第100話:呼び醒まされた記憶
「はい、これで何とか出血は止まりましたよ」
「ありがとうございます。あと、できればこの子もお願いします」
「え、犬!?」
「じゃ、よろしく」
学は治療を終え、闘技場で倒れていた魔犬を看護婦に手渡すと、睡眠をとる為ベッドへ向かった。
「あ、そっちは……」
看護婦の声かけは一歩遅かった。
カーテンを開けると、そこに横たわっていたのは魔女・リリィリモンドであった。
弱っているとはいえしっかり呼吸している。その姿を見て、学は胸を撫で下ろす。
「なんだ。本当に生きてたんだ」
浅い息継ぎの音が聴こえる。まだ眠りから覚めていない様だ。
脇腹に巻かれた白いギプスが見える。
学は何の気なしに、彼女の髪を軽く撫でた。
二回戦でボブまで切ってしまった髪は、今なお透き通る青色の美しさ。
その青が、彼に一瞬の安らぎを与えた。
「う……」
「すみません。起こしちゃいましたか?」
「ホー……む……」
起きかけたが、再び首を横に倒す魔女。
「起きてても寝ててもいいから聞いて欲しいんだけど」
学は彼女の都合に関係なく話しかける。
「今朝はごめん。でも僕はリリィさんと戦う事にならなくて、良かったと思ってるよ」
「……」
「じゃ、おやすみ」
学は隣のベッドでタオルケットを羽織って睡眠をとり始めた。
寝ころんでから寝息を立てるまで、ほとんど時間を使っていない。瞬間熟睡術と言えば聞こえは良いが、実際にはほとんど気絶である。
彼の負っているダメージを物語る光景であった。
入れ替わる様に起き上がるリリィは、脇腹の痛みに苦しみながらも学の頭をそっと撫でる。
前髪が目前に垂れないよう後ろで纏めていたバンドを解き、ミディアムな黒髪が広がっていく。
「あんたと戦わないという事は、魔女としての私は敗けたって事よ」
撫でていた学の黒髪を掴み、全力で握る。泥の様に眠る学は起きない。
「あんたと戦えない悔しさと、貴方と戦わなくて済んだ安堵。この相反する気持ち、あんたの世界では何て言うのよ……!」
リリィは誰も見ていない今だから、涙を流す。
――魔女としても、女としても駄作。もう、私なんか……私なんか……!
***
夢の中を、歩いている子供がいる。
14年前。
某国からミサイルが複数発射されたというニュースが、日本中を混乱させていた。
一年前から突如始まった世界大戦。平和主義国日本にさえも、弾頭の雨が降り注いだ。
理由は一般人にはシャットアウトされていた。
どの国も、降りかかる火の粉を払ったと言わんばかりに戦争に突入していった。どこが味方で、どこが敵かも分からない。終わりの無い地獄。そんな風に思えてならない。
シェルターに逃げ込む者もいる。諦めて家に留まり、最後の時を待つ者もいた。
その子供も、混乱に巻き込まれた一人であった。
「お願いします、この子だけでも入れてください!」
満員を迎えたシェルターの番人に懇願する母親。父親は別のツテを探している。
が、一事が万事。当然であった。一人を受け入れてしまえば、次々に人が押し寄せてくるのは目に見えている。そうなっては自分達の身も危ないと考えれば、突っぱねる他はない。
「お願いします、お願いします」
「お母ちゃん、僕は大丈夫だよ。あっ、お父ちゃんだ」
父親が合流するも、成果は無かった。どのシェルターも満員らしい。
「こっちもダメか……」
「どうしようあなた、何とかこの子だけは」
「逃げよう。とにかく遠くへ」
その夜は、郊外にある借り倉庫へ逃げ込んだ。シェルターほどではないにしろ、自宅よりは頑丈なはずだ。
父親は、煙草に火を付けると愚痴り始める。
「正直な話、この世界はもう終わりさ」
「何を言うのあなた」
「職業柄、耳に入って来るんだよ色々とな。これは、『始めた理由が分からない戦争』なんだってな」
「何、それ……」
子供は菩薩の人形に日課の祈りを捧げ終わると、毛布に包まりながら両親の話を聞いている。
「誰が、何のために始めたかも分からない国際戦争さ。始めた理由が分からないのに、どうやって終わらせられる? 全ての国に防衛という大義がある。そんな矛盾を抱えたまま、行き着くとこまで行くだろうさ」
「じゃあ、もう」
「ああ。ハッキリ言ってあんなシェルターなんざ、役に立ちはしないよ。敵を倒すっていう本物の『悪意』を含んで開発された弾頭が、あんな皮何枚重ねたところで防げるもんか」
もぞもぞと動きながら、子供が両親の間に移動して来た。
「僕、お父ちゃんとお母ちゃんと一緒がいいよ」
「そうね」
「悪い奴は僕がやっつけてあげるよ。僕は強いんだから」
「そうだな。いっぱい稽古して、いっぱい優勝したもんな」
「えへへ」
「そろそろ寝るか。この子を壁際へ……」
その夜は、三人川の字になって寝た。
こんな終末寸前の状況であっても、大好きな両親と一緒に居られれば、この子には平気であった。
そして。その夜の闇が、突然反転し昼間になる。
「子供を守れ!」
「逃げて!」
市街地はとっくに飲み込まれ、シェルターごと壊滅していた。
この家族の逃げて来た郊外は、光と闇の丁度境目。飲み込まれた両親。生き残った子供。
「え……」
母親の手が、父親の眼が、遅れて足元へ飛んで来た。
十歳の子供の脳裏に去来したのは……憤り。
「殺してやる……」
次の弾頭が届き、子供改め孤児は光に包まれた。
「殺してやるぁぁ!!」
***
「お父ちゃん、お母ちゃん……どこぉ」
10歳の孤児は荒野で一人目を覚ます。
壊れた筈の世界で何故自分が生きているのか疑問も持たず、自分が異世界に転移してきた事実も認識できず。
孤児はただ、空腹を満たす為にとぼとぼと歩く。
「ウウ~……」
唸っている野良犬がいる。無視をして歩く。
「ウウウ~……」
唸っている野良犬がいる。無視をして歩く。食べ物は見つからない。
「ウウウウ~……」
唸っている野良犬がいる。無視をして歩く。歩けば歩くほど腹が減るせいで馬鹿馬鹿しくなり、止まる。
「そっか……君も同じなんだ」
孤児は大の字になって寝ころぶ。野良犬は孤児の周りをぐるぐると廻り始めた。
「疲れちゃったよ。さあ、お食べよ」
野良犬の描く円が小さくなっていく。
孤児の疲労が擬態でない事を確信した野良犬は、遂に獲物に飛びかかる。
夜風に乗って血飛沫が舞った。
寝そべったのは、孤児の仕掛けた罠であった。野良犬の牙をギリギリのところで避けた孤児は、頸椎をキャッチした。
折ろうと力を入れるも、子供の力では難しい。
「グルルル!」
「暴れるなよ! 僕が勝負に勝ったんだ、大人しく僕に食べられろ!」
「ギャン、ギャン!」
「こいつ、悪あがきするな!」
その時、石が孤児の足元に飛んで来た。
気を取られた孤児の手から野良犬はすり抜け、逃げて行ってしまった。
「誰だ! 何てことするんだ!」
前方から、巨大な人影が表れる。
ゆうに2mは越えているであろう、黒いマントにフードを被った巨人であった。
だが孤児は臆せず恨み言を吐く。
「よくも、食事の邪魔をしたな!」
「シラテ、エウノド」
「何言ってるか分からないんだよ! 日本語話せないならどっかいけ!」
「チミオナ、ロヒケタ」
「分からないって言ってんだろ! 消えろよ!」
「言葉が分からないか。どうやら、転移してきたらしいな。坊主」
「えっ」
そう言って男は、パン状の食べ物を差し出した。
「え、日本語……いやそれより、い、いいの!? くれるの!?」
男の頷きを見終わる前に、パンを奪い取っていた。
狂った様にむしゃぶりつく孤児に、更に話しかける。
「落ち着いて食せ。急ぐと胃が驚くぞ」
「何で、日本語を……」
「不満なら、フランス語にしてやろうか? そちらの方が得意でな」
「……」
「そう身構えるな。食料の代金として、貴様の名前ぐらいは尋ねてもよかろう」
孤児は、口に詰め込んだパンをようやく喉に通すと、巨人を見上げて答えた。
「学。法龍院学……あの、あなたは?」
男はフードを取り払って、強面を露わにして答えた。
「ダヴール……ダヴール・アウエルシュテットだ」




