28話 イートン!その役目を譲ってくれるのか!
◇◇◇◇
その晩のことだ。
「シトエン、大丈夫か?」
急いで寝室に向かうと、彼女は椅子に座ってイートンに髪をといてもらっているところだった。
しまった、ノックするの忘れた、とイートンの表情を見て思う。
「ありがとうございます。サリュ王子こそ、お忙しいのに……大丈夫でしたか?」
シトエンが申し訳なさそうに眉を下げるから、ぶんぶんと首を横に振る。
「俺のことなんてどうだっていい」
断言して駆け寄る。
未遂だったとはいえ、シトエンは襲われたのだ。
当初はメイルがかなりの恐慌状態だったから、みながそっちの対応に追われたが……。
シトエンだって本当は泣き叫びたいぐらい怖かっただろうに。
賊が逃げたあのあと。
もう安全だろうと思われるところまで馬車を走らせ、アリオス王太子たちの馬車と合流した。
あの馬車もボロボロだったが、俺がシトエンに飛ばした「伏せろ、シトエン、伏せろ!」という声が聞こえたらしい。咄嗟に宰相と共にしゃがみこんだため、窓ガラスは割れたものの矢が刺さって負傷した、ということはなかった。
その後、ダミーの馬車にアリオス王太子とメイル、宰相とシトエンを乗せて王宮まで戻ったんだが。
アリオス王太子に引き渡すまでメイルは泣きわめき、シトエンはそれをなだめるのに一苦労していた。
馬車の中でもアリオス王太子や宰相が声をかけたり労わったりで大変だったようだ。
その苦労からすぐにでも解放させてやりたかったが、安全に王城に戻るまでは俺だって配置を離れるわけにはいかない。
超法規的ではあるが、アリオス王太子が「サリュ王子に一時的に権限を預ける」と護衛騎士に命じてくれたから混乱もなく、むしろ安全を確保しつつ王城まで馬車を走らせることができたし、宰相からも直々に礼を述べられたほどだ。
王城についてからはイートンと、うちのメイド長を含むほぼすべてを総動員させてアリオス王太子の宿泊所に向かわせ、メイルの世話をさせたので、向こうからはいまのところ感謝されているようだ。
俺はさっき長兄への報告を済ませて戻ってきたところだった。
「ありがとう、イートン。今日は忙しくさせて申し訳なかったわ。サリュ王子が戻ってこられたから、あとはあなたもゆっくりしてちょうだいね」
シトエンに声をかけられたイートンはそれでも離れがたそうにブラシを持ってシトエンを見つめていたが、急に俺に顔を向けた。
「お嬢様は大変お疲れです。緊張もなさいましたし、怖い思いもなさったと思います」
「それはそうだ」
真剣に同意すると、神妙な顔をしたままイートンが俺にブラシを握らせた。
「……これは?」
「お嬢様は髪をとかれるととてもリラックスなさるのです」
「イートンっ」
びっくりしたようにシトエンが目を丸くするが、イートンはブラシを握る俺の手をぎゅっと両手で握りしめる。
「お嬢様にお仕えして以来、ずっとそれは私のお仕事でしたが……っ。く……っ。今晩はサリュ王子にお譲りしましょう……っ」
「イートン! お前……っ! それを……その役目を俺に譲ってくれるのか……っ!」
「なにを言ってるんです、イートン! サ、サリュ王子もそんなことしなくて大丈夫です!」
椅子に座っていたシトエンが慌てているが、イートンは俺にブラシを託した。
「仕方ありません。私ができるのはここまで……。あとはよろしくお願いします!」
「お前の遺志、確かに受け取った!」
「ちょっと、あの……っ!」
「さ、シトエン座って、座って」
真っ赤な顔で戸惑っているシトエンを再び椅子に座らせ、そのうしろに立つ。
ちっさ……。
シトエン、だいぶん小さい。もともと立っても俺の肩にも満たない身長だもんなぁ。座るとさらに……。
いかん、腰をかがめてもこれ、長髪の先っぽまでブラシが届きそうにない、と近くの椅子を持って来てシトエンの真後ろに座る。よし、準備完了。
「ブラッシングは毛先からですよ? あと、それが終わったらゆるく三つ編みにしてくださいね。それでは」
「み、三つ編み⁉」
どうやるんだ、と問う前にさっさとイートンは退室してしまった。
しまった……。ブラッシングなら俺、なんとかできると思ったんだよ。
馬の世話するときに必要だから。
だけど、三つ編み……。三つ編み、か。まあ、シトエンに尋ねながらなんとかやってみよう。
「痛かったら言ってくれな」
言いながら、少しだけシトエンの髪に触れた。
イートンの言う通り毛先からブラシを入れていこうと思ったのだけど。
ちょ……。さらっさら……。
とくまえから、さらっさら!
手に取ったら、しゅるるる、とこぼれていく。
柔らかいし細いし、それなのにしなやかで……。
素材、なにこれ!
おまけに……。
やばい……。
さらさらしゅっるるるってしたら、良い匂いする……。くらくらする。
「あの……。ほんと、大丈夫ですよ? サリュ王子」
少しだけ振り返るようにしてシトエンが言うから、慌てて正気に戻る。いかんいかん。俺がリラックスしてどうすんだ!
「いいから、いいから。シトエンは前向いてて」
座り直し、なるべく無になるよう心掛けながら、しゃわしゃわとブラシを入れていく。
手触りとか柔らかさとか、馬と全然違うよ、これ。
こんなにまっすぐストレートだしブラシ必要なのかな。
毛先はすぐに終わり、首の後ろ辺りをすませて、頭頂部分から毛先まで。ゆっくりとできるだけ柔らかくブラシをかけていると。
不思議なものでシトエンの心が緩んでくるのがわかる。
「痛くない?」
尋ねると、こくん、と頷く。
俺も余計なことを言わずに、しゅる、しゅる、とブラシを動かす。銀色の髪は室内のオイルランプの色をにじませ、淡く発光しているようにも見える。
きれいだなぁと思いながらブラシを動かしていると、ふわ、とシトエンの身体が左に傾いて驚いた。
ブラシを持っていない方の手で支えると、びくんとシトエンが身体を震わせる。
「す、すみません。眠くなって……」
振り返ってそんなことを言う。桃色の顔が可愛いし、そんなにリラックスしてくれたんならこんなにうれしいことはない。




