10話 ダンスのお時間
必死になって練習場所だという一階の広間まで駆ける。ひたひたと近づいて来るラウルの足音が絶妙に怖い!
「あ! シトエンっ!」
もうすぐで広間だというところで、反対側の廊下からシトエンとその仲間たちに出会う。
まさか人前でラウルも俺を攻撃すまい。
そう思った時。
耳元で「ちっ」とラウルの舌打ちが聞こえて心底ぞっとした。
「よかったです、サリュ王子。わたしたち、遅れたかと思いまして……。あら、ラウル殿もこんばんは」
シトエンがほっとしたようにほほ笑む。背後から「これはシトエン妃」とラウルの恭しい声が聞こえてきた。
俺もほっとした!!! シトエンに出会えてほんと、よかった!
足折られるところだった!
「な、なんか立て込んでた? 今日、忙しかった?」
額に浮かんだ汗を拭いながら尋ねると、むっとした顔でロゼが言う。
「だからぁ! この前ちゃんと宮廷の医師団と意見交換会に参加するって言ったじゃん!」
ああ、あれか。と納得したのに、モネが冷ややかに俺を見る。声には出さず唇だけ動かして「くまあたま」とか言ってて腹立つ!
「私はお嬢様のお召し物の件でバタバタしておりましたので、モネさんとロゼさんに付き添いと護衛をお願いをしたんです」
イートンだけだよ! 普通に教えてくれるのは!
「どうだった? 誰かに嫌がらせとかされなかったか?」
なんかつい聞いてしまう。
宮廷医師団といえば男ばかりだ。
王都でも医師は男。田舎や辺境にいけば薬草師という名称で女性も活躍しているが、中央ではまだシトエンのような存在は珍しい。というか稀有だ。
陛下の公認だから滅多なことはされないとは思うけど……。
たぶん心配げな顔を俺はしていたんだろう。
きょとんとしたシトエンは、すぐにくすくすと笑った。
「まぁ。では王太子妃様が同席されたのも、わたしを心配してくれたからなのでしょうか」
「ユリアが?」
尋ね返すと、シトエンは笑みを口元に残したまま頷く。
「最初から最後まで同席してくださり……素敵な申し出までしてくださったのです」
「素敵な申し出って?」
首を傾げる。
「今回の主たる議題はシーン伯爵領でのことでした。脚気について改めて『感染症ではない』というご説明を医師団に示し、ご納得とご理解をいただいたところです」
……そうえいばあったな、そんなこと。
「続いて、医師団の方からペラグラのことについても質問がありまして」
「ペラグラ?」
なんか聞き覚えがない。するとロゼが素っ頓狂な声を上げた。
「王子知らないの? なんだかんだいって箱入り!」
「温室育ちのくまなのね」
モネもその隣で顔をしかめている。
「ほら、孤児院とか監獄でよく流行るやつです。あれが出ると大変なんですよ。隔離したり閉鎖したり」
俺のすぐ側でラウルが小声で教えてくれた。
孤児院、流行る、と聞いて「あ」と手を打つ。
「あれか! 手が火ぶくれみたいになって肌がやぶれてくるやつ!」
「そうです。初期症状では皮膚の剥離がはじまり、紫外線……日の光にあたると過敏症を起こしたりします。その後、胃腸の調子が悪くなり、食欲不振、口内の潰瘍に続き、見当識障害……えーっと……。錯乱状態になったりします」
シトエンが解説してくれるが……。
そうか、皮膚がぼろぼろになるだけじゃないんだな、あれ。
「でも隔離とか閉鎖ってことは感染するのか?」
尋ねると、シトエンは首を横に振る。
「同一地区で同じ症状を発症するのでこちらも脚気と同様、細菌感染を疑われたこともありましたが……。ペラグラとは別名ナイアシン欠乏症と言って特定の栄養素が身体から失われているために起こる病なのです。ですから、隔離は必要なく、足りない栄養素を投与することこそが大切なんです」
うんうん、となぜだか訳知り顔でロゼが頷いている。
「シトエンさまの説明を聞いて、なるほどなーって思ったんだよね。だってペラグラが出るところってさ、いっつも劣悪っていうか、食べてるものがおんなじメニューなんだよね」
「トウモロコシやソバ粉とか……安いものを大量に買い付けて、ずっと同じ食事を提供するからなんでしょう。きっと」
モネも続ける。
ああ、栄養が偏るということか。ヴァンデルの貧血もそうだし、脚気の白米もそうだ。
「バランスよく食生活を豊かに、と言うのは簡単なのですが、モネさんのおっしゃる通り予算があることです。それに、簡単にお腹を満たそうとしたら食事は変に偏るのです」
シトエンは眉尻を下げて悲し気な表情をしたが、すぐにぱっと笑顔になる。
「そうしたら、ユリアさまが『予算に限りをつける形にはなりますが、よろしければ困っている施設に助成をいたしましょうか?』と言ってくださって。申請書を提出すれば王太子妃の名で孤児院や各種施設に助成金を出す、と」
「ユリアが」
目を丸くする。
母上はよく修道院や教会に施しをしているが……。
「ユリアさまはご両親の領地をそのまま相続なさっていて、その税金を銀行に預けているそうです。で、その利子を助成金として使用してもかまわないとおっしゃってくださいました」
ユリアの両親が事故死したとき、領地や爵位を併せてユリアが相続している。
といっても、普段は王宮で暮らしていて生活費全般は王家の予算から出ているので、カネはすべて銀行に預けている。
領地の税収も法にのっとったまっとうなもので、もし不作などがあれば足らず分をユリアが足して王家に払っているとか。
年に一度領地に赴き、農具や水車小屋など必要なものがあれば購入するらしいのだけど。
「そうなんだよ。ユリアって『施す』んじゃなくて、『助成』するんだよ」
母上は施す。というか、気分によってばらまいている。
だけどユリアは申請があり、それが至極まっとうなもので、『不足があれば』援助をする。
そんな形をとる。
「大変すばらしいと思います。自助努力は大切です。でないと、その援助者がいなくなればなにもかもがつぶれてしまうんですから」
シトエンがぶんぶんと首を縦に振る。
「なんかその辺の難しいところは王太子が文書作るんだって」
ロゼが言う。王太子、がんばれ。
「わたしも訪問医療などの体勢を医師団のみなさんと今後話し合っていこうと合意して、今回は終了となりました」
満足そうなシトエンの顔を見て、俺も嬉しくなる。
正しい意見が集団内で受け入れられるかどうか。
それは受け入れる側の度量やふところの広さにかかわる。
それと。
新しいものを「面白い」と思える感性の若さが必要だ。
慣習や古い体制が根強かったり、団体自体が疲弊していると、新しい意見や風はすぐにつぶされる。
ティドロス王宮内は正常に機能しているらしい。
よかった。
シトエンの知識が活かされて。
「ではそろそろダンスのお時間と参りましょうか」
イートンが扉を開いた。
ぎぃぃぃぃぃ、となぜだか奇妙な軋み音が鳴り、だだっぴろい広間が眼前に現れる。
背後でラウルが息を呑む音が聴こえた。
きっと奴にも地獄の門が開いたように見えたことだろう……。




