第72話 帰路の深度、拾われるもの
採掘が終わったマリモの群生地を後にして、ナナミはゆっくりと浮上を始めた。
深度は、130。
少しずつ、110へ。
急がず、焦らず。
一定の速度で、魔力を循環させながら進む。
(吸って……巡らせて……吐く)
身体の内側を流れる魔力は、乱れがない。
深度が浅くなるにつれ、水圧も穏やかになっていく。
(いいわね。このまま帰りましょう)
アストラルの声は、いつも通り落ち着いていた。
「……うん」
ナナミは小さく頷きながら、前を見据える。
その時──
(……来る)
アストラルの声が、僅かに低くなった。
同時に、ナナミも感じ取る。
水の流れに混じる、異質な気配。
「……海魔……?」
視界の端が、ゆらりと歪む。
影が、三つ。
そして──一つ、ひときわ大きな影。
(シェード・フィッシュが三体)
(それから……オーガ・カサゴが一体ね)
深度は、およそ110。
帰路での遭遇。
だが、ナナミの心に焦りはなかった。
「……やるしか、ないよね」
(ええ。落ち着いて)
ナナミは、深く息を吸う。
魔力を巡らせ、身体の感覚を研ぎ澄ませる。
最初に動いたのは、シェード・フィッシュだった。
影のように揺らめきながら、三方向から迫ってくる。
「……!」
ナナミは身体を捻り、一本をかわす。
そのまま反転し、ブルーランスで突く。
水を裂く感触。
シェード・フィッシュの身体を貫いた。
(左、来るわ!)
アストラルの声に従い、身を沈める。
すれ違いざまに、もう一体を叩き伏せる。
だが──
海底側から、重い圧が迫った。
「……っ!」
オーガ・カサゴ。
岩のような体躯が、口を大きく開く。
ナナミは一歩引き、魔力を集中させる。
(今よ)
「……はっ!」
魔力を込めた一撃が、顎の下を正確に捉えた。
鈍い衝撃とともに、巨体が大きく揺れる。
残る一体のシェード・フィッシュが、背後から迫る。
ナナミは振り返りざまに、迷いなく槍を振った。
──静寂。
水中に、微かな残滓だけが漂う。
「……終わった……」
(お疲れさま。よく対応できたわ)
胸の鼓動を整えながら、ナナミは周囲を確認する。
漂う、淡い光。
「……海晶核……!」
シェード・フィッシュと、オーガ・カサゴ。
それぞれから、海晶核を回収する。
そして──
沈んでいく、海魔の死骸。
「……これって……」
ナナミは、少し首を傾げた。
「今まで持って帰ってないけど……何かに使える、かなあ……?」
(うーん……)
アストラルが、少し考える。
(とりあえず、持ち帰って聞いてみたらどう?)
「……そっか」
採取カバンから、網と紐を取り出す。
死骸を丁寧に包み、しっかりと固定する。
「……少し重たいけど……大丈夫」
(ナナミ、無理はしないでね)
「うん」
ナナミは再び、帰路についた。
* * *
やがて、水面の向こうに光が差す。
アクア・ヘイヴン。
港の輪郭が、はっきりと見えてきた。
「……帰ってきた……」
浮上し、大きく息を吸う。
潮の匂いと、街のざわめきが胸に広がる。
そのまま、ナナミは〈ダイヴァーズギルド〉へ向かった。
* * *
ギルドの扉を開けると、
聞き慣れた喧騒と、木の床の音。
「……あ」
受付に立つ、ミストの姿が目に入る。
ナナミは、少しだけ背筋を伸ばした。
「ミストさん……依頼、完了しました」
ミストは顔を上げ、微笑む。
「おかえりなさい、ナナミさん。トラブルありませんでしたか?」
その声は、いつも通り優しかった。
ナナミは、採取した素材と海晶核、
そして網に包んだ海魔の死骸を差し出す。
「大丈夫だよ……!あの……これも……」
ミストの視線が、少しだけ驚いたように動く。
「確認しますね」
そう言って、丁寧に受け取った。
ナナミは、ほっと息を吐く。
(……ちゃんと、帰ってこれた)
その実感が、胸に静かに広がっていく。
今日もまた、一歩。
確かに──前へ。
──続く。




