風来坊必殺拳 「親子飯」8
日が沈み、既に夜もとっぷりと暮れていた。
「晴天」の一室で、ミチはじっと座ったまま、俯いている。
目の前には食事の用意もされていたのだが、手を付ける様子はない。
女将やゼヴルファーが食べるように、と促したが、ミチは首を横に振るばかりであった。
「何か食わねぇと。腹も空いたろう?」
「おとうちゃんがきてから、いっしょにたべます」
「だがなぁ」
「ひとりでたべると、おとうちゃん、ごはんこぼしたりするから。わたしが、いってあげないと、いけないんです」
ゼヴルファーはもう、何も言えなくなってしまった。
ミチにとってゲンジは、良い父親なのだろう。
この親子は二人、支え合って生きてきたのだ。
胸が締め付けられるような気持を、ゼヴルファーは味わっていた。
同時に、煮え滾るような怒りも感じていた。
なぜこの親子が、こんな目にあわなければならないのか。
一体どんな悪事をしたというのだろう。
ただ薄汚い連中の争いの場面を見たことが、そんなに悪いことだというのか。
「申し訳ありません。私があの時、しっかりと止めていれば」
いたたまれないといった様子の女将の言葉に、ゼヴルファーは首を振った。
「いや。女将は悪かねぇさ。それを言うなら、ここを出るとき、俺が言って置くか、見張りでも置いてりゃよかったんだ。だがな。本当に悪いのは、別にいるぜ」
「晴天」の中は、静まり返っていた。
この日は大魔王様がお越しになり、店を借り上げている。
ほかの客は一組も入っていなかった。
ダイ公はと言えば、やはり沈痛な面持ちで、ゼヴルファーの隣に座っている。
「ねぇ、兄貴。ゲンジさん、大丈夫っすよねぇ」
「大丈夫に決まってんだろ。おミチちゃん置いて、どうこうなるかってんだ。大人のおめぇがオタついてどうすんだ。ドーンと構えてろ。ドーン、と」
「そんなこと言ったって、あーもー、ソウベイさんに水中用の装備でもあったらなぁ!」
そんなダイ公の後ろに、空中からにじみ出るように人の姿が現れた。
鉄拳魔王家の家令、アルガである。
「若」
「おう、分かったかい」
「はい。エルゼキュート殿からのご報告も、私から」
おおよそ大魔王都内の出来事で、幽霊と植物が知らぬことはない。
アルガは幽霊と話すことができ、庭師であるエルゼキュートは植物と話すことができた。
つまり、この二人が調べようと思って調べられぬことは、おおよそ大魔王都には存在しないといってよい。
話を聞き終えたゼヴルファーは、腕組みをして深く息をついた。
ダイ公の方は、お怒りの様子で呻いている。
「じゃあ、やっぱり血刃魔王とその三男坊が悪いってことじゃねぇっすか! 兄貴! 今すぐ行ってぶちのめしてやりましょうよ!」
「バカヤロウ、俺も今すぐにでも行ってそうしてぇけどな。物事には順番ってのがあるんだよ。どうせならきっちり落とし前付けさせてぇだろうが」
「きっちりっすか?」
「そうだよ。おう、アルガ。ここに居ねぇってことは、エルゼキュートはもう行ってるんだろうな」
「はい。ああいった仕事は、私よりエルゼキュート殿の方が得意ですから」
なにやら、もうすでに手は打ってあるらしい。
ダイ公は不満げながらも、渋々といった様子で座りなおした。
その頃、血刃魔王ソンソルダの三男は、仲間と共に大魔王都外れの廃屋にいた。
ここはいつもたまり場にしている場所である。
「あとは、親父殿から金をせしめ、雲隠れするだけ、だな」
「しかし、本当に田舎に引っ込まねばならぬものですかね」
「そうさ。俺はどうも、大魔王都の空気に馴染んでおるからな」
「はっはっは! なぁに、少々不便だろうがな、だからこそよいこともある。剣や魔法を存分に振るっても、追いかけてくるのは田舎武家程度なのだぞ?」
「大魔王都では、町奉行所やら目付やらがうようよいますからな。それらに比べれば、どうということもない、か」
「左様。酒、金、女。少々土臭くはあるだろうが、己の腕一つで思いのままよ」
ドッ、と笑い声が上がる。
仲間の一人が、酒を飲もうと茶碗を持っていた腕を上げようとした。
だが、腕が動かない。
何事か、と思って腕を見てみると、なんと蔦が絡みついている。
「な、なんだぁ?」
慌てて反対側の手で振り払おうとするが、そちらも動かない。
見れば、やはり蔦が絡みついているではないか。
しかもこの蔦、こうしている間にも成長しているようで、体にどんどん絡みついてくるのだ。
「うわぁあ!? なんだこりゃ?!」
「どうし、ぎゃあああ!」
「なんだっ! 何が起こっている!?」
いつの間にか廃屋の中に入り込んだろう。
ほかの仲間の体にも、ツタがすっかり絡みついている。
剣や魔法で切断しようとする者もいるが、無駄であった。
多少どうにかなったところで、伸びてくる速度の方が早い。
そんな中、なんとか体の自由を保っているのは、三男だけであった。
血の刃を振るい、蔦を切り裂いているのである。
だが、仲間を助けることはおろか、この場から逃げる暇もない。
「あらぁー。ずいぶんー、がんばりますねー」
場違いなのんびりとした声は、女のものであった。
ゆったりとした仕草で廃屋に入ってきたのは、鉄拳魔王城の庭師エルゼキュートである。
「貴様っ! 目付かっ! 己れぇえええ!!!」
すっかり興奮していたのだろう。
三男は返事も聞かず、エルゼキュートに血刃を振るった。
液体であり、伸縮自在の刃が、エルゼキュートの体をとらえた。
かに、見えた。
三男は必殺を確信し、ニヤリと笑うが、その目が驚愕に見開かれる。
エルゼキュートがいつの間にかその手にしていた一抱えもありそうな木の実が、血刃を止めていたのだ。
「ばっ、馬鹿なっ!? 私の血刃は、我が家の特殊能力なんだぞっ!」
「えー、いー」
驚いている三男に向かって、エルゼキュートはその木の実を投げつける。
ソレまでのゆったりとした動きが嘘のような、目にもとまらぬ投擲。
巨大な木の実は狙い違わず、三男の頭を直撃。
一瞬にして、その意識を刈り取った。
「これはー、魔王胡桃といってー、うちのお庭にー、生えてるんですよー」
どこか誇らしげな様子で、エルゼキュートは胸を張る。
その足元には、蔦でぐるぐる巻きになりすっかり身動きが取れなくなった三男と、その仲間達が転がっていた。
空が明るくなり始めていた。
もう、夜が明けるのだろうか。
ミチは一睡もせず、じっと座ったままであった。
ゼヴルファーも、庭に面した廊下に座り、空を見ていた。
女将はミチのそばにいる。
ダイ公は、庭をうろうろと歩き回っている。
「あー、もー。夜が明けちまったよ・・・んん? ちょっと、兄貴、兄貴!」
ダイ公が騒ぎ始めた。
何かの音を聞きつけたからだ。
むろん、ゼヴルファーの耳にも届いている。
それは、力強い蹄の音だった。
「おみちーっ!!」
ミチが、ハッと顔を上げた。
飛び跳ねるように立ち上がると、庭に向かって走る。
障子を開けて庭に出ると、そこに大きな人馬型のアイアンゴーレムが駆け込んできた。
その背中には、人がしっかりと抱き付いていた。
「おみちっ!」
ゲンジである。
服や髪の毛が濡れているようだが、どこも怪我をしている様子もない。
「おとうちゃん!」
ゲンジは人馬の背から飛び降りると、ミチに駆け寄って、その体を抱きしめた。
とたん、ミチは堰を切ったように泣き出した。
ずっと我慢していたのだろう。
「よかった、いやぁ、よかったすねぇ・・・!」
抱き合う親子の姿を見て、ダイ公は滂沱の涙を流している。
女将も、そっと目頭を拭っていた。
「ああ。良かった」
ゼヴルファーは心底安心したように、大きくため息を吐いた。
その顔には、笑みが浮かんでいる。
「おう、ご苦労だったなぁ、ソウベイ」
「いやはや、遅くなり申した! 面目次第もござらん!」
「おめぇさん、泳げもしねぇのに水に飛び込んだんだってなぁ?」
「それにござる! すぐにゲンジ殿に追いつき背中に乗せたのはよかったのでござるが、そこからが問題でござってな! 水から揚がる場所を見つけるのに一苦労! 何とか陸に上がっても、自分がいずこにいるかもわからぬ始末! ここまで戻ってくるのに、あちこちの番屋を回り申した!」
「はっはっは! そりゃぁ、災難だったなぁ!」
「わーかー」
裏口の方から、声が聞こえてくる。
のんびりとしたその口調は、エルゼキュートのものであった。
庭の方へと歩いてくるその後ろには、人の形をした木が何体も並んでいる。
脇には、それぞれ一人ずつ、蔦でぐるぐる巻きになった人を抱えていた。
「おう、エルゼキュート。ご苦労だったなぁ」
人形の木は、トレントという植物の一種である。
魔物で、鉄拳魔王城の庭木であり、エルゼキュートの私兵でもあった。
「いーえー。これはー、この連中がー、持っていたものですー」
エルゼキュートが差し出したのは、帳面であった。
「不正の証拠でー、橋の上で殺された男がー、持っていたもののー、写しだとかー」
「三男が保身のために持ってたってヤツだなぁ」
三男は誰にも聞かれていないつもりだっただろうが、「植物の前で」その話をしたことがあったのだ。
「証拠の品と、生き証人。これだけありゃぁ、この俺が踏み込む理由としちゃ上出来だ」
「おお! 討ち入りにござるか!」
「ああ。一暴れしてやるとするかな」
ゼヴルファーはゲンジ親子の方を見やり、優し気に微笑む。
それから、すっと、表情を引き締めた。
両の拳は、固く、握りしめられている。




