第75話 軽やかな朝、潮の呼ぶほうへ
朝の光が、カーテン越しに差し込んでいた。
「……ん……」
ナナミは、ゆっくりと目を開ける。
木の天井。
潮の香り。
宿〈海辺の子ブタ亭〉の、いつもの部屋。
(おはよう、ナナミ)
「……おはよう、アストラル……」
ベッドの上で、軽く伸びをする。
その瞬間──
ナナミは、はっとした。
「……あれ?」
身体が、軽い。
昨日よりも。
いつもよりも。
指先を動かし、胸の奥に意識を向ける。
──すう、と。
魔力が、自然に巡る感覚。
「……魔力……」
滞りがない。
重さもない。
むしろ──
「……すごく、いい……!」
(でしょう?)
アストラルの声が、どこか誇らしげに響く。
(順調よ……魔力の総量も、循環も、きちんと伸びてる)
「……ほんと……?」
(ええ)
(ナナミが毎日積み重ねてきた成果よ)
その言葉に、ナナミは小さく笑った。
「……えへへ……」
胸の奥が、くすぐったい。
「これなら……今日、潮騒の宴と一緒でも……足、引っ張らないかなあ……」
一瞬の間のあと。
(もちろん、大丈夫よ)
きっぱりとした声。
(今のナナミなら、ちゃんと“一人のダイヴァー”として並べるわ……自信、持ちなさい)
「……うん」
ナナミは、ぎゅっと拳を握った。
「……行ってくるね」
* * *
身支度を整え、階下の食堂へ。
朝の〈海辺の子ブタ亭〉は、やわらかな賑わいに包まれていた。
「おはよう、ナナミちゃん」
「おはようございます……!」
軽い朝食。
焼きたてのパンと、温かいスープ。
昨日ほどの驚きはないけれど、
変わらず、ほっとする味。
「……ごちそうさまでした……」
出発前、フロントを通りかかる。
そこには──
いつもの水槽。
ぷかっ。
ぷかっ。
水の中を漂う、二匹のフロート・カニ。
「……」
ナナミが立ち止まると。
ぷかっ、と近寄ってきて──
ちょき、ちょき。
ハサミを、こちらに向けて振る。
「……」
ナナミは、思わず微笑んだ。
「……いってきます……」
すると、まるで応えるように。
ぷかーっ。
ぷかぷか。
ゆっくり漂いながら、
もう一度、ちょきちょき。
(……見送られてるわね)
「……うん……」
小さな勇気をもらって、
ナナミは宿を後にした。
* * *
最初の目的地は──
〈グリーンリーフ堂〉。
チリン、と鈴の音。
「あら、いらっしゃい。可愛い子」
カウンターの奥から、フィアスが顔を上げる。
「待っていたわ。仕上がってるわよ」
「……!」
差し出されたのは、
潜海スーツとアームガード。
以前よりも、わずかに艶が増し、
縫製と補強部分が丁寧に整えられている。
「スケイル・フィッシュの鱗、うまく活きてるわ」
「耐久も、動きやすさも、少し上がってる」
「……ありがとうございます……!」
その場で装備を身につける。
腕を動かす。
身体をひねる。
「……軽い……」
(フィット感、前よりいいわね)
「……うん……!」
フィアスは、満足そうに頷いた。
「今日も潜るんでしょう? 気をつけてね」
「……はい……!」
一礼して、店を出る。
胸の奥で、期待がふくらんでいく。
* * *
そして──
ギルド。
扉を開けると、朝の喧騒。
依頼板。
行き交うダイヴァーたち。
その中で。
「……あ」
見慣れた顔。
グレイス
ニーナ
ホープ
そこには潮騒の宴の3人がいた。
「ナナミちゃん!」
気づいたニーナが、手を振った。
「おはよう!」
「今日はよろしくね」
「……おはようございます……!」
胸の奥が、きゅっと高鳴る。
(……ここから、始まるわね)
アストラルの声が、静かに背中を押した。
ナナミは、潮騒の宴のもとへと歩き出す。
軽やかな朝。
新しいダイヴの、始まり。
──続く。




