森崎叶美の尾行
次の日の午前中、沢渕は一人で事件のあった小学校へ出向いてみた。
さぞかしマスコミが押しかけていると思いきや、行ってみると報道関係者は嘘のように消えていた。彼らはさっさと引き揚げていったらしい。
考えてみれば、それは当然のことかもしれない。
確かに、小学校の校庭で白骨化死体が見つかったのは事実だが、事件が三十年前に起きているとしたら、ここで取材を続けたところで何も得られる物はないからである。
死体が地中で眠っていた時間はあまりにも長く、事件の真相はすぐに解明できるものではない。今の教職員や近所の者に聞き込んだところで、何か新しい発見があるとは到底思えない。
夏休みで児童がいない小学校は、ひっそりと静まり返っていた。さりげなく校門から中を覗いてみると、パトカーが一台停まっていた。教職員の車はほとんどない。さすがに校内に立ち入る訳にもいかず、沢渕は学校の周囲をゆっくりと歩いた。
運動場の隅に、黄色の規制線が張られている一角があった。あれは警察の手によるものだろう。まさに白骨化死体が出てきた現場である。
ここからは問題の穴を見ることができないが、それでも掘り出した土が盛ってあるのが見える。その分量からすると、穴は相当深く掘って調べたようだ。
中に入って間近で現場を観察したい衝動に駆られたが、それはさすがにはばかられた。よしんば今の沢渕が見たところで、事件の解決につながるものが発見できるとは思えなかった。
午後からは、探偵部の捜査会議が待っている。せっかくここまで来たのだから、山神高校の図書室まで足を運ぶことにした。
小学校の角を曲がったところで、突然人影が現れた。もう少しでぶつかるところだったが、沢渕が身を翻したので事なきを得た。
白のワンピースに身を包んだ少女だった。若者には珍しく麦わら帽子を被っている。
びっくりしたのか、手に持っていた書類が道路に散乱した。そのうちの一枚が風に吹かれそうになったのを、沢渕はすかさず手で押さえた。
「どうもすみません」
彼女は自ら書類を拾い上げてから、最後の一枚を沢渕から受け取った。
「ありがとうございます。助かりました」
心のこもった一礼をして、その場を立ち去ろうとした。礼節をわきまえた若い女性に、沢渕は好感を持った。
「失礼ですが」
彼女は足を止めた。優雅な目元と長いまつ毛が、女性的な魅力を醸し出していた。
「あなたは、昔この学校に勤めておられた校長先生のお孫さんでいらっしゃいますよね?」
沢渕はゆっくりと丁寧に訊いた。
「ええ、そうですが」
彼女は目を丸くすると同時に警戒心が芽生えたのか、身を硬くしたようだった。
「どうかご安心下さい。僕は報道関係者ではありません。この坂の上にある高校に通っている学生です」
それでも彼女はどこか用心している顔つきのままでいた。
「あなたのことは、一昨日の同窓会に出席した知り合いから聞いています。何でも校長先生の代理で出席されたとか」
「ええ、まあ」
「それに以前から、この小学校について何か調べておられましたね?」
「どうしてそれを?」
彼女は顔を突き出すようにして訊いた。
「この坂道を下りてきたところ、校庭に佇んでいるあなたを見掛けたのです」
「そうだったのですか」
彼女は安心したようだった。さっきまで尖っていた肩は今やすっかり丸みを帯びている。
「実を言うと、僕は別のルートで今回の事件とぶつかってしまったのです」
別のルート、という表現がどこか彼女の琴線に触れたのか、
「それはどういったことでしょうか?」
と勢い込んで訊いた。
そこで、毎年夏になると音楽準備室に出る亡霊のことや、それをカメラに収めたこと、さらには山神高校探偵部が秘密裏に事件の捜査を開始したことを話した。
「お互いに知っている情報をつき合わせれば、何らかの突破口が開けるかもしれません」
沢渕は誠実な口調で言った。
「確かにあなたのおっしゃる通りですね。私一人ではどうにもならないと思ってましたので」
大きな瞳が揺れていた。彼女も沢渕を味方につけることで事態が進展することを期待しているのだ。
「それでは、ちょっと静かなところでお話しませんか?」
「はい」
彼女は控え目な声で答えた。二人は肩を並べて商店街の方へ歩き出した。
実はその後を密かにつける者がいた。
森崎叶美である。
彼女は生徒会の仕事で高校に来ていたのだが、その帰りに沢渕と見知らぬ女子が立ち話をしているのに出くわし、好奇心も手伝って尾行してきたという訳である。
叶美は休日の沢渕の行動についてとやかく言う筋合いはないが、それでも通学路の目立つ場所で知らない女性に声を掛けて、仲良くどこかへ行くなどという積極性を持っているとは思ってもみなかった。それで事の顛末を見届けてやろうという気持ちが、彼女の行動の原動力となっていた。
白い服の女性はどうやら同世代に見える。長くて艶のある黒髪は女性からしても羨ましい。色白な肌は上品で、茶道やお琴などの伝統芸能が似合いそうな雰囲気を持っていた。
歩き方にもどこか気品が感じられる。話す時はしっかり相手の目を見て、また笑う時は口にハンカチを当てるなど、それらの仕草がとても優雅なのである。
彼女は明らかに山神高校にはいないタイプの女性である。そんなところに沢渕は惹かれたのだろうか、叶美はそんなことを考えた。
二人は商店街のアーケードへと吸い込まれていく。
まだ午後の会議までには時間がある。沢渕はそれまで彼女とどこかで時間を潰すつもりなのだろう。
二人は今、商店街の大通りを小路へと折れた。狭い道路のため、自然とお互いの距離が縮まったように感じられた。実際、歩くたびに二人の肩が何度か触れ合ったりもした。
どんな会話をしているのだろうか。それを聞きたいのはやまやまだが、さすがに背後にぴったりつく訳にもいかない。我慢して、五十メートルほどの距離を置いて後をつけた。
二人は小路の分岐点で足を止めた。どうやら道に迷ったようである。一体どこを目指しているのだろうか。
すると突然、沢渕が後ろを振り返った。叶美は慌てて隠れようとしたが、そんな暇はなかった。思いっきり見つかってしまった。
「森崎先輩、おじいさんの喫茶店ってどっちの道でしたっけ?」
叶美は小走りに追いついた。
「こちらが、山神高校探偵部の部長、森崎叶美さんです」
「初めまして」
女性は深々と頭を下げて、
「わたくし、箕島紗奈恵と申します。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ」
(尾行に気がついているなら、最初からそう言えばいいのに)
そこからは叶美を先頭に小路をさらに奥へと分け入った。実は彼女の祖父が経営する喫茶店がこの近くにある。古びた店にはほとんど客はおらず、込み入った話をするにはもってこいの場所であった。
「いらっしゃい」
すっかり色あせた扉を開くと、奥から老人が声を掛けてくれた。叶美の祖父である。やはり店内には誰もいなかった。
三人は一番奥のテーブルに腰掛けた。曇った窓からは、たまに人の往来が見える。
それぞれ注文を済ませてから、沢渕は叶美にこれまでの経緯を説明した。
「校長先生はご存命ですか?」
叶美が訊くと、
紗奈恵は少し言葉を詰まらせるようにして、
「はい」
とだけ答えた。
当時の関係者が居てくれれば、今後の捜査にも期待が持てる。そう思って沢渕が次の言葉を発しようとした時、
「でも、もう長くはないんです」
と彼女は付け足した。
二人は自然と顔を見合わせた。
「実は、私の祖父は三十年前のあの日からずっと時が止まっているのです」
紗奈恵はハンカチで目頭を押さえた。
随分深い事情があるようだった。沢渕は焦らず、彼女の言葉を待った。叶美もじっと彼女を見つめている。
「私の祖父は、あの日、気が触れて鉄道自殺を図ったのです。そして植物状態となってしまいました」
二人は二の句が継げなかった。




