第二十四話 マリモ
海面が静かに揺れ、その下は、青の光を透かすようにきらめいていた。
「じゃあ行ってこい。無茶するなよ」
ブレイカーの低い声に背を押され、ナナミは装備を確かめてから海へと身を沈めた。
魔力膜を展開すると冷たさはすぐに肌から消え、代わりに海特有の“圧”が身体を包み込む。
(この感覚……大丈夫。昨日よりずっと動きやすい)
新しい潜海スーツの性能に感心しながら、ナナミは水をかいて進んでいく。
光が届く浅海層──光海帯。
明るい青の世界は、深海とは違う穏やかさを持っていた。
しばらく泳いでいると、髪飾りからアストラルの声が響く。
(ナナミ、少し話しておきたいことがあるの)
「なに?」
(あなたの魔力についてよ。……ずっと疑問だったでしょう?)
ナナミは息を整えながら頷いた。
「うん……私、魔力量がすごく少なくて……。全く伸びなかった。だから──」
(虐げられた。雑用ばかり押しつけられた。そうね)
「……」
アストラルの声は静かだったが、どこか怒りの気配を含んでいた。
(でもね、ナナミ。魔力量が少ないことと、“魔力の質”は別なの)
「魔力の……質?」
(ええ。あなたの魔力は、質がとても高い。むしろ、異常なほどに)
ナナミは目を瞬いた。
「でも、私……深海で生き残ったのは奇跡みたいなもので……」
(奇跡じゃないわ。質の高い魔力は、水圧を“押し返す”力が強いの。だからあなたは、深海に落とされても潰されずに済んだのよ)
「……っ!」
胸がきゅっとなる。
知らなかった。
知らされなかった。
誰も教えてくれなかった。
(でもね、質が高いということは……その分、扱いが繊細なの。雑な流し方をするとすぐ消耗する。量が少ないのに質が高い──その“いびつさ”を私は感じていたのよ)
「だから……“いびつ”って言ったんだ」
(そういうこと)
ナナミは、胸の奥にずっと刺さっていたトゲが、すこしだけ溶けたような気がした。
「でも……どうして私、そんな質が高い魔力に?」
(理由はいくつもあるけど、一番大きいのは──あなたが“工夫して使ってきた”からよ)
「工夫……?」
(魔力が少ないから、身体強化を細かく区切って使ってたでしょう?
力を入れる瞬間だけ足に流したり、息を吸うときに魔力を集めたり──)
「あ……」
思い返すと、雑用を押しつけられた日々の中で、ナナミは常に魔力不足と戦っていた。
重い荷物を運ぶとき、呼吸を整えて魔力を一点に集中させた。
装備の手入れを押し付けられてたとき、無駄な力を省くために身体強化を細かく調整した。
──魔力がないから、工夫するしかなかった。
(その“丁寧に使う癖”がね、魔力の流れを極端に最適化してしまったの。
いわば、太い管はないけど……細い管の中を、完璧な流速で流せるようになったのよ)
「……それって」
(そう。《魔力循環》の素質があるということ)
アストラルの声は、ほんの少し誇らしげだった。
(だから、これから少しずつ“循環路”を広げていく訓練をしましょう。青の洞窟へ向かいつつでいいわ)
「訓練……? 海の中で、できるの?」
(むしろ海の中が一番いいの。魔力の流れが乱されやすいから、負荷が高いもの)
ナナミは深く息を吸い、姿勢を整える。
「どうすればいい?」
(まず──吸って。魔力を胸に集める)
ナナミは吸い込む。
すると、身体の中心に小さな光が集まる感覚がした。
(吐きながら、ゆっくり全身へ。細く、均等に)
ふぅ……。
身体中へ温かい流れが広がる。
「……なにこれ。すごく、心地いい……」
(うまいわ、ナナミ。やっぱりあなた、流すのが得意よ)
ほんの少しだけ照れくさい。
(では次。私が少しだけ魔力を流し込むから、それを体内で“一周させて”返して)
「えっ、一周……? できるかな……」
(大丈夫。あなたならできるわ)
髪飾りが淡く光り、微弱な魔力が流れ込んでくる。
冷たく澄んだ流れ──アストラルの魔力だ。
「きれい……」
その流れを胸に集め、背中を通って──
胸へ、腕へ、指先へ──
また中心へと戻す。
ゆっくり、丁寧に。
「……返すよ」
ナナミが吐く息に合わせて、そっと外へ放出すると、
(っ……! すごい。初めてでここまで……)
アストラルが驚くほどスムーズに循環が完成した。
(ナナミ、あなたの“丁寧さ”は才能よ。そのまま続けましょう)
「うん!」
ナナミは海の中を進みながら、呼吸と魔力を合わせて何度も循環を試す。
魔力が身体を巡るたび、視界が澄んでいくような感覚がした。
「なんだろう……身体が軽い。泳ぐのも楽になってきた……」
するとアストラルが小さく笑った。
(循環が完成すると、魔力の“器”が少しずつ広がるの。あなた、もう効いてきてるわね)
「ほんと!? すごい……!」
(ただ、調子に乗ると魔力酔いするわよ)
「えっ、それは嫌!」
そんなやりとりをしながら進んでいくと──
前方に、巨大な丸い影が見えてきた。
「あっ……あれ……!」
淡い光を帯びた、青緑色の巨大な球体。
直径は二十メディルを超え、ゆらゆらと海流に揺れている。
(見つけたわね。フロート・オーブよ)
「これが……“マリモ”!」
(正式名称は“フロート・オーブ”。こういう大小様々な球状体が海中に漂って浮いてるの)
ナナミは近づきながら目を見開いた。
球体の表面には、光を吸うように生えた海藻。
その間から小さな鉱石が覗き、内部には洞窟のようなくぼみも見える。
「ここから……資源を採るんだ……!」
(ええ。海藻、鉱石──ダイヴァーが生活するための資源は多くが“マリモ”から採れるの。浅瀬や陸地が極めて少ない、この世界では、唯一の“海の島”みたいな存在よ)
ナナミはごくりと息を呑んだ。
(あの内部にある青く光る窪み……あそこが今回の目的地、“青の洞窟”ね)
ゆっくりと近づくと、洞窟の入口が淡い青い光を放っていた。
光が水に反射し、周囲を幻想的に染めている。
「綺麗……だけど、なんか……怖い」
(綺麗な場所ほど、危険が潜むものよ。気を引き締めて、ナナミ)
「うん……行こう、アストラル」
スピアーランスを握り直し、ナナミは青く輝く洞窟へ向かってゆっくりと進んでいった。
──次回へ続く。




