第二十七話 期待の鉄
ナナミ目線に戻り、第三章が始まります!
朝の気配がそっと部屋を撫でた。
小鳥の声と、海風の揺れる音が混ざり合い、ナナミはまぶたをゆっくり開く。
「……ん……よく寝た……」
(昨日の疲れは大分引いたみたいね。身体の重さも減っているでしょう?)
「うん、だいぶ楽……魔力も回復してる!」
ふわっと伸びをすると、腹の奥がきゅる、と可愛く鳴いた。
(ふふ。朝ご飯に行きましょう。スコットの料理、私は食べられないけれど……あなたの感想を聞くのは楽しみよ)
「うん、行こ!」
準備を整え、階段を降りると──
香草と焼いたパンの匂いがふわりと鼻をくすぐった。
カウンター奥でスコットが黙々とフライパンを振り、
ダイアンがテーブルに皿を並べていく。
「おはよう、ナナミちゃん!」
「おはようございます!」
席に座ると、湯気の立つ朝食が運ばれてきた。
海藻と魚肉を煮込んだスープに、焼き立てパン、香草を乗せた白身魚の蒸し焼き。
「わ……いい匂い……!」
スープを一口飲むと、体の芯にじんわり熱が広がる。
(今日もとても美味しそうな食事ね。よかったわ、ナナミ)
「ほんとに美味しい……スコットさん、ありがとう!」
スコットは一瞬だけこちらを見て、短く答えた。
「……うむ」
相変わらず寡黙。でも、その声はどこか柔らかい。
すると、食堂の入り口から小さな影がそろり……と顔を覗かせた。
スコットの息子のテリィだ。
初日はダイアンの後ろに隠れていた彼が、今日はひとりでこっそり近づいてくる。
「……お、おはよう……おねえちゃん……」
声は蚊みたいに小さいのに、目だけは期待でキラキラしていた。
「おはようテリィくん。どうしたの?」
「……おねえちゃん……ダイヴァーさん、なんだよね……?
……その……海の、はなし……き、きかせて……ほしい……」
最後の方は恥ずかしさで言葉が溶けていた。
(まあ……可愛い)
アストラルが微笑む気配が伝わってくる。
ナナミは思わずふわっと笑いかけた。
「うん! もちろんだよ。
危ないこともあるけど……海の中って、すっごく綺麗なんだ」
「……きれい……?」
「うん。光苔がね、暗いところで光るの。揺れて、海の中が星空みたいになるの」
テリィの目が一層丸くなる。
「みたい……! ぼく……みたい……!」
「ふふっ。じゃあ今度、絵に描いて見せてあげるね」
「……っ……! うん!!」
胸の前で握り拳を作り、テリィは勢いよく頷いた。
その仕草の可愛さに、ナナミの頬が緩む。
「テリィ、邪魔しちゃだめよ〜」
ダイアンが笑いながら息子を抱き寄せる。
「あ……!」
「はいはい。ナナミちゃん、ごめんね? でも……ありがとう」
「いえっ、とっても嬉しいです!」
(小さなファンができたわね)
「えへへ……」
朝の空気はどこまでも優しかった。
◇
食事を終え、身支度を整える。
「行ってきます!」
「気をつけてね、ナナミちゃん!」
「……いってらっしゃい」
「またね、おねえちゃん!」
ナナミは見送られ、胸を弾ませながら宿を出た。
(ダイヴァーズギルドで何が待ってるのかしらね)
「ブレイカーさん、いるかなぁ」
そんな会話をしながら通りを抜け、ダイヴァーズギルドの正面へ。
扉を押すと、カランと軽い鈴の音が響く。
「あ──」
カウンターの奥にいたのは、ブレイカーではなかった。
淡い藍色の髪をゆるく結んだ女性。
同じ色の瞳が涼やかで、どこか水を思わせる透明感がある。
ナナミが海晶核を納品しに来た際に担当した受付嬢だ。歳は同じくらいに見える。
受付嬢は微笑みながらナナミに会釈した。
「おはようございます、ナナミさん。私はミストといいます」
「昨日もすごい成果だったみたいですね。ブレイカーから聞きましたよ」
「えっ……あ、はい……!」
「“期待の新人がいる”って。誰だろうって思ってたんですけど──」
ミストはふわりと目を細めた。
「あなたなら納得です。あの深海の海晶核を持ち帰ったんですから」
「わ、わたしが……期待……されてる……?」
不意に胸が熱くなる。
(ナナミ……よかったわね)
「う、嬉しい……です……!」
頬がじんわり温かくなった。
「では、今日はまず……あなたが正式に“ダイヴァーとしての一歩”を踏み出す日です。
アイアン級の潜海証、発行しますね」
ミストがにこやかに微笑むと、ナナミの心臓は少し跳ねた。
──こうして、ナナミの新しい朝が始まった。




