56話
ブリルーノが赤子を洗うのに使った湯が入ったタライを手に廊下にでると、足音の主であるパザンプが階段を上り終える姿が見えた。
「子供が産まれたのだろ!」
大股で近づこうとするパザンプに、ブリルーノは睨みつけた。
「近づくなと、前に言わなかったか?」
ブリルーノが出した険のある声に、パザンプの近づこうとしていた足が止まった。
しかしパザンプは、そのままスゴスゴと引き下がる気はないようだ。
「産まれた子供を、こちらに寄越せ。すぐに養子先に引き渡す」
自分勝手な言い分に、ブリルーノは持っているタライの中身をぶっかけてやろうかとも思ったが、すぐに呆れの気持ちの方が強くなった。
ブリルーノはタライを床に置くと、改めて冷たい目をパザンプへ向けた。
「出産は終了していないし、産まれたばかりの赤子は環境の変化に過敏だ。時間を置いた方が良いと思うが?」
「赤子が死に易いことなど知っている! だから死ぬ前に養子先に送るのだ!」
赤子を養子として差し出す代わりに、養子先の貴族家から援助を受ける契約を、パザンプは結んでいる。
その契約を履行する――もっといえば、赤子が死んで契約が履行できなくなる余地を消すために、一秒でも早く産まれた赤子を先方に渡してしまいたい。
そんな考えが透けて見えて、ブリルーノはパザンプを蔑んだ。
真に、自分の子供という他人の力を利用しないと何もできない、無能な人間なのだなと。
「助産活動の邪魔だ。さっさと立ち去れ」
「なんだと!」
二人が睨み合っていると、フラシオンの声が部屋の中から外へと響いてきた。
「宮廷魔法師のダンナ。子供を旦那に渡しちゃくれないかい!」
ブリルーノは眉を寄せると、上半身だけ部屋の中に入れて、フラシオンに視線を向けた。
「いいのか? ここで渡してしまったら、赤子に急な体調の変化がでても、俺様は対処できなくなるぞ?」
「いいさ。子供との別れは、腹に居る間に済ませたよ。それにこの子は、きっと元気に育つからね」
フラシオンの表情は、現状を納得しているものだったが、そこに痩せ我慢が混ざっているものだった。
ブリルーノは何かを言おうとするが、逆に何かを言うとフラシオンの決断が鈍るだろうと判断し、無言を貫くことにした。
ブリルーノは、仕方がないという態度を見せながら、籠の中に入った赤子を抱き上げると、廊下で待ちわびていたパザンプへと差し出した。
「持っていけ。階段を下りる際に、落として死なせるなよ」
「そんな馬鹿な真似はせん!」
パザンプは怒鳴りながら立ち去るが、籠を両腕で抱えて落とさないようにしていた。
邪魔者が去ったのを見送ってから、ブリルーノはフラシオンに向き直る。
「本島に良かったのか?」
「良いさ。まだまだ腹に胎児がいるんだ。産み終わった子に構ってはいられないからね」
「次に生まれる子も、きっと同じことになるぞ」
「そうしてくれていいよ。出産に集中したいからさ」
強がりと分かる口調だったが、ブリルーノはこれ以上の問答を行う気にはなれなかった。
「わかった。出産に集中してくれ。補助する」
「助かるよ」
フラシオンが再び出産に集中する体勢に入った。
その姿を見て、そして心に渦巻く嫌な気分を感じて、ブリルーノは心の中で呟く。
(こんな家で、俺様に助産活動なんてさせるんじゃねえよ)
ノブローナ王妃を初めとする王家への文句を思い浮かべつつ、ブリルーノは助産活動に戻ることにした。




