33話 白煙に包まれる室内
「賊の戯れでしょう。踊らされてはいけない」
皆の視線を受け、宰相は困ったように肩をすくめて見せるが……。
いや……このおっさん、本当にうさんくさいんだよな。
黙って宰相を見つめていると、
「なぜ、信頼してくれぬ」
室内の空気を震わせるほど、アリオス王太子は感情を発露させた。
「そんなにわたしがルミナスの次代を担うのが不安か」
その目は、言葉は。
ただひたすら自国の宰相に向けられていた。
怒りとか憎いとか。
そんな感情ではなく、ひとえに悲しいとかむなしいとか。
なぜ、と訴える声音だった。
「なにをおっしゃっているのかわかりかねます。アリオス王太子」
宰相は静かに応じたあと、俺と長兄に対してつつましく礼をして見せた。
「メイル嬢が狙われていたのは事実。とするなれば、この賊はルミナス王国にまつわる者かもしれません。当方が引き取り、尋問にかけたく存じます」
「尋問であればこの場でかければよかろう!」
アリオス王太子が声を荒げた。
「レオニアス王太子とサリュ王子にも聞いてもらえばいい!」
「婦女子のいらっしゃる場で、ですか? それはいかがなものでしょう」
アリオス王太子は宰相を見ているというのに。
宰相は一瞥もしない。
俺と長兄の意見をうかがっている。
「宰相! 貴卿はあの戦棍も、それから馬車での襲撃も知っておったのだろう!」
「アリオス王太子はどうやらお疲れのようです。さ、王太子。ここはわたしめにお任せいただいて……」
宰相が今度はアリオス王太子に対して深々と頭を下げる。
アリオス王太子が詰め寄ったというのに顔を上げない。会話を拒否している。いや、慇懃無礼にも自分に従えと命じているようにさえ見えた。
「そいつに頼まれた」
唐突に放たれた声が室内を揺さぶった。
全員が。
宰相さえも驚いたように顔を上げて声の主を見る。
「名前なんて知らない。そいつだ。そいつに頼まれた。カネをたらふくもらって、その女を殺せと命じられた」
黒ずくめの男だ。
そいつは団員に両腕を拘束されているからか、顎でメイルをさして見せた。
甲高い声でメイルが悲鳴を上げ、その場に頽れる。シトエンが急いで近づくが、その手を振り払ってアリオス王太子にしがみついた。
「そのような下賤な者のたわごと、まさか信じるわけはございませんな?」
宰相が笑い飛ばす。
だがそれに続く言葉はない。
アリオス王太子は血が出るんじゃないかと思うほど唇をかみしめ、メイルを背後に隠していた。
「とんだ茶番だ。これはいったいどういうことだ」
宰相は芝居がかった仕草で俺や長兄にアピールしてみせるが……。
「警備体制を知っていた」
つい口から洩れでる。
「馬車。あの馬車なんか変だと……。どうしてダミーを確実に見抜いた? それに」
竜紋だ。
もともとシトエンとアリオス王太子の婚約を進めたのはこの男だ。
「竜紋のこと……あんた、詳しいらしいな。だったら……」
シトエンに執着しているのは、やはりこの男ではないのか?
しかもアリオス王太子を軽んじ、アリオス王太子も力が及んでいない。
宰相の目がぎらりと剣呑な光を宿す。
「その男に命じられたんだ!」
「黙れ!」
賊がさらに吼えた。宰相が怒鳴りつける。だが、賊は黙らない。
「あんなあばずれに王太子妃がつとまるか、殺してしまえってあんたずっと言ってたんだ! なあ、俺はあいつに雇われただけだ! 見逃してくれよ、ティドロスの騎士さんよお!」
黒ずくめの男は、自分を拘束する団員たちに懇願を始める。そんな男に、宰相はまなじりを釣り上げた。
「貴様……っ! これはどういうことだ……っ」
だが賊は宰相など目もくれず、うちの団員たちに命乞いをするばかりだ。
「これは父上が望まれたことなのか、宰相!」
アリオス王太子が絶叫する。
「答えろ宰相!」
だが宰相は無言だ。こめかみに血管を浮き上がらせたまま、アリオス王太子をにらみつけている。
「……団長。一度、女性陣を下がらせましょう。モネとロゼを中に入れます」
静かにラウルが近づき、耳打ちする。顔は動かさず、まばたきだけして同意を示した。
ことがどう動くかわからない。
だがこの状況を見る限り、ルミナスの問題だ。うちがとばっちりを食らうのは勘弁したい。
ラウルが静かに出入り口に移動する。呼びつけたのだろう。男装姿のモネとロゼが姿を現した。
「ユリア王太子妃、シトエン」
そっと呼びかける。長兄も気づいた。目線だけで出入り口に移動するように示す。
ユリアからもモネとロゼが見えたのだろう。そっとシトエンに手を伸ばし、ともに行こうとしたその刹那。
そいつは予想以上に素早く動いた。
シトエンの悲鳴が上がり、ユリアが突き飛ばされる。
「シトエン!」
「近づくな!」
大きく一歩踏み出すと、宰相が背後からシトエンの首を締めあげ、喉元にナイフを突き立てて凄む。
「宰相! かようなことを……かようなことをして父上が!」
「黙れ、小僧!」
アリオス王太子が悲痛な声を上げるが、宰相が一刀両断した。
「貴様のせいでルミナスの威厳は見る影もない! ノイエ王のご苦労はいかばかりか……っ!」
「だからこそ、わたしは努力している! 次代の王たろうと。ルミナスを輝かしい未来に導こうと! 宰相やみなに認められるように……」
「もう遅いわ! すべて後手に回った!」
はっ、と宰相は嗤ってアリオス王太子をにらみつける。
「貴様のすべきことは、この娘を迎え入れることだったのだ。そんなこともできぬぼんくらがえらそうな口をきくな!」
「宰相、貴卿……っ」
「内紛はよそでやれ!!!!!」
俺の怒声は室内を圧し、窓ガラスを震わせた。ユリアは耳をふさいで床に尻餅をつき、ぐずぐず泣いていたメイルは泣き止む。
腹の中の憤りをすべて吐き出してもなお、新たな怒りが黒煙を吹き上げる。
「シトエンは関係ねぇだろ! すぐに返せ!」
牙を剝きだしてうなる。一瞬宰相がひるみ、シトエンを盾にするようにして一歩後退した。
そこにモネが近づこうと室内に入り込む。
「来るな!」
宰相がまたシトエンの首にナイフを強く押し当てる。切っ先がシトエンの首に触れたのだろう。薄い紅が乗っているのが見えて頭の中が憤怒でちかちかする。
「殺す」
気づけば物騒な言葉が口から飛び出たが、宰相は不敵に笑って見せた。
「私はハンティングが趣味でね。ルミナスではヒグマも狩ったことがある」
「ルミナスのおしゃれ熊と比べんなよ、ティドロスの冬熊を」
うなり声をあげて言い返すと。
ごとん、と。
床をなにかが跳ねた。
一番に考えたのはラウルが宰相の気を惹くためになにか放ったのかと思った。
ナイス、ラウル。
そんなことさえ口走りそうになったのに。
しゅるるるると。
場違いなほどに滑らかに床を転がるその筒は、にわかに白煙を吹き上げる。
白煙筒だ。
しかもひとつじゃない。
天井からいくつも降ってくる。
「頭領か……!」
宰相が片頬を釣り上げるようにして嗤う。
それが見えたのも数秒だ。
すぐに靄よりも濃い、霧並みの白煙にその姿が消える。
まずい。これに紛れて逃げるつもりか⁉




