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沢渕晶也の推理(1)

 一時間ほどして叶美が戻ってきた。手にはビニール袋をぶら下げている。

「夜食を買ってきたの。今夜は長くなるでしょ」

 袋から菓子パンや缶コーヒーを取り出して、沢渕に手渡した。

「ありがとうございます。ちょうど腹が減ってきたところでした」

 沢渕はさっそくパンにかじりついた。

「それで、推理はできたの?」

 部長は容赦ない一声を掛けた。

「はい。後は部長からの疑問に答える形で完成させようと思います」

「じゃあ、早速聞かせて」

 と言ってから、

「ねえ、その前に、ずっとここに座っているのも疲れるから、運動場の真ん中で寝転ばない?」

 と提案した。

 もうすっかり夜のとばりが下りているので、誰かに見られる心配もない。空を見上げると無数の星が瞬いていた。

「それはいい考えですね。そうしましょう」

 二人は食事を終わらせると、運動場の中央に向かった。大地に背中をつけて寝転ぶ。夏の日差しを受けた砂がこの時間でも熱を帯びていた。

 斜め上には、そびえ立つ校舎が黒い影となって迫っていた。

「では、始めましょう」

 二人は満天の星を仰いで、三十年前の夏に思いを馳せた。

「この事件は、月ヶ瀬みなみの不幸な事故から始まります」

「事故?」

「はい、みなみは殺意を持って殺された訳ではないのです」

 叶美は黙って聞いている。

「父親庄一が山神高校へ仕事に出かけると、みなみは一人きりになってしまいます。そんな退屈な夜は、音楽室でグランドピアノを弾いて時間を潰していたのですが、最近はもっと楽しい遊びを見つけました。それは学校の増築工事が始まってから、まるで羽根が生えたかのように、学校を飛び回れるようになったことです」

「なるほど、それが工事用の足場だったのね」

「いったん教室の窓から足場に出れば、階段を使うことなく垂直移動ができ、自由に教室間を行ったり来たりできるので、彼女はまるで魔法を手に入れたような気分だったに違いありません。ただしこの魔法は昼間や夜父親の居る前では使えません。なぜなら昼は先生に、夜は父親に叱られるのがオチだからです。よって彼女は大人に見つからないように、夜の限られた時間で遊んでいました。

 しかし実は、先生、父親以外にも、遊びを邪魔する大人の存在がありました。それは現場監督の田中です。週に何度か彼は運動場の一角に建てられたプレハブ小屋で寝泊まりすることがあり、そんな時は自重するしかありませんでした。

 一方、田中の方は自身にも同じ年頃の子どもがいましたし、昼に多くの児童と接するにつれ、子どもに対して寛容さが生まれていました。さらには誰も居ない校舎で月ヶ瀬みなみと出会っていて、彼女とは顔見知りだったかもしれません」

「ちょっと待って。どうして田中に子どもがいるって断言できるの?」

「この後の展開を考えると、絶対にみなみと同じ年頃の娘がいなければなりません。それがこの事件の核心と言ってもいいくらいです」

 沢渕は自信を持って言った。

「今すぐ、クマに連絡しなきゃ。工事業者はすぐに判明しそうだけど、現場監督の特定には時間が掛かるって言うのよ。だから絞り込める条件があるのなら、それを利用しない手はないわ」

 叶美は沢渕の返事も待たず、クマに連絡を取った。

 一仕事を片付けてから、

「はい、続きをお願い」

 と促した。

「もし二人が親しい間柄だったら、田中は父親が不在であることを確認した上で、足場に上がることを容認して、輝く星々や眼下に広がる夜景を見せていたかもしれません。

 もちろんこの密会は庄一がいない時に行われていたので、父親は、田中と娘の関係は知らなかったと思います。また、みなみとしてもこの話を父親に聞かせれば怒られるのは確実で、楽しみを奪われることを恐れ、秘密にしていたことでしょう。

 そして8月7日。不幸な事故が起きてしまいます。昼は6年生全員でタイムカプセルの埋設をして楽しく過ごしたみなみでしたが、夜には彼女の人生が終わりを迎えることになります。と言うのも、いつものように足場の上で遊んでいると、うっかり足を滑らせて4階の高さから落下して即死してしまうのです」

 叶美は後輩の大胆な推理に言葉を失っていた。

「先輩、聞いています?」

 不安になって尋ねると、

「ええ、もちろん聞いているわよ。確かに土の中から発掘された彼女は、肋骨の一部と左足首が折れているという検死報告が公表されていたわ。足場の最上階から転落したのなら、辻褄が合うわね」

 叶美はやや興奮気味に言った。

「そして、その一部始終を田中は目撃したのです」

「沢渕くん、ちょっとだけ言わせて頂戴。あなたの見立てだと、月ヶ瀬みなみさんは事故死ということだけど、田中が故意に突き落として殺害した可能性はないの?」

「田中に、月ヶ瀬みなみを殺す動機がありません。通常大人が子どもに殺意を抱くとは考えにくい」

「でも誘拐目的なら?」

 叶美は捜査会議の一幕を思い出していた。犯人は最初から人質を返すつもりはなく、殺害後地中に埋めて身代金を要求したという話だった。

「確かにこの後誘拐事件が発生しますが、それはあくまで二次的なものです。少なくともこの段階では田中は何も考えていなかったでしょう。それに田中にも家庭があり、娘を持つ身ですから同じ年頃の娘を殺すとは考えにくいのです」

「二人が親しい関係だったのなら殺す理由などないか。では、先に進めて」

「田中は相当慌てたでしょう。彼は工事現場の責任者なのです。夜、児童を足場に上がらせていたことがバレたら、ただでは済みません。刑事責任が問われてしまう。

 しかし幸運なことに、この場には誰もいません。ということは、この後うまく立ち回れば責任逃れができるかもしれない」

「そこで単なる事故が事件へと発展するのね」

 叶美は一人大きく頷いた。

「田中は、父親が帰ってくる前に遺体を隠すことを考えます。とりあえず落下した遺体をそのままにしておくのはリスクが大きい。地上にあっては、誰かに見つかってしまう。そう考えて遺体を足場の2階部分に引き上げます。

 すると、車の明かりがこちらに向かってやって来た。どうやら教職員の誰かが学校に来たようです」

「それが箕島校長だった」

「はい、そうです。しかし彼は学校へ来るようになってまだ2日目です。ですから、田中は箕島校長と面識はなかったでしょう」

「小学6年生が起きている時刻を考えると、午後9時か10時よね。校長はそんな夜遅くに何の目的で学校に来たのかしら?」

「それは断定が難しいですが、例えば昼にタイムカプセルの行事を自分のカメラで撮影したものの、それを持ち帰るのを忘れてしまった。翌日、家族のイベントを撮影するのに必要だったので取りに戻った」

「なるほど。明日の準備をしようと思ったところ、愛用のカメラがないことに気がついたのなら、夜遅く学校にやって来る十分な理由になるわね」

「さて、問題はここからです。この先をどう考えるかで事件の全容は大きく変わってしまいますが、僕の考えはこうです」

 沢渕はそう前置きしてから、

「立面図や現場写真がないので断言はできませんが、職員の駐車場へ行くには、いったん足場の下を通り抜ける必要があったのではないでしょうか。突然車が校内に入ってきて、田中は驚きますが瞬時にあることを思いつきます。車が足場の下を通り抜ける際に遺体を上から落とすのです」

「何ですって?」

 叶美は上体を起こして、寝そべる沢渕の顔を覗き込んだ。

「瞬時の思いつきですから、成功するかどうかは分かりません。しかし他人を巻き込むことで自分の過失を薄めることができるのではないか、そう思って実行に移します。遺体を落下させるタイミングは、車の側面、助手席側のドア付近に当てるのが理想でしょう。なぜなら運転手には遺体が降ってきたことを気づかせてはいけないからです。横からぶつかってきたと思わせる必要があります。

 文字通り一発勝負となりましたが、遺体は車の側面にぶつかって弾き飛ばされました。

 当然、異常な音と振動に気づいた箕島校長は車を急停車させます。ドアを開けて周囲を確認すると、そこには女児の体が横たわっています」

「このとき、校長は用務員の娘だと気づいたかしら?」

「それはどうでしょうか。校長はまだ用務員の存在を知らなかったかもしれません」

「まだ正式に着任したわけではないから、用務員親子を紹介されてなかった可能性もあるわね」

「それはどちらでも構いません。この後に判明することですから」

「それで、校長は遺体を見てどうしたのかしら?」

「息がないことを確認して、救急車を呼ぶ必要はなくなりました。この状況からすると、どう見ても自分が車で轢き殺したと思ったでしょう」

「どうして女児がこんな遅くに横から飛び出してきたのか、不思議に思わなかったのかしら?」

「気が動転すると、人間は途端に論理的思考ができなくなります。本能的にどうしようかと考えたはずです」

「それでどうしたの?」

「ここがターニングポイントです。すぐに警察に届けるか、それともひた隠しにするか」

「箕島校長の性格なら、警察に連絡するのではないかしら?」

「しかし魔が差したのか、彼は隠すことを選択する」

「それは間違いない?」

「はい。この後に亡霊騒ぎが起こることを考えれば、そうとしか考えられません」

「そうよね。遺体が適切に処理されなかったからこそ、三十年に渡って亡霊が現れることになるのだから」

 叶美はそんなふうに言った。

「でも、どうしても理解できないのよ。あの箕島校長が遺体を隠したとは」

「先程、何か家族のイベントでカメラを取りに戻ったという話をしましたが、それが理由なのかもしれません。例えば自分の子どもが生まれるといったおめでたい出来事があるのなら、今は警察沙汰になるのを避け、後日出頭しようと考えたかもしれない」

「病院で見た箕島校長の娘、つまり紗奈恵さんの母親は年齢的に合致するかも」

「校長が57歳の時の子どもということになりますね」

「何か訳ありかもしれないわね。だから直貴に調べてもらうように言ったのね?」

 叶美は納得した様子だった。

「ところで、この時田中は姿を見られないよう、隠れていたはずよね?」

「そうですね。月ヶ瀬みなみが転落した時点で、プレハブ小屋の明かりを消して、学校から自分の存在を消していたと思います。だからこそ、目撃者がいないと思った校長は遺体を隠すことを選んでしまったのです」

「しかしこの田中ってのは、狡猾な奴よね。落下事故の責任を全て人に押しつけているんだもの」

「ここまでは常識的な推理です。田中という現場監督の存在によって、事件の発生状況が説明できました。ただしここから先は、僕の憶測で話を進めていかなければなりません。なにしろ、証拠がまるでありませんからね。よって部長の否定的見解が大いに役立つという訳です」

「分かった。横から色々と言わせてもらうわ」

 叶美は力強く言った。

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