ったおかげで痛みが体に馴染んでいる。これなら、折れている指以外の部分は言う事を聞いてくれそうだ。
学は何とか、壊れそうだった五体を支配下に取り戻したのだ。
「ふぅっ、夢は余計だったけどな」
体力を取り戻し、多少ダメージを癒す事はできた。
が、夢のせいで嫌な事を思い出した。今から殺し合う師との記憶。
あのダヴールとの日々が今の自分を造ったのは、紛れもない事実なのだ。感謝していないと言えば、嘘になる。
――それでも戦わなければならない。優勝して、そして僕は……。
学は立ち上がり、横のベッドに目をやる。
魔女は相変わらず、仰向けで寝ている。ゆっくり近づいて、また髪を撫でる。
「僕の言ったとおりでしたね、師匠。あなたは魔女を強く厳ついと予想したが、彼女はこんなに可愛くて儚い」
誰もいないはずの空間へ、ダヴールへの言葉を投げつける。
自分へ言い聞かせているのだ。師が間違っていて、自分が正しいのだと。
「僕は、間違っていない……この知への欲求は、間違いなんかじゃない」
学は汗をかいたインナーを着替えて、籠手を持ってアップに向かう。
医務室を出ようとした時、壁側に寝返りをうったリリィに振り返って、小さく声をかける。
「生きて帰ってきたら、もう一度……きちんと、あなたと話したい」
扉を閉める学。残された病室のベッドでうつ伏せになっている魔女の耳は、真っ赤になっていた。
***
四時間も待たされている会場には、様々な面子が顔をそろえた。
竜騎士ショウ・デュマペイルは自分を負かした相手が決勝まで来た事で、多少の溜飲を下げた様子。
魔剣士レイムルも同じ気持ちだ。
「賭けるならどちらに?竜騎士様」
「それはもちろん、ホウリュウイン君に」
一見、相反する二人見解と思われた。
「と、言いたいところだが」
「そうね。ダヴール様との戦力差は、万全だとしてもあの武術家に埋められる物じゃない。何しろ、本物の神性を持っているんだから」
「神性……人には届かない領域なのだろうな。今までの戦い方を見ても、基本的に相手の力を引き出す余裕があった」
一回戦で学に負けたジョン博士や、蒼に葬られたマルカーノ、車椅子を使って観戦に来たトーマスらも、同じ見解の様だった。
「私達が願う事は一つだけ。あの人には、生きて帰って来て欲しい」
「そうだな。俺も、あの男とはもう一度死合わなければ気が済まん」
「いや、そういうのじゃなくてね」
レイムルが祈っているのは、リリィの幸せである。
***
ダヴールは通路を歩いている。
人間の体と違って、神性装甲は四時間では雀の涙ほどしか回復しない。
リリィに傷つけられた部分は、ほぼそのままである。
「法龍院学、か」
ダヴールもまた、過去を回想し終えたところであった。
そんな中、通路に人影がある。気絶から目覚めた織原蒼であった。
「何か用か、織原蒼嬢」
「……すみません。期待に応えられずに」
その物言いに、ダヴールは強面に似合わず笑みを漏らす。
「全て分かっている、という感じのセリフだな」
「いえ、そんな事は。あの、どちらを応援するってわけじゃないですけど……あなたも、頑張って下さい」
そう言って、蒼は握手をしようとダヴールの手に触れた。
その瞬間、彼女の脳内に痛烈なイメージが流れ込んで来る。
未来予知。そのビジョンが示した物は。
「えっ!?」
蒼は驚いて手を放す。
ダヴールはゆっくり頷いて、再び歩き始める。
「まさか、あなたの守りたいものって」
「祈りなど、力になるか分からんが」
ダヴールは、光の中に溶け込んでいく。
「私の勝利を、祈っていてくれ。きっとそれが、一番良い結果なのだ……」




