第96話:ウェイトウェイト
待拳。
今なお進化を続けている、あらゆる格闘技に存在する概念であるが、魔法が主流のこの世界にあっては大した発展はしていない。
その未開拓地に迷い出た法龍院学という存在は、オーパーツと言えるかもしれない。
「いいか学。相手に打たせてから動いたんじゃ遅いんだ。相手を自分の想像通りに動かす。これが必要なんだよ」
「むずかしいよー」
学くん七歳の夏。
五歳から空手を始めた学は、基礎を一通り学んだ後、待拳を教えられる。
無論、七歳に理解などできるわけがない。
だから、身体にタイミングを覚え込ませる。
「そうだ学、筋が良いぞ」
「むずかしいよー。拳がビュッて横切るのコワいよー」
「なるべく相手の拳をギリギリで躱すんだよ。拳をすり抜けさせるんだ」
「むずかしいよー」
拳を直撃ギリギリでスカすという恐怖。
必要なのは相手の挙動から生み出す予測と、クソ度胸。
この七歳から、相手の拳を見切り続けたというキャリアが、学の異世界での戦いを支えているのかもしれない。
***
織原蒼は考える。
下段払いのドッシリとしたあの構え。技術屋のトーマスに言わせれば、法龍院学のカウンターモードと言った所か。
乳酸の溜まるフットワークは封印して、完全な待拳狙い。武の心得のない蒼にも、それぐらいは分かる。
だが、この戦術はそれでもこの場に適していないと、蒼には思えた。
「それが有効なのって、一対一の場合の話でしょ?」
「……」
「行きますよ、学さん」
壁に背を向けた、闘技場の前方のみに注意を払う学の体勢。
これを打破するのは、もちろん両脇からの攻撃だ。左右から、蒼と魔狩が距離を詰める。
学は動かない。
彼は右利きであるため、左足を前に出す、利き手で正拳逆突き(ボクシングで言えば右ストレート)をフルパワーで放てる構えを取っている。
この場合、学の左側から近づく魔狩が、ほぼ背後を取る格好になる。逆に、蒼の動きは良く見えている。
――近未来予知では、この後……!? そう来るか!
未来のビジョンを見た蒼は、愛犬に叫ぶ。
「魔狩! タップレフト!」
その指示は、コンマ5秒遅かった。指示通り左に避けようとした魔犬を、学の光球が捕えた。
背中を向けているという事は、心理的にも物理的にも手が死角に入っているという事。それを利用して、学は背面投げで星屑を投げつけた。
「キュウン!」
遂にまともに喰らった魔犬が3m吹っ飛ぶ。
その光景に目を奪われた蒼。これが隙となった。
学はスムーズな運足で、一挙に蒼を射程圏内に捉えた。今なら一対一、邪魔は入らない。
「まずっ」
「ちぇぇぇ!!」
竜騎士戦で見せた、左右の追い逆連突きが蒼を襲う。
一度スピードが乗ると止まらない、底なしのコンビネーション。
右拳が蒼の頬を掠め、左拳が右鎖骨を突いた。
「ぐああっ!」
「貰ったよ、蒼さん!」
鎖骨の痛みに顰める蒼。そこへ無慈悲、ダメ押しの右中段廻し蹴り。
これが入れば二人の体重差からして、肋骨は無事では済まない。
大ピンチを前にして、蒼が選択したアクションは。
――土魔法第参式、土拳!
強烈無比の学の蹴りと、蒼の土拳が正面衝突する。
「てぇぇぇぇ!」
「むぬうっ」
土拳を構成していた砂が弾けると同時に、蒼も、学も吹っ飛んだ。
――魔法で、やっと互角になるミドルキックとかどんだけ!? 勘弁してよ学さん!
――仕留められなかった! だが、暇は作った。今なら詠唱可能!
二人は同時に受け身を取ると、同じタイミングで詠唱を始めた。
「土神ジョルズ! 私に神通力恵んで下さい!!」
「炎神シュルト! 我に神通力を授け給え!!」
あまりに鏡写しの二人の行動に、観客は第二試合の再現を予感した。
つまり、次のアクションは。
「土魔法……」
「炎魔法……」
「「拾七式!」」
二人の掌から放たれた、朱とセピアの弾頭がぶつかり合う。
二人とも、魔弾で相手の息の根を止めに来たのだ。
両者の魔力は互角。弾頭は爆発の衝撃を残して消え去った。
「まだだよ!」
「もう一発!」
二人は再び拾七式を放つ。残りの神通力を全て振り絞った一発。
「くそっ、同じ事を!」
「流石、同胞ってだけあるな!」
またしても、衝突した魔弾が爆発を起こし、砂埃が立ち込める。
高等技術から大技の応酬へ。展開がスピードアップしてきた事を察知し、観客が沸く。
「フゥーッ、フゥーッ!」
その間に魔狩が起き上がり、学に向かって駆けだした。
「行くよ、魔狩!」
神通力の切れた学と、距離を置いたままにしておく手は無い。
蒼は一気に距離を詰め、再び愛犬との共同攻撃に移行する。
「させない!」
だが今度は学が処理法を変えて来た。星屑を掻き集め、光球を弾頭にして魔狩に放つ。
「ワウッ」
「むっ」
犬さえ止めてしまえば、神通力が切れているのは蒼も同じ。
今なら、誰も学には接近できない。高速詠唱で、少しでも有利を作っていく。
蒼の頬を汗が伝う。
前半は完全に蒼がポイントを取ったが、後半は少しずつ学に圧し返されているではないか。
――なら、もう一段階ギアをあげるしかないわね。
蒼は、愛犬に目配せで合図する。
そして学の心中にも、同じ考えが浮かんでいた。
――蒼さんは強い。出し惜しみして勝てる相手ではないと悟った。使うか、もう一段階上を!




