沢渕晶也の推理(4)
「月ヶ瀬庄一は失踪したのではなく、田中に殺害されたと思いますが、それは一旦後回しにして、まずは校長の動きを追ってみます」
「いよいよ事件も大詰めね」
叶美が興奮冷めやらぬ口調で言った。
「彼は車で駅へ向かい、誘拐犯と待ち合わせたホームに立ちます。身代金を取りに現れたのは、もちろん田中本人です。お互い面識はありませんから、サングラスや付けひげ程度の変装で十分だったでしょう」
「でも、どうして身代金を田中に渡した後、校長は飛び込み自殺なんてしたのかしら? しかも、まるで亡霊に取り憑かれたように。それがこの事件最大の謎よ」
「校長は気が触れていたところに、さらに追い打ちを掛けられたのだと思います」
「というと?」
「現金を手にした田中はさっさと跨線橋を渡って、改札口へ向かいます。校長はホームに取り残されて、その後ろ姿を呆然と見ているのが精一杯でした。
そして、田中が行き着いた先には、何とあの少女が待っていたのです。
そう、昨日死んだはずの娘です。そして彼女はこちらに顔を向けると、にやっと一瞬笑みを浮かべます。死んで埋めたはずの少女がこちらを見て笑っているのです。
校長は生きる望みを失いました。この先、自分の人生があの亡霊によって支配されてしまったことを悟ります。この先自由に生きていくことはできない。彼女を車で轢いてしまった瞬間から運命は決まっていたのです。
いっそうのこと、今ここで死んでしまった方がましだ。それを促すかのようにホームのベルが鳴り響きました。彼は亡霊から後ずさりして、叫び声を上げながら列車に飛び込んだのです」
叶美の細い手が小刻みに震えた。
「聞いただけでも恐ろしいわ」
「箕島校長の見たものは単なる幻影に過ぎません。この時ホームの反対側に立っていたのは、田中の娘です。しかし校長はそれを月ヶ瀬みなみと思い込んでいたのです。
実は田中の方も、ここまで校長を怖がらせるつもりはなかったと思います。こんなに簡単に金が手に入るなら、今後も校長を揺すってやろうと考えていたことでしょう。
しかし校長にとって、それは最大級の恐怖でしかなかったのです」
叶美は病室にいた箕島校長の姿を思い出していた。
あれから三十年間、彼はどんな思いで生きてきたのだろうか。植物状態とはいえ、この真実を知らされて、果たして理解することができるだろうか。
沢渕は淡々と続ける。
「そのあと田中は受け取った校長のカメラからフィルムを抜き取り、駅前商店街の店舗に現像を頼みます。カメラはそのまま捨ててもよかったのですが、とりあえず現像して、校長が何を写していたのかを知りたいと思いました」
「そうよね。ここまでのことをやったのだもの。極力自分の犯行を匂わせる証拠は消しておこうと思うのが普通よね」
「そして、前にも考察しましたが、肉体労働者の風貌で学校関係の写真ばかりを現像に出して印象に残ってしまうと思ったのでしょう。田中と書いた後に小学校の名前を付け足しました」
「後ろめたさから出た行動ね」
「ここまで一気に進めましたが、何か問題点はありませんか? 部長の質問があまりないので、心配になります」
「沢渕くん、お見事だわ。三十年前にタイムスリップしたかのように、事件の全体像が見えてきたわ」
「これまで亡霊の仕業だと思って理解できなかったことが、田中の存在によって理解できるようになりました。この事件、実は単純明快なものだったのです」
「ここまでは大筋で間違っていないと思う」
叶美も真実の手応えを感じていた。
「では、残された月ヶ瀬庄一の方に話を移します。実はこちらの方が不確実要素が多いのです」
沢渕は前置きしてから、
「庄一はなかなか帰ってこない校長を待っていました。彼は娘が死んでいることを知りませんから、身代金さえ誘拐犯に渡れば、無事に帰ってくると信じています。
そんな立場である彼が失踪するはずがなく、やはり田中に殺害されたと考えるのが自然ではないでしょうか。
では、なぜ殺害されたのか。
それは誘拐犯が誰なのか分かったからではないでしょうか。校長は亡霊騒ぎで、まともに頭の働く状態ではありませんでした、一方、月ヶ瀬は学校のことを何でも知っている用務員で、鋭い洞察力が働いたのです」
「どうやって田中が誘拐犯だと分かったの?」
「これについては様々な推測ができます。
例えば、娘を探す際に、無人のプレハブ小屋に立ち寄ったとしましょう。すると机には電話があり、その横にテープレコーダーが置かれてあった。その光景に彼は何かを感じ取り、少しテープを巻き戻して再生してみたところ、女の声で身代金を要求する声が流れてきた。犯人はこの小屋から電話を掛けていたのだと分かるでしょう。そうとなれば、日頃ここに詰めていた現場監督が犯人と考えるのはさほど難しい話ではありません。
あるいは、こんなことも考えられます。
8月8日の朝、犯人からの要求を聞いている際、電話が同じ敷地内から発信されていることに気づいたのです」
「どういうこと?」
「例えば、その時間に動く特徴的なボイラー音が電話から聞こえてきたら、近くから掛けていることに気づくでしょう。あるいは朝の校内チャイムが二重に聞こえたのかもしれません」
「気が変になっている校長には気がつかないことも、月ヶ瀬は学校で暮らす用務員だから、不可解な点にすぐ気づけたのね」
「月ヶ瀬庄一は証拠のカセットテープを持ち去った。そして田中に会いに行き、娘を返すように迫った」
「しかし逆に田中に殺された?」
「そうです。田中に詰め寄ったところ、逆に殺されてしまう。しかしその後プレハブ小屋に戻った田中はテープがなくなっていることに気がつきます」
「月ヶ瀬さんはそれをどこかに隠しておいたのね」
「はい。田中は必死になって探します。用務員の部屋をかき回しましたが、何も出てきません。校長室も調べてみましたが、見つかりません」
「どうして見つからなかったって断言できるの?」
「それを探す目的で、山神高校の音楽準備室に亡霊がやって来ているからです」
「何ですって?」
叶美はこのときばかりは飛び起きた。
「庄一はグランドピアノのどこかに証拠を隠したのですよ」
「それでは、その幽霊の正体とは?」
「おそらく田中の娘でしょうね」
「田中は月ヶ瀬庄一を殺害後、工事の合間に校内をくまなく探したことでしょう。しかしどこにも見つからない。用務員は学校に関してはプロです。カセットテープは絶対見つからない場所に隠しておいたのです。それは田中が誘拐犯であることを示す大切な証拠だったからです。
そのうち、グランドピアノが小学校から山神高校へと移された。田中は学校中を数ヶ月探し回っても見つけることができませんでした。
それでようやく思い至るのです。カセットテープはあのグランドピアノに隠してあったのだと。しかし小学校の増築は完成し、田中は現場を去ることになります。
田中は証拠を回収するために、娘を亡霊に扮装させ何十年も山神高校に差し向けていたのです」
「でも、まだ見つかってないわよね」
「あの感じだと、まだでしょう」
「グランドピアノを解体しましょうよ。そうすれば動かぬ証拠が……」
「いや、ただカセットテープが出てきただけではどうにもなりません。ここまでは全て僕の推測でしかないからです」
「でもテープから田中と月ヶ瀬さんの指紋が両方とも検出できたら、二人の関係性が立証できるわよ」
叶美は食い下がった。
「そもそも庄一の死体は出ていません。彼はあくまで失踪扱いなのです。これは殺人事件ですらないのです」
「そんなことって……」
叶美は唇を噛んだ。
「以上が僕の事件の見立てです」
沢渕は両腕を大きく伸ばした。
「そうそう一つ疑問があるんだけど、いい?」
「どうぞ」
「田中の娘のことよ。彼女は小学生の頃何の疑念も持たず、父親に言われた通りのことを忠実に実行したのだろうけど、それから三十年、彼女はすっかり大人になっているのよ。どうして犯罪者である父親の片棒を担ぐようなことを、今もなお平気でやれるのかしら?」
「田中は娘に全てを語ってあるのでしょう。それでも危険を顧みず素直に協力しているところをみると、田中というのは社会的地位が高い人物なのかもしれませんね。それなら娘としても過去の汚点を隠すことに積極的になるかもしれない」
「それも田中探しの条件の一つとなるわね」
叶美は一人頷くと、直ちにクマに連絡を取った。
「沢渕くん、本当にすごいわ。あなたの話は筋が通っている」
叶美は褒めた。
「しかし気掛かりなのは、これらは全て憶測で一つも証拠がないということです。たとえ現場監督の名前が判明して、追求したところで果たして認めてくれるかどうか」
「それによくよく考えてみれば、もう三十年前のことだからとっくに時効が成立しているのよね」
現在殺人の時効は撤廃されているが、過去の事件については適応されない。すなわち犯人が分かったところで刑事事件として追及することはできないのだ。
「沢渕くん、もう帰りましょう。ここでできることは済んだわ」
叶美は身体を弾ませるように立ち上がった。すでに午前3時を回っていた。
しかし沢渕に達成感はなく、今までとほとんど変わらぬ気分だった。推察をどれだけしようとも、本当に事件の解決に繋がるのか甚だ疑問だったからである。




