11話 二足歩行で坂道を駆け下りる熊
「ピアノは私が弾きます。ワルツでよろしいんでしょうか?」
イートンがスタスタと広間に設置されたグランドピアノに近づきながら尋ねる。
広間にはすでに照明がいれられていて、余分な椅子やテーブルは片付けられていた。心なしか、みんなの声や足音が若干反響するほどだ。
「お前、ピアノが弾けたのか」
なんか意外だ。
料理といい、ピアノといい思わぬところで本領を発揮する侍女だ。
「イートンはお料理も裁縫も上手で。本当に誇らしいです!」
シトエンが自分のことのように胸を張る。
可愛い。
こんなちょっとしたしぐさでも可愛いってなんだこりゃ。そりゃイートンを含めた故郷のみんなが大事にするわけがわかる。
気づけばぼやーっとシトエンを見ていたが、いかんいかん。首を横に振って正気に戻る。
「え。で、ワルツだった……よな?」
「ワルツはファーストダンスで王太子御夫妻が。わたしとサリュ王子はヴェニーズワルツで、とお伺いしています」
シトエンが微笑んで答える。
背後でラウルが「セーフっ」とガッツポーズをとった。
「ステップ数が減りますし、上下動作ないですからねっ。最悪、くるくるずっと回っててください!」
「お、おう」
え。そうだったっけ?とは最早問えない。
がしっと俺の右腕を握って小声でまくしたてるラウルに首を縦に振ると、それをロゼとモネに見とがめられた。
「ちょっと。本当に踊れるの? 王子」
「大分あやしいわね」
姉妹でボソボソと言い合っている。すでに俺は冷や汗が止まらない。
「イートンさん、音楽おねがいしまぁす。ほら、王子、シトエンさまとちょっと踊ってみてよ」
ロゼが腕を組んだ横柄な態度で命じる。
お前は舞台監督かなにかかとツッコみたくなるが、シトエンがちょこちょこちょこっと進み出てぺこりと頭を下げる。
……いやもうさ。
なんというか、動きがまるで俺らと違うわけよ。
歩幅とか、手の振り方とか、身体の動きとか。
全部が小動物的というか。
保護欲をかきたてるというか……っ!
生活しているだけで俺を刺激してくるのよ、この娘は!
フィルターかなんかかけてもらわないと、直視できないぐらいいつもいつもいつも可愛いんだよ!
「手っ!」
ばしんっ、と背中をラウルに叩かれて正気に戻る。
いかんいかん。
俺は右手をシトエンに出そうとして……刺すようなラウルの視線に気づいて慌てて左手をシトエンに出す。
シトエンはにっこり笑って俺の左手を取る。
セーフ! 正解だった!
で、シトエンに一歩近づいたら。
むこうもぎゅって密着してきて……。
「ど、どうしました⁉ サリュ王子!」
両手で顔を覆って頽れた俺にシトエンが声をかけてくれるが……。
そうだよ。
滅多にダンスなんて踊らないから忘れてた。
ほぼゼロ距離でシトエンと真正面から向かい合うんじゃん……。
めっちゃいい匂いしてくるんだよ……。やべぇよ。鼻血でそう。
「大丈夫です。失礼しました」
俺は平静を装ってもう一度手を重ねて向かい合う。
意識はなるべく遠くにとり、呼吸はほぼしないことにする。数分ぐらい息止めても平気。
で、右手をシトエンの背中に回すと、シトエンも俺の背中に手を回した。
よし。準備OK。
「では」
イートンが曲を弾き始めるんだけど……。
……えーっと……。
その。
いったい……。
いつ。
ステップを始めればいいんだろう……。
冷や汗だらだらで硬直していたら。
「1、2、3。1、2、3。1」
とうとう俺の側でラウルがカウントを取り始める。
「2、3、はいっ」
どん、と押されてようやくステップを大きく踏む。
ひゃあ、と小さくシトエンが声を上げた。
陸軍士官学校でそういややったような気がしたけど……。過去の記憶を引っ張り出してのステップだ。これ、あってんのかな、いや大丈夫……な、はず。
「ちょっと待って待って!」
気づけばロゼが俺の腕に取りつき、モネはシトエンの背後に回って俺から引き離した。
「シトエンさまの足を踏み潰す気⁉」
すごい剣幕でロゼに怒鳴りつけられる。
「大丈夫でしたか、シトエン妃」
「そんな……っ。大丈夫ですよ? わたしは」
横抱きに抱えなおし、モネがシトエンに顔を近づけて尋ねている。
近い! 近いぞ、こらユキヒョウめ!
「あ……あぶ……っ。あぶなかった……っ! シトエン妃の足が羊皮紙みたいにペラペラになるかと思った……」
ラウルは床に四つ這いになって脂汗を流している。
え……。そんなにひどかった?
「なんというか……想像以上だったよ、王子」
ロゼが冷ややかに俺を見る。
「二本足で玉乗りする熊ぐらいかとおもったら、二足歩行で坂道を駆け下りてくる熊だったわね。ヨチヨチじゃなく、無駄に猛ダッシュ」
モネの氷柱のような言葉に、ラウルが「はうううううっ」と衝撃を受けていた。
「ねぇねぇ。基本ステップ覚えるまでは、あたしと王子。シトエンさまとお姉ちゃんが練習する?」
にこにこ笑顔でロゼが提案してくる。
モネも同調するのかと思いきや、なんだか複雑そうな顔をしていた。反対意見でもあるのかなと思っていたら、俺の顔を下からロゼが覗き込む。
「そっちのほうが安全じゃない?」
こてん、と首を横にかしげて再度そんなことを言った。
なんてことだ……っ! シトエンの安全が確保できないぐらいに俺がひどいとは……。
「……どうしますか? 私が男性パートを受け持ってシトエン妃と練習しましょうか?」
モネがシトエンをおろしながら俺に尋ねる。
それが一番シトエン的に安全かもしれん、と同意した。
「じゃ、そういうことで。今日は個別に練習して、明日はシトエンと」
「そうですか……少し寂しいですか」
残念そうに言うシトエンが。
くっそ可愛い……!!!!
絶対、ちゃんと踊れるようになってシトエンと練習する!
「お手間かけますが、モネさん。よろしくお願いします」
シトエンがモネにぺこりと頭を下げる。モネは嫣然と笑い「とんでもない」と言いながらも俺に一瞥をくれ、勝ち誇ったような顔をしやがった!
あのユキヒョウめ! いつかどっちが上なのかをちゃんと示してやるぞ!
俺が息巻いていた時、ボソボソとラウルの声がする。
なんだ、と顔を向けるとやつは目をすがめてロゼを見下ろしていた。
「言っとくけどね。団長はあの通りシトエン妃一筋なんだから。お前なんてまったく眼中にないから」
「な……っ! なんでこのあたしがあんなおっさん!」
「おっさんだと思っているんなら、おっさんだと思っていなよ。余計な波風立てるな」
「勘違いしてんじゃないわよ、ばーか!」
ロゼが真っ赤になってラウルに怒鳴りつけている。なにやってんだか、あいつらは。兄妹げんかか?
「おーい、ロゼ。練習やるぞ」
放っておけば「ラウルさんのばーか」「ロゼのばーか」と言い合いしそうなので間に入る。
ロゼはまだ顔を赤くしてぷんすか怒っているが、ラウルはきっぱり無視して俺に三本指を立てた。
「いいですか? とにかくナチュラルターン、クローズドチェンジ、リバース。このみっつだけ習得してください。悪いけど、モネ。団長に見本を見せてやってもらえるかな?」
ラウルが声をかけたのはモネだ。
モネはおざなりに頷くと、シトエンに対して恭しく一礼をしてシトエンの手を取った。
すっとふたりで向かい合って立ち、曲に合わせて一歩を踏み出す。
不思議なもんでモネだってタニア風のお仕着せを着ているというのに、男装しているように見える。
ふたりは滑り出すようにステップを踏み出し、フロアの隅に行きかかったらくるりとターン。
ふふ、と。
シトエンが笑う。
楽しそうな顔でピアノを弾くイートンを見た。イートンも珍しくにこにこ顔で指を鍵盤に舞わせる。
シトエンがくるりとターンすると、ドレスの裾が翻り、彼女の細い足首が見えて……。
「シトエン妃じゃなく、モネを見る!」
ばしっとラウルに背中を叩かれて正気に戻る。
「ほんっと、シトエンさまが大好きなんだねぇ」
ロゼの声に目だけ向けると。
口をとがらせてまるでふてくされた子どもみたいだ。
「俺は彼女の夫なんだから当然だろう」
「……ま。そういうところがいいんだけどさ」
ん? なんだって、と聞き返そうとしたら、ロゼはぱっと表情を変えて俺の両手を取った。
「さて! こっちも練習しよう!」




