大森林再びその6
『ど、ど、ど、どういうこと?!』
焚き火で焼いているマスの焼け具合に目を移していると、振り向いたら白い豹が目の前に居た件について。
弓矢は、側に置いてあるけど、掴んで、構えて、ガブッ。
解体ナイフも、水洗いしたあと、岩の上で乾かしているから、飛びついて、掴んで、ガブッ。
魔法なら、唱えようとして、ガブッ。
川へ飛び込むのは、立ち上がって、後ろを向いて、ガブッ。
ダメだ、どれも首筋に牙を立てられて、大量出血で逝く未来しか思い浮かばないよ…
『翔子や、山で熊とばったり出会ったら、慌てて逃げ出すのはいかんぞ。背中を見せれば奴らは必ず襲ってきよる。スキを見せないように、ゆっくりと後退りして、距離を開けるんじゃ』
お祖父ちゃん、もう必死の間合いに入っちゃってるよ、あと熊じゃなくて豹だよ…
『ショコタン、いい?山道で虎やピューマに出会ったら、慌てずに腰のポーチからマタタビ入りの袋を出して、足元へ投げるの。夢中になってるあいだに、そっと逃げ出すのよ、わかった?』
マリナ先輩、マタタビ持ってません。あと日本の山道に虎もピューマも出ません…
あっちで山や森での生き延び方を教えてくれた、お祖父ちゃんと部活の先輩の言葉が、走馬灯のように頭にリフレインする。
けど、役に立たないぞ。
『確かに視線は森から外してた。それはあたしの油断かもしれない。でも聞き耳は使ってたし、警戒スキルだって…』
足音なんて、これっぽっちも聞こえてなかった。
もしかしてあたしの聞き耳スキルランクより上の忍び足を持ってる?
『森の殺し屋と呼ばれる豹なら、十分あるかも』
その上に警戒スキルも何かによってキャンセルされてる?
だとしたら、目で見ない限り、あたしにはこの豹の接近を察知する術はないってこと?
『実はもっと以前から狙われていて、視線が焚き火に向いた瞬間に移動してきた?』
…それはないはず。
なぜなら視線が切れたときなんていっぱいあったからね。
魚釣りに集中してたときとか、さばいてるときとか。
『なら、なぜ今を狙って間合いに入ってきたのか…』
考えられるとしたら…
(この間、実時間で3秒の高速思考である)
そして今一度、目の前の猛獣に視線を向けた。
真っ白い体色をした体長2mほどの猫科肉食獣。
動物知識によれば、雪豹の成獣と思われる。(体紋がないけれど)
1mほどの距離に立ち止まり、こちらを青い瞳でじっと見ている。
口から涎を垂らしながら。
『やっぱ、食べる気まんまんだよね』
何通りも戦う方法をイメージしてみたけど、勝てるルートは思いつかなかった…
だったら、最後は…
「あのー、焼き魚、食べます?」
「ガウ」
ただの 「美味そうな匂いがすると思えば…え?いいのかい?悪いね、何か催促したみたいで」 だった…
程よく焼けた虹鱒を串から外して、木皿に載せて、ヌコ様に差し出す。
「熱いので、気をつけてお召し上がりください」
「ガウ」
言葉が通じているのか、どうなのか、ちゃんと待ての姿勢で冷めるのを待っている。
あたしもお腹が減っているので、まだ焼いていない生魚を差し出してみたが、それには興味を持たなかった。
「あ、生魚は食べ慣れていらっしゃいましたか」
「ガウ」
ずいぶん、グルメなヌコ様だな。
焼くのは良いんだけど、岩塩の残りが心配なんだよね。
摂取できるときは、逃したくないんだけど…
「ガウ?」
「あ、いえ、なんでもありませんよ、ははは」
ヤバイ、あたしの心情を見抜く何かを持ってるぽいよ。
ヌコ様は、何度かチャレンジして、舌を火傷してたけど、そのうちガツガツと食べ始めた。
「あのー、あたしも食べてよろしいでしょうか?」
恐る恐る、お伺いを立てると、既に一匹目を完食されたヌコ様が、うなづかれた。
「ガウガウ」
「あ、2匹なら許していただけると…あたしが苦労して釣ったんだけどなぁ…」
「ガウ?」
「いえ、何でもありません、2匹で十分でございます、ははは」
なにせ生殺与奪権を握られてる相手に強気にでるわけもいかず、いいなりになるあたしであった。
ヌコ様への給仕の合間にいただいた、虹鱒の塩焼きは、とても美味しかったです。
「ガウ?」
いや、そこで『だろ?』みたいに言われても…
やがて満足したのか、水を飲みに渓流へと降りていくヌコ様。
真横を通っていったのに、足音が一切聞こえない。
一歩踏み出すごとに、身体全体の筋肉が波打つように動いていく。
『マジでやばい奴じゃん。強者感が半端ないんだけど』
背後から不意打ちしても、その一撃でどれだけ深手を入れられるのか。
へたすれば死角からの攻撃さえ、ひょいっと避けられそうな雰囲気がある。
『でもなんで、こんなのが、ここにいるの?』
だいたい、雪豹の生息域はもっと北である。
雪も降り積もっていない森林をうろつけば、その白さが目立ってしかたないはずなのに。
『でも聞いても答えてくれそうにないね』
今は口の周りを、前足で拭っているヌコ様を、黙ってみているしかできなかった。
やがてヌコ様は、森に帰る。
「ガウガウ」
「またな、と言われましても、次回も同じ歓待ができるかどうかは…」
「ガウ?」
「いえ、魚は努力すれば釣れます。でも塩が…」
「ガウガウ?」
「えっと、これです」
すでにだいぶ小さくなった、岩塩の塊を皿に載せて差し出した。
「スンスン」
注意深く、匂いをかいでいるヌコ様。
「ペロ、ウニャ!」
舐めてみて、塩辛さに顔をしかめるヌコ様。
やがて納得すると、森ではなく川岸を上流の方へ歩き出したヌコ様。
「ガウ」
お、これはひょっとすると。
慌てて、火だけ消して、ヌコ様の後を追う。
だんだんスピードが上がってくるけど、こちらも本気をだして食らい付いていく。
「はっ、はっ、ヌコ様がいれば、はっ、他の獣は、寄ってこない、はず」
5分ほど全力で走ると、そこには小さな滝が流れ落ちていた。
「ほえー、こんな所に滝が」
渓流は滝の先からも流れてきており、ここで合流して川下へ流れ出しているようだ。
「でも淵はかなり大きいね」
下手をすると、水深は3mを越えているかも知れなかった。なぜなら透明度の高い水なのに底が見えないから。
そしてヌコ様は、渓流をジャンプして渡ると、細い岩場をキャットウォークのように伝って、向こう岸の滝の裏側に入っていったのである。
「いやいや、あたしには無理ですってば!」
滝音に負けない大きな声を掛けると、滝の裏側から戻ってきたヌコ様が、肩を竦めて
「ガウ?」
と一声。
「そんな、これぐらい出来ないの?みたいな言い方されても無理です」
「ガウガウ」
「その奥に岩塩があることは、なんとなくわかりましたから、今度はロープを使って、崖の上から降りてみます」
崖の上を指差したあたしの意図を理解したのか、ヌコ様は一度うなずくと、森へと帰っていった。
途端に緊張の糸が途切れた。
「はあーー疲れた。本気でヌコ様にヌッコロされるかと思ったよ」
間近で見た野生の肉食獣は、ものすごい迫力だった。
「あれって森の主なのかなぁ」
誰かの従魔にしては、生き方が自由過ぎる気がした。
誰にも従わず、誰にも縛られず、孤高に生きる森の王者…
それにしては食い意地張ってたけどね。
『ガウ?』




