30話
暗殺者の襲撃は、屋敷の中に入られてしまったこともあり、アロガンタ永代公爵までで止めることができず、フィエーリアの耳にも届いてしまったようだった。
そして芋づる式的に、妊婦に悪い食材が納入されている事件についても、知られてしまうことになってしまったようだ。
「わたくし、怒ってますのよ」
フィエーリアの私室には、彼女とその世話人たち、そしてアロガンタ永代公爵と主治医のアイスペクタ、そしてブリルーノが居た。
そしてフィエーリアの怒りの矛先は、アロガンタ永代公爵とアイスペクタに向けられている。
「狙われているのがわたくしであること。そして屋敷の中で問題が起こっているのであれば、それは永代公爵夫人たる、わたくしの領分ですわよ。それなのに、どうして情報を秘匿するような真似をなさったのかしら?」
そう詰問されて、アロガンタとアイスペクタはお互いに視線を向ける。
アロガンタはアイスペクタに頼る視線を送り、アイスペクタは雇い主が説明するべきだろうという目を返している。
そうして二人が即答できずにいると、フィエーリアの怒り具合が上がってしまったようだ。
「黙っていないで、何か言ってはどうですの?」
このままでは際限なくフィエーリアの怒りが積み重なると悟ることができたのか、アロガンタが口を開いた。
「余計な心配をかけさせたくはなかったのだよ。不安に思わせて、君とお腹の子供に悪影響が出てはいけないと」
「余計なお世話ですわね。わたくしに知らせないことを重視するあまり、対応が後手後手になって、いよいよ暗殺者を差し向けられるまで事態が悪化しているじゃありませんか!」
「その点は申し訳なく思っている。だが、嫌がらせが、ここまで度を越したものになるとは考えられなかったんだ」
「……まあ、その言い分は分かりますわ。食材に紛れていたのは、普通の人なら普通に食べられるものですものね。この程度のちょっとした悪戯は、アミーコジ永代公爵家と関係が悪い貴族家から受け得ることですものね」
関係がいくら悪かろうと、通常なら嫌がらせ以上の行動は取らない。
それが上位の貴族家が抱く常識であるからこそ、アロガンタはフィエーリアの出産を待ってから対応に動いても遅くないと判断した。
そういった考えの流れを、フィエーリアは理解して納得したようだ。
「アイスペクタ医師。貴方の行動も問題ですわ。危険な食材が屋敷の中に入ってきているのなら、わたくしにこそ教えねばならないでしょう。そうしなければ、誤って口にするかもしれないと、考えませんでしたの?」
「その点につきましては、料理人および世話人の方々に注意するべき食品をお伝えし、重々承知して貰っておりました。奥様がお知りにならずとも、決して毒物を口にすることはなかったと、アミーコジ永代公爵家の侍医としての立場からも保証いたします」
「わたくしには、医師として適切な対応をしていたと?」
「胎児の成長には、妊婦の精神状態が穏やかであることが最上です。ですので心の平穏を保つためであれば、情報を秘匿することも適切な処置であると自負しております」
事実、アイスペクタの医者としての判断は正しいのだろう。
なにせ、フィエーリアの胎児を無事に臨月近くまで育てることに成功しているのだから。
その点を、フィエーリアも理解しているのだろう。アイスペクタに対する苦情を取り止めることにしたようだ。
「医者として判断は正しかったと言われてしまうと、医療知識の門外漢としては、どうしようもありませんわね」
ふうっ、と気分を落ち着けるように息を吐き出してから、フィエーリアはブリルーノに視線を向けてきた。
怒りの矛先がいよいよ向いたかと、ブリルーノは身構える。
しかしフィエーリアの口から出てきたのは、感謝の言葉だった。
「屋敷に侵入してきた暗殺者を撃退なさったこと、大変助かりましたわ。ノブローナ王妃様から要請された仕事の外での成果。なんらかの褒美を取らせなければいけないかしら?」
行為を賞賛されて、ブリルーノは後ろめたい気持ちになった。
暗殺者の襲来は意図したことのない出来事だ。
しかし暗殺者が無事に屋敷の中にまで侵入したのは、魔法を試す被験体が欲しかったブリルーノが遠距離魔法で仕留めなかった所為だと言えなくもない。
落ち度が全くないとは言えないため、ブリルーノにフィエーリアからの称賛を受け取るべきではないという良心が働いた。
「……いえ、その必要はないかと。狙われたのは、フィエーリア様に間違いない。であれば今回の事は、フィエーリア様の出産を無事終えるよう助産せよとのノブローナ王妃の命令の内であると認識する」
「うちは永代公爵家。褒賞ですから、大抵のことは叶えて差し上げますわよ?」
「宮廷魔法師筆頭となれば、大抵の望みは叶うもの。そして叶っていない望みは、自身の努力でしか得られないものなので」
「その望みとは?」
「無論、魔法の頂きへと至り、あらゆる魔法を修めること。こればかりは、アミーコジ永代公爵家であろうと叶えられないでしょう?」
「確かにその通りですわね。せいぜい、その頂きに至れるようにと祈って差し上げるぐらいですわね」
話が一区切りついたところで、フィエーリアはアロガンタへと顔を向けなおした。
「わたくしの知るところとなったのですから、嫌がらせの下手人の一刻も早い取り締まりを頼みますわ」
「その件については、君に情報が伝わったと知った段階で、既に着手しているとも。もともと三つの家まで候補は絞れていたんだ。今日明日中には、愚か者の首を跳ねることができるはずだ。待っていてくれたまえ」
「腹立たしい気持ちは理解しますが、相手への慈悲も忘れないでくださいな」
「うむむっ。心境的に族滅させてやりたいのだが――そう睨むな、分かった。企んだ者以外は、十分な温情を与えると約束する」
「それでこそ、永代公爵位を持つ当主の姿ですわ」
そうアロガンタを褒めたところで、フィエーリアの動きが固まった。
急に停止した姿に、この部屋にいる誰もの顔に疑問が浮かぶ。
だが、フィエーリアの顔に脂汗が浮かび始めたのを見て、真っ先に侍医であるアイスペクタが動いた。
「奥様、もしや陣痛が始まったのですか?!」
アイスペクタはフィエーリアの体を支えて、呼吸が獲り易い体勢へと動かしていく。その最中に使用人に視線を向けてから、次にベッドのある場所へと顔を向けた。
それが合図になり、使用人たちがバタバタと動き始める。
ある者はベッドのシーツを用意してあった未使用のものへと取り換える。ある者は医療室へと走ってアイスペクタの道具を鳥に行く。またある者は調理場へと湯を取りに向かった。
「えっ、何が?」
突如の状況変化に、アロガンタは対応できていない様子。
そこでブリルーノは、既に二度の出産現場に立ち会った経験から冷静を保てていたこともあり、動き回る人々の邪魔にならないようにアロガンタを部屋の壁際へと連れていった。
「アロガンタ永代公爵。いまから出産が始まるようだ。出産の立ち合いはどうするか、フィエーリア様と話し合いはされたか?」
「あ、ああ。出産時に妊婦は醜態を晒すと聞くから、立ち合いはしないでくれと言われている」
「そういう話であれば、早くこの部屋から去られることを勧めるが、どうする?」
「いや、だが」
アロガンタが目を向ける先では、フィエーリアがアイスペクタに支えられながら椅子からベッドへと移動しようとする姿があった。
そしてあと少しでベッドに寝転がれるというところで、フィエーリアの股間から水が勢いよく零れ落ちた。破水だ。
「うぐっ!」
「本格的に陣痛が始まったようですね。奥様、立てている間に、衣服を変えましょう」
アイスペクタの言葉に、使用人たちが動こうとする。
しかしフィエーリアは手を上げて、その行動を制止した。その後で、今までにないほどの力強さで、アロガンタを睨みつけてきた。
「何時までいる気なんですの。事前に話していた通り、部屋の外に出ていきなさいな」
「いや、だが」
「つべこべ言わない! 早くしなさい!」
「は、はい!」
脂汗の滲む顔で一喝されて、ようやくアロガンタは部屋の外へ出る気になったようだ。
ブリルーノは、アロガンタが部屋の外にでるまで見送ってから、アイスペクタの元へと移動する。
「部屋の浄化をするが、構わないか?」
「妊婦にかからないようにできるのなら」
「そのぐらい、造作もない」
ブリルーノは、まず着替え終えてベッドに横たわったフィエーリアを囲うように魔法障壁を張った。その後で、部屋全体を綺麗にする浄化の魔法を行使した。
魔法効果が発動し、魔法障壁で囲われたフィエーリア以外の全て、家具も絨毯も人々もが清潔な状態へと変わった。
あっという間の早業に、アイスペクタはブリルーノに驚きの目を向けてきた。
「流石は宮廷魔法師筆頭殿ですね。この魔法なら、井戸水も沸かさずに清潔にできますか?」
「できるぞ。だが作業のしやすさを考えて、ぬるま湯ぐらいにまで温めるぐらいはした方がいいんじゃないか?」
「それもそうですね。ということは、ちょっとやり方を変えた方が効率的かな」
アイスペクタは少し黙って考える素振りになってから、ブリルーノに真剣な目を向けてきた。
「宮廷魔法師筆頭殿にいっていいことじゃないけど、僕の指示に従った方法で出産を手伝っては貰えないかな?」
「そちらの指揮下に入って、適宜魔法を使ってくれってことか?」
「その通り。どうかな?」
「ふむっ。要望された通りの魔法が使えるとは確約できないが、一興だな。そのやり方でやってみよう。ただし、そちらの指示が間違いだと感じたら、俺は指示を拒否する。それでもいいのならだ」
「ふふっ。そっちが魔法の専門家であるように、僕は医療の専門家ですよ。素人が間違っていると感じるような間抜けな指示をするはずがないじゃないですか」
自信たっぷりに言い切ったアイスペクタを見て、ブリルーノは彼の指示通りに動くことに決めた。




