第二十一話 新しい朝、新しい選択
──潮騒の音が、静かに耳へ押し寄せてくる。
「……ん……」
まぶたを開けると、客室の天井が視界に広がった。
昨夜よりも身体が軽い。深く眠れた証拠だ。
(よく眠れたみたいね。顔色もいいわ)
「うん……すごく久しぶりに、安心して眠れた気がする」
そのとき。
コン、コン。
「ナナミお姉ちゃん、起きてる……?」
今度は控えめな声。テリィだ。 ナナミは扉を開けた。
「はーい、起きてるよ。どうしたの?」
「朝ごはんできてるって、ママが……」
相変わらず目を合わせないまま、小さく告げてくれる。
「ありがとう。すぐ行くね」
テリィはこくりと頷いて、足早に去っていった。
ナナミは髪を整え、深く息を吸ってから食堂へ向かった。
* * *
朝の食堂は、夜とは違う光に満ちていた。
大きく開いた窓から潮風が入り、焼きたてのパンの匂いと混ざり合う。
「ナナミちゃん、おはよう! 顔色いいじゃない!」
ダイアンが気さくに声をかけ、
スコットは黙ってコップに水を注ぎ置いた。
「……食べろ。朝は……腹に入れないと、動けん」
「ありがとうございます!」
席についた瞬間、ふわりと湯気が舞い上がる。
スクランブルエッグ、焼きたてのパン、温野菜。
シンプルだけど、丁寧で優しい朝食だった。
「……おいしい……」
(今日もしっかり食べられてるわね。身体も随分戻ったみたい)
「うん、なんか力が湧いてくる気がする」
夢中で食べ、気づけば皿はほとんど空になっていた。
「しっかり食べたわねぇ。昨日はぐったりしてたから心配したのよ」
「本当に、助かりました。体調も……ほとんど回復しています」
ダイアンは安心したように微笑み、スコットも小さく頷いた。
「無理は……しないことだ」
その何気ない一言が、胸にすっと染みた。
* * *
部屋へ戻ると、ナナミは扉を閉めてアストラルへ呼びかけた。
「アストラル……今後のこと、話したい」
(ええ。あなたの“これから”について、ね)
窓の外では、港に停まった船がゆっくりと揺れている。
「……私さ。これからどうしたらいいんだろうってずっと考えてた」
(ナナミは、どうしたいの?)
アストラルは問い返すだけ。
強制もしない。ただ寄り添い、選ばせる。
ナナミは胸に手を置き、ゆっくり言葉を紡いだ。
「……生きるためにも、私……働かなきゃいけないよね」
(そうね。でも──)
「ルミナがいなくても、ひとりで光海帯で海魔と戦えた。
だったら……もしかしたら、私もダイヴァーとしてやっていけるんじゃないかって思ったの」
(……ナナミなら、できるわ)
(あなたは“海の底”で、自分自身を証明したもの)
その即答が胸に沁みて、喉が熱くなる。
「……アストラル」
(私はあなたの力になる。どんな時も)
励ましに背を押され、ナナミはふと思い出す。
「そうだ……昨日、ブレイカーさんが言ってた。
“仕事で困ったらギルドに来い”って」
(ええ。なら、行きましょう)
「うん!」
ナナミは立ち上がり、ダイヴァーズギルドへ向かう決心を固めた。
* * *
──ダイヴァーズギルド。
朝のギルドは既に活気で満ちていた。
潜海師たちの声、依頼票を貼る音、道具の金属音。
ナナミは少し緊張しながら受付に近づく。
「あの……すみません。ブレイカーさんにお会いしたくて」
受付嬢は柔らかく笑って答えた。
「ブレイカーですね。少々お待ちください。呼んできますね」
受付嬢はギルド裏へと消えていき──
ほどなくして、どっしりとした足音が近づいてきた。
「よぉ、ナナミ。来たか」
ブレイカーが腕を組んで立っていた。
無駄に大きい体格と、静かな眼光。昨日と変わらない圧だ。
「ブレイカーさん……昨日はありがとうございました」
「礼はいい。腹ァ決めて来たんだろ?」
ナナミは拳を握った。
「……追放になったけど……それでも、私はダイヴァーになりたい。
生きるためにも……自分のためにも。どうか……私にできることを教えてください!」
ブレイカーはじっとナナミを見据える。
その視線は厳しいが、試すようでもあった。
「……よし。だったら一つ、丁度いい依頼がある」
「……!」
「本格的に潜る前に、テストだ。
“お前がダイヴァーとして立てるかどうか”……この依頼で見極める」
ブレイカーはカウンターに手を置き、受付嬢へ顎をしゃくった。
「例の依頼票、持ってこい」
「はい!」
受付嬢が奥へ走り、その手に挟まれた紙が戻ってくる。
ブレイカーはそれをナナミの前へ置いた。
「──これだ」
その依頼票には、ある海域の名前が記されていた。
だが内容を読み解くより先に──
「詳しい説明は……次にしておくか」
ブレイカーは大きな手で依頼票を軽く叩く。
「覚悟しとけ、ナナミ。
これは“ただの雑用”じゃねぇ。
お前が本当にダイヴァーになるなら──避けて通れねぇ仕事だ」
ナナミは息をのんだ。
(……ナナミ、胸が高鳴ってるわ。怖さより……期待が勝ってる)
「……うん。受けるよ。どんな依頼でも」
ブレイカーの口角がわずかに上がった。
「その気概なら上等だ。……じゃあ説明してやる」
そう言った瞬間──
「続きは場所を変えて話す。ギルド裏へ来い」
ナナミは固く頷き、依頼票を握りしめた。
──こうして、ナナミの“最初の試練”が幕を開ける。
* * *
次回へ続く。




