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1日目 突然の婚約破棄

 王家の第一王女でありながら、彼女は政略というものに無頓着であった。というのは些か語弊があるかもしれない。正確には、露ほども興味がなかったのだ。


 なので、自らの婚約者が第二王女――つまり、自分の妹と恋仲であり、さらにはいつの間にか婚約者の子を身籠もっていたと聞いても、然程驚きもしなかった。


 内心で、「へえ、そうなんだ」と思っていたし、きっとそれは表情にも出ていたはずだ。



「――そういうわけだ。君との婚約は解消させてくれないか」

「ええ、構いませんよ」

「そうだろう。君だっていきなりの事で驚いているだろうが……アンナの身体のことも……え?」

「好きになさってください」

「……ええ!?」


 あんぐりと口を開けて状況を飲み込めていない元婚約者を放って、彼女はさっさと応接室から自室へと戻っていく。


 至極真面目な顔をして話を切り出してきたと思ったら、婚約解消の話だった。であればあれ以上の解答を自分は持ち合わせていないし、相手にはきっぱりと気持ちを伝えたのであそこに居るのは時間の無駄だ。

 素っ気ない態度が問題だったとしても、婚約者がいながらその妹に手を出してしかも恋仲などと言い張るのだ。しかも懐妊している。役満である。

 それを棚に上げてこちらに不躾だとのたまうほど、あちらさんも耄碌はしていないはず。王家の守護を代々司ってきた騎士公の嫡男であるのならば、そこだけでもしっかりとしてもらいたいものだ。


 自室に戻ると、さっそく仲の良い侍女が出迎えてくれた。


「セシル様。此度は残念でしたね」

「ああー、そういう気遣いはいらないよ。それよりも美味しいお茶が飲みたい」

「ええ、ただいまお持ちいたします」


 侍女は、セシルの砕けた態度に微笑んでお茶の準備をしだす。

 彼女はセシルの内面を知る唯一の人だ。だから、婚約解消にもああして笑顔で受け答えしてくれる。もちろん彼女の態度を腹立たしいなどと思うこともない。本当に清々しているのだから、むしろ図星を突かれて少しドキッとしたくらいだ。


 堅苦しい言葉遣いや、着飾ったドレスなどは彼女には窮屈で仕方なかった。

 自分のこれは普通とは違うのだろうなとは薄々は感じていた。現に妹は煌びやかな衣装や派手なアクセサリーが好きでいつも身体のどこかしこに付けている。


 ――だから、せめて自室にいる時くらいは何にも拘束されずに過ごしたい。


 侍女がお茶の準備をしている間に、セシルは部屋着に着替えてしまう。暑苦しいドレスは脱ぎ捨てて、王族らしからぬ……庶民のような派手さもない部屋着は、侍女に無理を言って城下町で見繕ってもらったものだ。

 もちろんこの事も侍女以外知らない。二人だけの秘密だった。他人にバレてしまえば父に告げ口されて矯正させられる。それを分かっているから、誰か部屋を訪れても対応は侍女にしてもらう。そういう手筈になっていた。


 しかし、今回ばかりはそうはいかなかったのだ。


 ――コン、コン、コン、コン。


 突如聞こえてきた四回のノック音。

 それに、お茶を淹れていた侍女と着替えたばかりのセシルは固まった。


 規則正しいノックは、相手が初対面の人間であると示している。となればこの格好で会うのは非常にマズい。

 居留守を使うわけにもいかないし、早着替えするにも数秒では無理だ。

 咄嗟にセシルはベッドに潜り込んで寝たふりをした。直前に侍女にアイコンタクトをして、対応してもらう。


「どうぞお入りください」という侍女の声で、部屋のドアが開かれた。


 全身をすっぽりと覆ったキルトの隙間から訪問者を覗き見る。

 自室を訪れた人物は、初めて目にする男だった。短髪の黒髪に白の隊服に身を包んだ姿は王家を守護している騎士公グランが管理している討伐隊のものだ。


 どうしてこんな人物が尋ねてきたのだろう?

 不思議に思いつつも彼の一挙手一投足に目を光らせていると、男は侍女に対して慇懃な態度で応じてくれた。


「セシル様に火急の用事があって参ったのですが……」

「そうでしたか……ですが、今お嬢様はあのような状態でして」


 そう言って侍女はセシルが隠れているベッドを指し示した。


 婚約者に婚約破棄を突き付けられた直後だ。心身共に参っているという体で行こうと先ほどのアイコンタクトで伝えた通り、侍女はセシルの思い通りの対応をしてくれた。

 この状態では流石に相手も遠慮して声を掛けられまい。


「しかし、私もお伝えしなければならないことがありますので……ここは無礼を承知して、失礼します」

「――あっ、お待ちください!」


 ズカズカとベッドまで近付いてくる足音に、被っていたキルトを剥ぎ取られる直前――それを纏ってセシルは起き上がった。


「なっ、なにか!?」

「おっ、……ああ、不躾ですみません」


 突如起き上がったセシルに、男は驚いて伸ばしかけていた手を引っ込めた。

 近距離で見える顔は、どこかで見たようにも思われる。他人のそら似か、はたまた覚えていないだけか。

 眉間に皺を寄せて難しい顔をしていると、男はごほんと咳払いをした。


「傷心のところ申し訳ない。どうしてもお伝えしなければならないことがありましたので」

「それで、その伝えなければならないこととは何ですか?」


 尋ねると彼は、床に片膝をついて頭を垂れた。


「その前に……此度は、我が兄アルバートの非礼をお詫びしたい。貴女の気持ちを踏みにじる行いは断じて許されるものではなく、愚弟である私も貴女の傷心を癒やせるように誠心誠意尽くしていく所存で」

「――まっ、まって!!」


 男の謝罪にセシルは声を上げて遮った。

 耳を疑うような事を彼はさらりと話したのだ。


「きっ……貴方はアルバートの弟なの?」

「そういえば自己紹介がまだでしたね。異母兄弟ではありますが、アルバートは私の兄です。ウルガルド・ラッセル・グラン。これからは好きにお呼びください」


 彼は口元に笑みを浮かべて答えた。少し緊張しているのか、ぎこちない笑みに見えたけれどそれよりもセシルはあることが気になっていた。


「こ、これから?」

「婚約破棄をされて早々に、こんな仕打ちは酷かと思いますが……私から話を聞くよりもこれを目にした方が早いかと」


 そう言って、ウルガルドは懐から封書を取り出す。

 開くと書面には王家とグランの印が押されていた。つまりこれは公式文書なわけで、ここに書かれている内容は決定事項というわけだ。


 目だけで文字を追っていくと、セシルは次第に表情から生気を無くしていく。


「なっ、これっ……ど、どういうことですか!?」


 文書に書かれていたのは、目の前に居るウルガルドが次の婚約者である、ということ。さらには、彼が第一王女の護衛を仰せつかったということ。


 書いている内容もそうだが、これが決定事項というのならば事前に用意されていたということである。

 先ほど元婚約者、アルバートに婚約破棄を申し立てられてまだ一時間も経っていないのだ。これは明らかに――


「兄の不貞を、国王も私の父も知っていたということでしょう。それだけならば良かったのですが、問題は私が貴女の婚約者に選定されたということです。それに加えて、第一王女の護衛を仰せつかった。明らかに私に対しての妨害行為でしょうね。巻き込んでしまって、申し訳ない」


 やれやれと肩を竦めて告げるウルガルドの話の半分を、セシルは理解出来なかった。

 彼女が気づいたのは彼の台詞の前者。国王がアルバートとアンナの関係を知っていたということ。それだけだ。

 そもそも、ウルガルドが婚約者で護衛ということの何が問題なのか。


「私と兄アルバートはすこぶる仲が悪いのです。ですから今回の一件も嫌がらせに近いものでしょうね」

「……嫌がらせ」


 そう言われても不思議ではない。

 第一王女として何不自由ない生活をしているが、自分がこの身分に相応しくない人間であるとセシルは理解している。

 妹のように愛想も振りまけないし、なにより王族としての暮らしは彼女にとっては窮屈なのだ。だから、影では出来損ないと揶揄されていることも知っている。

 アルバートが妹のアンナを取るのももっともだ。彼は早々に出来損ないであるセシルに見切りを付けたのだ。こんな人間を大事にしても益にならないと判断した。それだけのこと。


 珍しく自己嫌悪に陥っていると、そんなセシルを置き去りにして目の前の彼はぽつりと零した。


「兄と違い、私は出来損ないですので」

「……えっ?」


 すべてを受け入れたように、何の感慨もなく言い放った言葉にセシルは思わず彼の顔を見つめていた。


「そうは見えない」


 気づけば口から滑り出していた言葉に、ウルガルドは驚いたように瞠目する。けれど、溢れた言葉は止めようがなかった。


「アルバートより誠実だし、相手を尊重してくれる。なにより……君は私の目を見て話してくれる。そんな人を出来損ないとは言わないよ」


 言い終えてから、ハッとして口元を手で塞ぐ。気を張って取り繕っていた皮が剥がれてしまった。

 きっと奇妙な顔をされるのだろうと、恐る恐る彼の顔色を窺うと――


「面と向かってそのようなことを言われるのは、少し恥ずかしいですね」


 嬉しそうにはにかんだ口元を隠すこともしないで、彼は笑みを浮かべる。

 その微笑は先ほど見たものよりも自然なもので、彼の心情が透けて見えるようだ。


「これからは共にいる時間も増えるでしょう。ですから、私には気を遣わないでください」


 そう言って、ウルガルドは身体からズレていたキルトを直してくれた。彼が直してくれるまで気づかなかったのだ。きっと王族として似つかわしくないふしだらな格好をしていると呆れられたことだろう。


 内心で焦っているセシルだったが、直後に先ほどの彼の言葉が脳裏に閃く。


「色々と窮屈なこともお有りでしょう。私……俺で良ければ話は聞きますよ」


 まっすぐに瞳を見据えて応えてくれる彼に、セシルは自然と頷いていた。

 それと同時に得体の知れない気持ちが胸に湧き起こる。この気持ちの正体を、彼女はまだ知らない。



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