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隣国で婚約破棄された娘をもらったのだが、可愛すぎてどうしよう  作者: 武州青嵐(さくら青嵐)
1章

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25話 おれに惚れたんじゃない……

◇◇◇◇


「……ん」


 小さな声が聞こえて、おれは読んでいた文書から顔を上げた。


 シトエン嬢の瞼が痙攣したように震え、それからゆっくりと開く。菫色の瞳が、天幕の天井から吊り下げたカンテラの橙色の光を受けて、いつもより淡い色合いになっている。


「ここは……?」


 羽枕から少しだけ頭を上げ、それからまた顔をしかめた。まだ腹が痛いのかもしれない。


 おれは椅子から立ち上がり、寝台に移動する。

 彼女のすぐ側に座ると、ぎしり、と派手に軋んだ。


 箱を並べ、盾にもなる板を渡し、マットを敷いただけのものだが、寝心地はそう悪くない。と思う、おれ的には。


「天幕の中だよ。覚えてない?」


 おれはタニア語で話しかける。どうせ天幕内にはふたりしかいないのだ。

 馬車からこちらに運び込み、すでに四時間が過ぎていた。


 日が落ち、外は随分暗い。


 だが、領主屋敷から警備を十数人借りて来たから、安全性には問題がない。実際、かがり火もがんがん焚いているし、街道は封鎖解除したものの、おれの騎士たちが検問にあたっている。


「……うん」


 とろりとした返事が彼女の口から洩れる。

 まだ、半分眠っているのかもしれないと思った。


 寝台に寝かされた彼女に、イートンは水で粉薬をいくつも飲ませていた。なんの薬だと聞けば、ほとんど眠り薬だ。


『なんかこう、治る薬じゃないのか』


 つい尋ねると、イートンに莫迦ばかにされた。そんなものない、と。

 眠って痛みをやり過ごすしかないらしい。


 それを聞いただけで気の毒になってきた。こんな痛みと毎月つきあうのか。


「まだどこか痛い?」


 顔を近づける。「ん……」。とろりとした声を漏らした後、「ん――……」と長く唸る。眉根が寄っているから痛いのだろう。


 そういえば、イートンが腰を撫でていたな、とおれは立ちあがり、彼女の背中側に回る。


 もう一度寝台の上に膝立ちになり、掛け布団の上から腰のあたりを撫でてやる。


「こんな感じ?」

「ううん。そうじゃない」


 おお、はっきりと否定された。シトエン嬢には珍しい。


「押して」

「押す?」


 押すって、どうやって。戸惑っていたら、「親指で、ぎゅっと」と怒ったように言われた。


仙骨せんこつのところ! ぎゅー、って」

「《《せんこつ》》とはどこ!?」


「背骨の一番下の……。もうちょっと下っ!」


 怒鳴られてしまった。

 焦る焦る。


「じゃあ、押すぞ」

 

 掛け布団を剥ぐと、彼女が横向きになって膝を抱えるような形になっているのがわかる。


 いつの間にか、イートンが寝衣に着替えさせていたようだ。ドレスだと、ごてごてしていてよくわからないが、これなら腰のあたりもわかりそう。


 おれは、このあたりかな、というところを親指で押すのだが。

 ……なんというか。

 細いなあ。骨ばっている、というか。これ、背骨? なに。


「もうちょっと下」

「下?」 


 いつもはタニア語でもシトエン嬢は丁寧語を使うんだが。

 やっぱり、薬のせいでぼんやりしているんだろう。

 親しみのある話し方でおれに言う。


「もっと下。ぎゅー、って」

「もっと下、って……」


 もう、尻ですけど、ここ!!!!

 ここ? ほんと、ここなの?!


 なんかおっかなびっくりに、尻と背中ぎりぎりのきわきわあたりを、親指で押す。


「そこぉー……。あぁ」


 途端に、はうん、とした声を漏らされるから、「ひぃ」と両手を上げた。


「続けてっ」


 途端に叱られた。

 あわわわわ。下心はありません。ただただ、必死です。


「え、ここ? ここね?」


 さっき、変な声を漏らした部分を指でぎゅうぎゅう押すと、「はあん……」とか「きもちいぃ」とか言われて、もう、おれ、どうしたらいいの。


 だけど。

 どうやら楽になっているのは確かなようで。

 顔から険しさが消えていき、声もどんどん小さく、とろとろしている。


「シトエン? 眠いのか?」

 また眠っちゃうかな、と思って声をかける。


「うん」

 彼女は返事をし。


 そして。

 聞いたこともない言葉を話し始めた。


 思わず動きを止める。


 え、これ何語? 聞いたことがない。


 もう、眠りかけなのだろう。

 つづけろ、とか、やめるな、とは言わなかった。


 ただただ。 

 どこの言葉かわからない言語を話している。


「アツヒト」


 ごろん、と寝返りを打ち、彼女はおれを見た。

 紫色の瞳には、おれが映っている。


「アツヒト……」


 呟き、目から涙をいくつもこぼした。

 いつの間にか、彼女はおれの手を握っている。


 おれは。

 動けない。


 シトエン嬢は、やっぱり何かわからない言葉を言っているが。


 それが。

 随分と、懇願口調だ。


 そのまま。

 ゆっくりと瞳が伏せられる。


 押し出されるように、涙が幾筋もシトエン嬢の頬を伝った。

 彼女の涙は、おれが昨日買ったイヤリングのようだ。


 テントの照明を内包し、雫型になって、ぽろぽろと流れる。

 それを見ながら、おれは確信した。


 彼女は。

 おれの中のなにかに惚れたんだ、と。


 おれに、惚れたんじゃない。



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