聖獣とキャンパーその7
聖獣の朝は早い。
まだ夜が明けぬうちに縄張りを見回り、闇の眷属を塒へと送り返し、光の精霊が安心して出現できるように森を清める為である。
その後、異物が入り込んでいないか確認して回り、死体があれば大地に埋める。
迷い人がいれば、そっと道案内をし、密猟者が居れば威嚇して追い払う。
それが聖獣の一日の始まり。
しかし、我輩の朝は遅い。
もう日が昇っているのに、洞窟から出る気がしない。
ここは雨風が当たらず、快適なのだ。
なんなら、細かい枝や落ち葉を集めてきて、寝床も作ってある。
大地に体温を奪われずに済むから、いつまででも寝ていられる。
見回りの必要も無い。
闇の眷属はしばらくは悪さをしない。
なぜなら、我輩の縄張りの北側に、突然、変人のハイエルフが出現したからだ。
闇の眷属は、高い魔力に惹かれる性質がある。
以前は、来るたびに追い払っていた闇落ちした熊も、あの変人に倒されてしまったから、子分達は怯えて姿を現さなくなった。
不思議な事に、あの変人は出現してからほとんど移動していない。
でもその使い魔は精力的に周囲を支配下に置いている。
怠惰ではあるが、邪悪ではなさそうなので、放っておくことにした。
北の護りは彼の者に任せた。
聖獣の食事は、基本的には獣時代と変わらない。
魔力をエネルギーに変換できるので、絶食で死ぬことはないが、痩せ衰えはするので、食事は定期的に取る。
森の生態系を壊さぬように、雌や仔を避けて、年老いた雄や怪我を負って走れなくなった動物を狩る。
しかし我輩はグルメだ。
獣肉も川魚も、焼いて塩を振ると美味しいことに気付いてしまった。
今もヘラジカの生肉を食べたが、今ひとつ満足できない。
やはりエルフが調理した肉の方が美味く感じる。
あのエルフも変わっている。
唐突に森に現れて、ふらふらしだした。
何か目的があるのかと監視していたが、頼りない道具で苦労して野営しているだけだった。
普通はもっと重装備で来る。
この森は、そんなに生き易い場所ではないのだから。
なのに狼の遠吠えに怯えながらも、森から離れようとはしない。
まさかエルフなのに森で迷ったわけでもあるまいし、目的がわからない。
しばらく遠巻きにして見ていたが、手製の道具で川魚を釣り上げたのには驚いた。
我輩も魚を捕ることはある。
獣と違って潜む場所が決まっている魚は、安定して狩れる獲物だ。
でも魚を捕るには水に濡れる必要がある。
そして我輩は水に濡れるのが嫌いである。
毛並みがベタっとするし、乾くまで時間もかかる。
出来れば、濡れずに魚が捕りたいと思っていた。
そこに、あのエルフである。
きっとこれは日頃から縄張りの巡回に勤しんでいる、自分へのご報美だと思った。
やがて魚の焼ける良い匂いが漂ってきて、我慢の限界を越えた。
そっとエルフの背後に忍び寄ると、声を掛ける。
「ガウ」
驚いたエルフだったが、それでも感心に焼き魚を献上してきた。
よく判っているエルフだ。
差し出された焼き魚は、絶妙な塩味がして、今まで食べたどの魚より美味かった。
2匹目のお替りを要求すると、なぜか4匹差し出してきた。
自分で捕って、焼いたにも関わらず、半分以上も献上するとは、誠に天晴れである。
なのでしばらく森で生活することを許すことにした。
満腹になったので帰ろうとしたら、そのエルフが、次は献上出来ないと言い出した。
理由を問い質すと、どうやら塩が足りないそうだ。
少し考えてから、同じような岩の塊を見た事を思い出した。
ここから川を遡った場所にある、洞窟の中だ。
そこはやはり森に迷い込んだ村人が、懸命に掘り進めていた洞窟である。
健気にも、収穫した穀物や魚を、女神に奉納していたので、自由にさせていた。
最近見ないなと、気にはしていたのだ。
様子見ついでにエルフを案内して、引き合わせてみよう。
あの岩なら沢山掘り出していたので、村人がきっと交換してくれるであろう。
そしてそれを使って魚を焼くのだ。
驚いたことに、村人は死んでいた。
そしてアンデッドに変化していた。
これは完全な我輩の失態である。
縄張り内で、死んだ遺骸を放って置いた為に、悪霊に憑依されてしまったのだ。
管理不行き届きで、女神から怒られる可能性がある。
それはとても困るので、処理をエルフに任せた。
我輩自身が倒すと、アンデッドの存在が発覚してしまう。
エルフが倒せば、それは生存競争の一角だ。
都合の良い事に、エルフは村人の死因と思われるスライムも討伐してくれた。
これで不慮の事故という体裁が取れる。
役に立つエルフである。
そしてなぜかエルフが、この洞窟に住み着いた。
あたかも前の居住者から譲り受けたかの様に振舞っているが、完全な不法占拠だと思う。
さらに所持品を再利用するのは仕方ないにしても、溜め込んでいた通貨は、遺品として届けるべきなのではないのだろうか?
だが、まあよかろう。その働きに免じて、窃盗とは判断しないでおいてやる。
4匹の献上に免じて。
聖獣は時に命を狙われる。
その価値から密猟者に。
その希少性から不信心な貴族に。
そしてその神秘性から敵対信仰者に。
我輩も例外ではない。
嫌な気配に偵察に出てみれば、凶悪な集団が入り込んでいた。
怨敵に情けは必要ない。
奇襲をかけて二人を屠った。
しかし体制を立て直した集団は、予想以上に抵抗してきた。
なんとかもう一人を屠ったところで、集団の一人が逃走を始めた。
逃げる者は後回しにしようと考えたとき、それは顕現した。
最悪だ。
逃げ出した者の背中から生み出されたそれは、忌むべき女神の眷属であった。
それは宿主を糧にすると、先に倒した二人も取り込もうとし始めた。
これ以上成長されたら、手に負えなくなる。
集団を無視して闇の眷族を倒しに向った。
その隙を突かれた。
まさか仲間の死を隠れ蓑に、矢を放ってくるとは。
脇腹に刺さったそれは、あきらかに神の威を感じる神器だった。
最後の力を振り絞って、闇の眷属だけは倒したが、そこまでだった。
傷口から瘴気がどんどん広がって行き、まともに身体が動かせなくなる。
意識が朦朧として、この場で倒れそうになった。
ここで死ぬのか…
それも仕方ないかもしれない。
相手は神器まで持ち出してきたのだ。それなりの覚悟で挑んできたのだろう。
こちらは4人屠った。一人は自滅だが、あちらにしてみれば同じことだ。
命の遣り取りをした。
そして負けた。
それだけだ…
心残りがあるとするなら、あのエルフに別れを告げられなかった事だ。
心配させまいと何も伝えなかったが、こうなっては一言いってくるべきであった。
『戻らなかったら、死んだと思え』
あのエルフはいつまで待っているだろうか…
すぐに忘れるかも知れない。
でも何年も待ち続けるかもしれない…
エルフは長命だ。
脳裏に、一人で釣り糸をたらすエルフの背中が浮かんだ。
嗚呼、ここで死んではいけない。
せめてあのエルフにだけは伝えないと…
『もう待つ必要はない』 と。




