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彼方の隣人  作者: 夏目羊
9/17

12/17・心に嵐

 潔く認めよう。

 言い訳の余地はきっとミジンコの体長程もない。実のところ、中学一年の冬まで私は星川周のことを『運命の相手』だと思っていた。

 もっとロマンチックで、私らしくない表現を用いれば彼のことを私は『ヒーロー』もしくは『王子さま』だと思っていたのだ。


 何でもできる幼馴染。クラスの人気者の一人だった幼馴染。私にとても優しくて、ピンチの時にはいの一番に助けてくれた幼馴染。

 昔から事故に遭いやすい子どもであった私は事故に巻き込まれそうになる度、幼馴染に助けてもらっていた。

 救出劇というドラマチックでファンタスティックな過程を何度も経ることで、私の彼への気持ちが脳内で暴走してしまったことは紛れもない事実だった。

 今思い返すとかなりの黒歴史だ。黒を通り越し暗黒、いや闇歴史だ。ああ、思い出すだけでも穴を掘ってその中に入ってしまいたくなる。唯一の救いはその重い想いを誰にも漏らしていなかったという点だ。

 さて、在りし日の水瀬あさひは具体的にどんな暴走をしたのか。……出来れば思い返したくない。思い返すことなく闇に葬り去りたい。


 けど彼にそっくりな彼は言っていた。背面の顔で物事を見るべきだと。背面の顔とは、つまり後ろにある顔のことだ。状況からして直喩的表現だとは考えづらい。

 なら本当の意味は何だ?

 二度にわたって2Pカラーの彼は何を私に見せた?

 答えは誰よりも私が一番知っている。周には隠していることがある。二人の態度や言動から鑑みるに、それはきっと過去に起因するものなのだろう。

 過去を振り返る。私には太陽の塔のように背中に顔は無い。ただ漫然と前を向いていた顔を後ろへ。体ごと、きちんと振り返らなければいけない。


 きちんと向き合ってみればそこにあるのは中学一年生の冬に捨てた感情だ。

 優しくて、いつでも助けてくれた周。優しくされるのは嬉しかった。助けてくれたことはもっと嬉しかった。

 いつから私はそんなことを思い始めてしまったのか。もう忘れてしまった。でも長年一緒にいるうちに私は勘違いをしてしまったのだ。


 いつも周が優しくて助けてくれるのは私のことが好きだから。……だなんて酷く的外れな勘違いを。


 周に直接確認したわけでもないのに、私は幼馴染のことを誰よりも分かっているつもりで彼の気持ちを決めつけたのだ。

 その点を鑑みるに私の気持ちは芳野さんのソレと違って悪質なものだ。人の気持ちを分かったつもりになって決めつけるだなんて、傲慢にも程がある。恥というものを知った方が良い。


「水瀬さんが先輩と付き合っているということは知ってます。けど、どうしても先輩に気持ちを伝えたくて……」


「先輩は来年の三月にご卒業されてしまうので」と頬を赤くしてどこまでも一生懸命な彼女を見ていると何だか心臓のあたりが痛む。

 私達は嘘をついている。水瀬あさひと星川周の関係は嘘っぱちのものだ。例え私に彼への情があっても、感情を有さないと自称する彼から私への情はないに等しい。

 母さんに知られたときもミヤちゃんに知られたときも平気でいられたはずなのに、彼を好きな彼女の前だと罪悪感から嘘を正してしまいそうな気分になる自分がいた。


「先輩に、気持ちを伝えてもいいでしょうか」


 律儀にお伺いを立てる目の前の後輩は一歩前に出た。それだけならまだ良かったんだけど、その後輩の勢いに負けて片足を後ろに持っていってしまった人間が一人。当然それは私である。しかも、階段の上。


「あ」


 重力は正しく私の体に働き、体が傾く。これもやっぱり例のアレなんだろうか。階段から落っこちるって、致死率はそこまで高くなさそうだけど。

 スローモーション。芳野さんは咄嗟に手を伸ばしてくれたけど、彼女の手を掴めば二人とも真っ逆さまになるかもしれない。だから手は取らない。一年体育でやった柔道の受け身、今でも出来るかなぁ。ていうか受け身ってこの場合有効なのかな、なんて下らないことを考えて目をぎゅっと瞑る。

 結論から言えば衝撃は待てども待てども来なかった。半ば予想はしていた。だから私は驚かない。


「迎えに来たよ」


 信じていたけど、今日ばかりはあまり来て欲しくなかったのも本音だ。目を開けるとぽかんとした芳野さんが私を見ている。いや、正しくは私達を見ている。それまで姿を見せていなかったはずの星川周が私の体を支えている。そして私の耳元に唇を寄せ「学校だって危険地帯だよ、忘れたの?」と囁いた。忘れるもんか。


「忘れてない」

「ならいいや」


 小声の応酬をして体勢を立て直すと、星川周は掴んでいた私の肩を離した。周には放課後、私と芳野さんが話をするということを周には知らせていない。ただ私は彼に教室で待っているように伝えたはずだ。

 私の居場所は何らかの方法で周に筒抜けになっている。だから、その何らかの方法でここが分かったのかと思ったけど、周は「ここにあさひがいるって宮野さんが教えてくれたんだ」と僅かに口角をあげて言った。周は私から芳野さんに視線を移した。


「久しぶりだね、芳野さん。生徒会はどう?」

「は、はい。先輩に仕事を教えていただいたので、つつがなく……」

「そっか、良かった」


 ちらりと視線が向けられたような気がした。


「今日はごめんね」

「え?」


 いきなりの謝罪に芳野さんは不安そうな表情を見せる。周はそのまま自然な流れで私の手を取った。恋人がするような繋ぎ方で手が繋がれる。固く、ほどけないように、しっかりと。


「君はあさひに用事があるみたいだけど、今日は連れて帰るよ。あさひは昔からおっちょこちょいでさ。さっきも階段から落ちそうになってたでしょ。だから迎えにきたんだ」


 感情が無いはずの彼は、うっとりとした笑みを浮かべて言う。


「僕がいないと、ダメなんだ」


 心に嵐が巻き起こる。渦巻く感情を外へと追いやってしまいたい。なのにそれが出来ない。

 私は初めて、目の前の宇宙人が怖いと感じた。



 ☆



「私は、その気持ちを伝えることに反対しない」と去り際、彼女に伝えたけど彼女にきちんと届いていたかは分からない。手はずっと繋がれたままで、周の方が先を歩いている。


「芳野さんの気持ち、分かってたんでしょ。話を聞いてたの?」

「話は聞いてないよ。でも彼女の態度から何となく好かれているんじゃないかな、とは思ってた」

「分かっててああいう登場の仕方をして、ああいう言葉と表情を選んだんでしょ」

「そうだね。……怒ってる?」


 誰もいない廊下の真ん中。振り返った彼の黒髪が揺れる。瞳の中には何も見えない。何も分からない。


「私達は利害が一致してるから付き合ってる」

「うん」

「こんな関係は張りぼてだし、偽物だし、嘘だ。だから、」

「……だから、ぼく達は君の誕生日が終わったら関係を解消して元の関係に戻らなきゃいけない?」


 私の考えを良くご存知のようで。笑いたくはなかったけど、意図せず口角が上がってしまう。


「元の関係に戻れば周は芳野さんの告白を受けられるのに、何でその可能性を潰すような言葉を選んだの」


 彼の表情にじわりと滲んだそれが何なのかは分からない。彼の瞳はゆるやかに笑んでいる。彼の表情は綻んでいる。それなのに、その表情はどこか冷たい。


「もし、ぼくが彼女と付き合うことになったとして」


 繋いでいた手が解かれた。さっきまで何があっても解けないような手の繋ぎ方だった。けど時が来ればこんなにもあっさりと彼の手は離れていく。


「あさひはそれでいいの?」


 私はその問いに答えられなかった。


 帰りは双方無言で、終始言葉を交わすことは無かった。周はここ数日のルーチンをこなすため例に漏れず夕飯時に私の家へと来たけど、私は彼と話をしたくなくて部屋にこもったから顔を合わせることも無かった。


 嵐の日には外に出ない。身を守るためにはそうするしかない。出来ることは何もないのだ。ただただ考える時間が私には必要だった。

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