聖獣とキャンパーその2
競走馬になった夢を見た。
姿はウッドエルフのままなのに、芝生のトラックを必死に走っていた。
鞍上はヌコ様だ。
あたしの背中で見事な騎乗姿勢を維持しつつ、コース取りを指示してくれている。
第4コーナーを回って、あたしが先頭だ。
ヌコ様の尻尾がムチの様にあたしを叩く。
ぴしっ ぴしっ
「痛い、痛いです、ヌコ様」
痛みで目が覚めた。
どうやら暖炉の前で眠ってしまったらしい。
すでに薪は燃え尽きていて、煙突の壁から僅かに温もりが伝わってくる。
あたしは、丸くなったヌコ様を枕代わりに寝ていたようだ。
そして重いから退けと、ヌコ様が尻尾で叩いていたというオチである。
「どうせなら、ゴールしてから起してくださいよ」
「がう?」
寝ぼけ眼で訴えたあたしを、奇妙な者を見るようにヌコ様が眺めていた。
朝の毛繕いをするヌコ様を置いて、あたしは滝で顔を洗う。
まだ夜が明けきっていない、早朝の時間のようだ。
遠くで、鹿の嘶きが木霊している。
エルフイヤーは今日も絶好調だ。
ん?
鹿の嘶き?
「ヌコ様、掛かりました!」
そう言って、短槍を掴むと、以前に脱出口に使った辺りに土魔法で縦穴を開けた。
『ディグ!』
ぽっかり空いた穴に向って、するりとヌコ様がジャンプしながら通り抜けていく。
それを追う様に、あたしも壁を蹴りながら、地上へと躍り出る。
地上に出れば、罠にかかった鹿の嘶きが、はっきりと聞こえた。
「大物だね」
後ろ足を釣り罠で宙吊りにされた、ヘラジカが、なんとか脱出しようともがいていた。
巨体を支えるロープと木の枝が、今にも壊れそうに軋んでいる。
そっと鹿の死角から接近すると、首筋の急所目掛けて短槍を突き立てた。
「ピギイイイイ」
急所に槍を突き立てられたヘラジカは、大量に出血しながら、やがて息絶えた。
「ふう、このまま解体してしまいましょう」
ヘラジカの真下に土魔法で穴を開け、水魔法でジャブジャブと血を洗い流します。
解体ナイフで腹を裂いてから、内臓を慎重に取り出し、ヌコ様に見せます。
「新鮮ですけど、食べますか?」
しばらく臭いを嗅いでいたヌコ様でしたが、試験に合格したようで、ガツガツと食べ始めました。
あたしも大きな肝臓の半分だけ、分けてもらいました。
あとで焼いて食べようと思います。
生だとやっぱり怖いですからね。
栄養が欠乏しているなら生食もありですが、今はそれほど逼迫していませんし。
手早く皮を剥いで、肉を部位で切り分けます。
流れ出る血は、その都度、水魔法で流します。
結局、1時間ほどかけて、200kgほどの鹿肉と、15kgの鹿皮、それに大きな角が取れました。
「角と皮は開拓村で売りに出すとして、この大量の肉はどうしよう」
開拓村に売りに行ったら喜ばれるとは思いますが、普通に背負ったら、半分も持てません。
冷凍はできないし、燻製にするには時間がかかり過ぎます。
冷たい水に漬けておいても、3日が限界でしょう。
塩漬けにはできますが、そこまで手をかけたら村まで売りに行くのももったいないです。
大量の鹿肉は、できれば現金収入にしたいですし、ハンターとしての評価も上げたいところです。
さらに、一冬ずっと鹿の塩漬け肉は勘弁して欲しいです。
「がう」
「ですよね」
ヌコ様もそう仰っています。
ヘラジカの残骸を穴に埋めながら、肉の処理方法で悩んでいると、ヌコ様が、葉っぱの上に小石を乗せて、爪で引っ掛けて動かしていました。
「それです!」
あたしは秘密基地に鉈を取りに戻ると、周辺の森で丸太を切り出し始めます。
あまり太いと切り倒すのも苦労しますし、扱い辛いので、取り回し易いサイズに寸法を合わせて6本ほど。
それをロープでしっかりと縛って、即席の筏を作ります。
その筏に麻袋にギッチギチに詰めた鹿肉を括り付けて、転覆しても落ちないようにしたら完成です。
手頃な枝を切って、舟竿にすると、崖までは橇のように引きずって行きました。
このまま森の中を引いていくことも不可能ではないですが、時間がかかり過ぎるので、川下りで行きましょう。
筏を崖下に降ろすのに苦労しましたが、ヌコ様の手も借りて、なんとか着水に成功です。
勝手に流れていかないように、ロープで舫綱も付けておきました。
ここはまだ水流は緩やかなのですが、この先には急流もあります。
素人船頭では、転覆事故が起きそうですけど、そこは折込済みなのです。
バックパックに旅支度を詰めると、さっそく出航です。
「ヌコ様、またお留守番お願いしますね」
鹿肉を20kgほどお供えしておきました。
「がう」
バランスを取りながら筏に乗ると、舫綱を外して流れに乗り出します。
最初は拙かった竿捌きも、しばらくすれば慣れてきます。
「さすがウッドエルフ、バランス感覚はピカイチだね」
あっちでは無理っぽい事も、こっちの身体ならすぐに順応できます。
やがて筏が急流に差し掛かると、激しく揺れ始めました。
油断すればすぐに振り落とされそうです。
「でも大丈夫」
あたしは、ひょいっと水面に降りると、舫綱を引いて筏を引っ張ります。
そう、事前に『ウォーターウォーキング』の呪文を掛けておいたのです。
転覆しないように筏を操るのは素人には難しくても、同じ速さで動く橇を引っ張るの簡単です。
荷物は多少濡れようが問題ないので、ロープが緩まないように気をつけていれば、急流もすんなり突破できます。
渓流の流れが緩くなれば、また筏に乗って川下りです。
この作戦で、開拓村まで一気に行く予定です。
途中で一回、休憩を兼ねて食事にします。
流れの緩やかな岸に筏を舫って、焚き火の準備をします。
切り分けておいた肝臓と鹿肉を木串に刺して焼き上げます。
塩で味付けしただけですが、新鮮なレバーは焼いても絶品でした。
「うま~い、そして元気がでる~」
肝臓には造血作用があるので、足りていなかった栄養素を身体が喜んでいるのがわかります。
「これは教授には味わえない醍醐味ですね」
血の滴るレアステーキとか、取れたてのお刺身のプリプリ感とかは、魔法でも再現できないはずです。
「食事制限なくて最高~」
好きなものを好きなだけ食べられる喜びを噛み締めながら、鹿肉を堪能しました。
なお、休憩中には獣が寄ってくる気配は、まったくありません。
たぶん、ヌコ様の匂いが、あたしに染み付いているからだと思います。
「ご利益が切れる前に、開拓村まで辿り着かないとね」
生肉も抱えているので、狼の群れにでも囲まれると滅茶苦茶面倒なことになりそうですから。
合間に休憩を挟みながら、夜通し川下りをするのでありました。




