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閑話 エクセイルの決意

ナナミを追放したエクセイル視点にしばらく変わります。

前回の閑話 エクセイルの葛藤の続きのシーンです。

 桟橋に着いたとき、風は海からの冷たい匂いを運んでいた。


 遠くで波が砕ける音。潜行員たちの怒号。

 だが、エクセイルの耳にはほとんど届いていない。


(……深海層へ潜る。

 無謀? そんなことは俺が1番知っている。今までクラン総出でも最深記録は未だ暗海域だ。)


(ある程度まで潜れれば日銭を稼ぎ生活するのには事欠かない。それで満足するクランメンバーも多い。しかし……それじゃあダメなんだ。)


 彼は自嘲気味に笑う。

 

 ──記憶が、ふと蘇る。


 ♢

 

 数ヶ月前……別の街に本拠を置く海神クラン会議室でのことだった。


 海神クランの連中──ヤツらはいつものように高笑いを上げていた。

 

「おいおい、バニッシュクランのエクセイル、また暗海域でヘタレたってよ?」

「ははっ! あいつら末席のクセに、よくもまあ生き残ってるよな。海神の名に泥塗ってるぜ」


 バニッシュクランのエクセイルは独り、その場にいた。

 

 ただ黙って、耐えるしかなかった。

 

 海神のダイヴァーが、わざとらしく肩を叩いてくる。

 

「まぁまぁ、エクセイル。お前も頑張ってるのは認めてやるよ。でもな──お前らのクランは“お荷物”だ。ゴールド級で暗海域すら満足に攻略できないんじゃ、海神の末席にもいられねぇよ?」

 

 周囲の爆笑。

 

 バニッシュのメンバーは俯くばかり。

 エクセイルは歯を食いしばり、拳を握りしめていた。

 

「いつか……見返してやる」

 

 そう呟いた言葉は、誰にも届かなかった。

 それ以来、蔑みの視線は増す一方だった。

 

 クランの運営資金割り当てはいつも最低ランク。

 戦利品の分け前も、端っこ。

 

 「弱いヤツは後回しだろ?」と、海神の連中は平気で言う。

 

 ──あの屈辱が、胸の奥でずっと燻り続けていた。

 


 ♢

 

 

 だからこそ深海核の噂を聞いたとき、決心した。

 

 ナナミが──いや、あの見捨てた女が先に到達し生還したなんて、認められるわけがない。

 

(……あいつらに、笑われるのはもう嫌だ)

 自嘲の笑みが、歪む。


(だが、あの女が深海に到達し生還したなら──

 俺ができない道理はない)


 理屈ではない。

 過去、ずっと枷になっていた「弱小クラン」と虐げ続けられた鎖が、彼を内側から締めつけていた。


(ナナミは……いや、あの女は。

 俺が見捨てた者が──俺より先に深海へ到達した?)


 その事実は、胸を貫くほどの屈辱だった。


「……くそっ」


 エクセイルは装備の調整を始める。

 深海層仕様のスーツは重く、身体への負荷も大きい。


 部下の一人が駆け寄ってくる。


「隊長!? ダイヴの申請受けましたが、本当にソロで潜るんですか!」


「必要だ」


「危険すぎます! せめて同行者を──」


「……黙れ。俺に着いてこれるヤツがいるのか?」


 静かだった。

 しかしその一言の重さに、部下は肩を震わせる。


「バニッシュは、このままでは沈む。

 俺たちは“弱い”まま、海神に笑われ続ける。

 ──それだけは、もうたくさんなんだ」


 焦りでも怒りでもなく──

 “危機感”が、彼の全身を支配していた。


「隊長……」


「心配するな。必ず成果を持って生きて帰る」


 だがその声は、どこか自分を奮い立たせるための呪文のようでもあった。


 エクセイルはスーツの固定具を閉じ、桟橋の端へ歩く。


 光海帯のきらめきを感じる海、しかし、その先は黒い黒い“底なしの道”。


 その上に立ち、彼はふと呟く。


「……ナナミ。

 お前が、本当に深海まで到達し生還したのなら……」


 言葉を切る。


 思い浮かぶのは、追放を告げたときの彼女の顔。

 泣きそうで、それでも必死に頷いた少女。


「……俺は、お前を見誤っていたのだろうな」


 だが次の瞬間、自らかぶりを振る。


「違う。違うはずだ。

 あれは、“偶然の生還”だったに決まってる。

 深海魔を倒したなんて、ただの……運だ」


 言葉に力がない。


(そうでなければ──俺の判断が、間違いだったことになる)


 その恐怖が、焦燥をさらに煽る。


 そして。


「……行くぞ」


 彼は海面へと身を投じた。


 光海帯の海が光を反射し、まき散らしながら、彼の身体は暗い深淵へ沈んでいく。


 胸の奥で、名前を呟く。


(ナナミ……

 もし本当にお前が深海で戦ったというのなら──

 俺は、追いつかなきゃならない)


 深度が深まるにつれて徐々に冷たくなる海の冷気が身体を締めつける。


 それでも、エクセイルの瞳は燃えていた。


(バニッシュは弱小じゃない。

 俺が、必ず証明してみせる)


 だがその決意は──

 この先の深淵で待つ“現実”を、まだ知らない。


 深海の闇が、彼を静かに飲み込んでいった。


⸻続く

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