第八十三話「ミネルバとデート(前編)」
翌日。
食堂で昼食を終えた俺とミネルバは、リアーナの商業区へ向かった。
俺はシルク製の白い半袖シャツの上に、黒いコートを羽織り、青いズボンに茶色の手袋という格好だ。
ミネルバは黒のタンクトップと青いホットパンツという身軽な恰好だが、念の為に用心して、その上から漆黒のフーデッドローブを羽織っている。 フードも目深に被り、彼女の頭部に生える二本の短い角を隠していた。
まあここリアーナでは、竜人族の姿も珍しくないが、彼女は自分の角をあまり他人に見られたくないとの話。 ヒューマンの俺にはその理由は良く分からないが、わざわざ聞くのも無粋だ。
とりあえず素知らぬ顔で居るのがいいだろう。
「ねえ、ラサミス。 貴方は今日の予算どれぐらい持ってきたの?」
「ん? ああ、三十万グラン程、持ってきたよ」
「へえ、結構持ってきたんだあ。 貴方も何か買うつもりなの?」
「いや特にその予定はないけど、急に何か欲しくなるかもしれないじゃん」
「あ~分かる。 他人が何か買うと自分も買いたくなるよね!」
「そうそう、そんなわけで軍資金だけは充分に蓄えているのさ」
俺達は何気ない会話を繰り返した。
それにしてもミネルバは良く笑うようになったな。
良い傾向だ。
「んじゃとりあえずその辺ぶらぶらしようぜ?」
「了解」
「わあぁ、意外と色々あるわね!」
ミネルバが中央広場の露天市場を見ながら、感嘆の声を上げた。
この中央広場の露天市場は、特に栄えており活気に満ちていた。
様々な種族の商人と冒険者達が所狭しとひしめき合っていた。
まあ俺も最初の頃は、この光景に驚いたからなあ。
リアーナに住んでもう半年くらい経つから、だいぶ慣れてきたが。
「ねえ、この銀の十字架はいくらかしら?」
ミネルバは、とあるバザーの一角で見つけた十字架を手にしながら、少し腹の出た中年男性のヒューマンの行商に値段を聞いた。
「おっ、お嬢さん。 お眼が高いね。 それは純銀で作られた十字架だよ? この十字架を身につけていたら、不死生物や吸血鬼に対して魔よけの効果もあるよ!」
「へえ、そうなんだあ。 それでいくらなの?」
「二万グラン(約二万円)だよ!」
「う~ん、もう少し値下がりできないかしら?」
というミネルバの言葉に行商は両肩を竦めた。
「う~ん、こちらも商売なんでね。 値引きはできないよ」
「……そう、なら二万グラン(約二万円)で買うわ!」
そう言って腰帯の皮袋から金貨を取り、行商に手渡すミネルバ。
「毎度あり~、今後も贔屓にしておくれよ!」
「そうね、考えておくわ!」
どうやらミネルバはあまり値引き交渉が得意じゃないみたいだ。
メイリンなら意地でも原価では買わない。 あいつなら必ず値引きさせる。
まあしかしメイリンの値引き交渉はかなり長いので、同行者としては、ミネルバのようなタイプの方が気楽でいい。 ミネルバは早速購入した銀の十字架を首にかけた。
「……どう? 似合うかしら?」
「おお、いい感じじゃねえの?」
こういう時はとにかく褒めるに限る。 特に女相手なら尚更だ。
するとミネルバも少し嬉しいそうに「ありがとう」と答えた。
しかしこういうやり取りだけ見ると、まるでデート……みたいだな。
というかこれってデートなんじゃね?
というか間違いなくデートだろう。 いや今更だけどさ!
しかしデートと意識すると、急に緊張してきたりするからな。
まあこれがデートならエリスやメイリン相手にもデートしている事になる。
最近はようやく冒険者としての自信がついてきた俺だが、異性関係に関してはまだまだだ。 というかまだまだどころか全然だ。
でも慌てる必要はない。
なにせ俺は長らく底辺冒険者だった。
その俺が今ではA級の冒険者。 だから異性関係も焦らずじっくり行こう。
そう言い聞かせて、俺はやや高まった心臓の鼓動を治めた。
「ラサミス、どうしたの?」
「いや何でもねえ。 次行こうぜ、次!」
「そうね、次は服屋に行きましょう!」
そして俺達は何件か服屋を見回った。
ミネルバの服の好みは、見た目より、丈夫で軽くて動きやすい物を好む。
今日は黒のタンクトップに青いホットパンツという恰好だが、基本的に拠点に居る時も似たような恰好をしている。 本人曰くスカートはあまり好きじゃないらしい。 俺は似合うと思うんだがな。 ミネルバの足は細くて長いからね。
結局ミネルバが購入したのは、上は革製の黒いベスト。
下は青いレギンスに踏ん張りが利く革製の黒いブーツ。
締めて合計四万グラン(約四万円)。
エリスやメイリンならもっと時間がかかるだろうが、ミネルバの買い物は、女性にしたらかなり早い方だ。
「それじゃ次は装備を観に行きましょう!」
「あいさ。 あっ、何なら俺が荷物持つぜ?」
「……いいの?」
と聞き返してくるだけ可愛げがある。
メイリンなら問答無用で荷物持ちさせるからな。
「おうよ、こう見えて男だからな。 それに最近は結構筋力もついてきたしな」
「それじゃあお願いするわ!」
そう言って購入した服一式が入った紙袋を手渡すミネルバ。
そしてミネルバは大きく伸びして、「う~ん、いい天気だわ」と呟いた。
最初の方はまだ無愛想な感じだったが、最近の彼女は良く笑顔を見せる。
良い傾向だ。 この笑顔の為なら、喜んで荷物持ちするぜ。
次に向かったのは、俺の行きつけの防具屋だ。
前に拳士用の防具一式を購入した我が連合馴染みの店だ。
「はい、いらっしゃい。 おう! ラサミスじゃねえか!」
「こんにちは、ガイラさん」
「今日は何か買ってくれるのか? 冷やかしは御免だぜ?」
「いや今日は俺じゃなく、彼女が――」
するとこの防具屋の主人は双眸を細めて、ミネルバを凝視した。
「ん? フードで頭部を隠しているが、連れは女の子だよな? おい、ラサミス! お前も隅に置けないな。 やるじゃねえか!」
おいおい、おっさん。 早とちりするんじゃねえよ。
というかやたら嬉しそうだ。 この野次馬め!
「いや彼女は三ヶ月前にうちの連合に入団したミネルバさ。 こう見えて竜騎士さ」
「そいつは凄えや! でもエリスちゃんやメイリンちゃんに続きまた女の子の団員が入るなんて、お前等は恵まれているぜ!」
「……どうも、ミネルバです。 以後お見知りおきを」
「おうよ、それで今日は何が欲しいんだい?」
「えーと、黒の軽鎧に合う手甲か、ガントレットを。 それと同様に鉄靴も欲しいんですが……」
「あいよ! ちょいお待ち!」
それから待つ事、三分余り。
ガイラのとっつぁんは、言われた品を奥の戸棚から持って来た。
「この手甲と鉄靴は、耐魔性が高い上に闘気の通しが良い優れものの一品よ!」
「へえ~、それはいいですねえ」
耐魔性を上げると、どうしても闘気の伝達率が悪くなる傾向がある。
だから普通の金属では、耐魔性の高さと闘気の伝達率の高さは共存しにくい。 だがミスリル製や魔石を原料にした品だと、その共存も可能だ。
但しその分、値は張るがな。
このとっつぁん、さりげなく高い品を薦める辺りは流石だ。
「すみません、少し試着していいですか?」
「もちろんいいさ! はい、どうぞ!」
そしてミネルバは手に黒い手甲を、足に黒い鉄靴を試着。
うん、似合っているな。 しかしミネルバはやたら黒を好む傾向があるな。
個人的にはもうちょい艶やかな色も似合うと思うんだがなあ。
「……どうかな?」
やや上目遣いで聞いてくるミネルバ。
うむ、正直言って可愛い。 だがここはあえてポーカーフェイスで応じるぜ。
「いいんじゃねえの? いつも装備している黒の軽鎧とも合うと思うぜ? 普段着も黒が多いから、色々着まわしできるんじゃね?」
「そうね、それじゃあ――」
「おっと待った! へい、ガイラの旦那。 これ全部でいくらよ?」
ミネルバの会話を遮り、俺はそう口を弾んだ。
するとガイラのとっつぁんは一瞬顔をしかめたが、すぐ笑顔に戻り――
「こいつはミスリル製に高純度な魔石を組み合わせた一品さ。 本当なら二つで二十万グラン(約二十万円)ってとこだが――」
「なら十万グラン(約十万円)にしてよ!」
「冗談じゃねえよ、そんな値段じゃ俺達一家は路頭に迷うぜ!」
と、左手で首を水平に斬る仕草をするガイラ。
まあ流石に十万グラン(約十万円)は、値切りすぎと思うが、このしたたかな防具屋の主人は、俺達の懐事事情を明確に把握してやがる。
何せ俺達は三ヶ月前にかなりの大金を手に入れたからな。
実際最初の頃は、俺も馬鹿正直に言い値で買っていた。
だが冒険者は何かと入用な稼業。 故に極力無駄な出費は避けたい。
「……んじゃ十五万!」
「あのなあ、ラサミス。 これはそんじょそこらの品とは違うんだぜ? 耐魔性の高さと魔力や闘気の伝達率の高さを共存させるのは、お前が思っているより、ずうううっと大変なんだぜ? 分かるか?」
「勿論分かるさ。 だからこうして購入しようとしてるじゃん」
「……分かった。 可愛い新人に免じて十九万にまけてやる!」
おっ、とりあえず値下げ成功。 だがこれからが本番――
「一万グラン(約一万円)も値下げしてくれるんですか!?
買います、買います!」
と、ややはしゃぎ気味のミネルバ。
その言葉を聞くなり、ガイラは俺の方を見て勝ち誇ったように微笑を浮かべた。
そう、ミネルバは言うならば、おのぼりさん。
故にこの自由都市での生活にまだ慣れていない。
それ故にこの値下げ交渉という名の戦いの厳しさと意味も、まだ理解してなかったのだ。
……ちきしょうッ。 なんだか負けた気分だぜ!
次回の更新は2019年4月13日(土)の予定です。




