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彼方の隣人  作者: 夏目羊
6/17

12/15・2Pカラーの彼、背面の顔

 ほとんど衝動的な流れで制服のジャケットに付いているボタンを切ってしまった昨晩。周から受け取ったボタンを自身の制服に付けるのにかなりの時間と努力を要した。

 まぁ簡単に付けられるだろう、と高を括り眠る前に作業をしようと思ったのが運の尽き。家庭科で五段階評価のうち二くらいしか取っていない私的にはなかなかにキツいものがあったのだ。

 制服の生地は厚くてなかなか針が通らなかった(苦労して針を通してから、裁縫セットの奥底に眠っていた指ぬきの存在を思い出した)し、出来たと思ったらボタンの校章が上下逆さまになっているし、男子の制服に付いているボタンと女子の制服に付いているボタンがまるきり一緒だと思っていたのに実は微妙に違っていることに気付いてしまったりもした。

 まぁ瞼がそれ以上持ち上がるのを拒否していたから、最後のことに関しては仕方なく目を瞑ったけれども。きっと大丈夫。近くで見ることが無ければバレないバレない。とにかく、たいへんな戦いだった。


 だから、というか何というか。言い訳をさせてもらうと、そんな訳で、いつもより寝ていないのである。おかげでショッピング中、常に眠気と戦うことになってしまった。周を誘って大きな町まで出たのに、いろんな意味で収穫はゼロだった。


「私、今日は何か事故に遭いそうになったりした?」

「特には。まぁ公共機関使ってると危険は減るから。今日はほとんど電車とバスを使ったし」

「そっか」

「うん」

「……ねむい」

「肩貸そうか」

「うん」


 各駅停車の電車の中は程よく暖房が効いていて、ぬくぬくと暖かかった。それはもう普通に船を漕ぎだしてしまいそうなほどに。そこに寝不足という状態異常ステータスを加えてやれば行き着く先は一つ。


「あとは帰るだけだし。寝てなよ」

「そうしようかな」


 地元に着くまで約一時間弱。軽く夢が見れそうだ。


「ねぇ、宇宙人は眠るの?」


 外はもう随分と暗くて景色は見えない。外の夜が透けて真っ黒な窓ガラスのなか、閉じ込められているような私達二人が映り込む。ガラスのなかの周はあるかないかの笑みを浮かべていた。


「この体は休息が必要だから、眠るよ」

「夢は見る?」

「見るよ。脳みそが夢を見せるんだ」


 脳みその作りによって、生き物が夢を見るか見ないかは決まる。蜥蜴は夢を見ない。犬は夢を見る。魚は夢を見ない。鳥は夢を見る。

 犬の夢はどんなのだろう。鳥の夢はどんなのだろう。そして宇宙人の夢は。


「おやすみ、あさひ」


 たたん、たたん、という電車が走る音に紛れて周はそっと囁いた。

 彼の言葉を合図に目を閉じる。心地よい眠気の波が、もうそこまで来ている。ああ、でも、あともう一押し。

 眠りに落ちるまでの間、半ばぼんやりした頭で今日一日のことを思い返した。



 ☆



 私達の住んでいる真白辺町は県のほぼ端にある地方の町であるけれども、県自体は主要都市までの交通の便が良いからか、まぁまぁ栄えていた。

 そんなまぁまぁ栄えている県にある真白辺町にも、それなりにショッピングモールとかがあるわけだけど、高校生くらいになってくると地元では遊び尽くして持て余してしまう。

 だから休日になると、真白辺町周辺にある高校に通っている生徒たちは、電車で一時間程のところにある県の都市部へと繰り出していくのだ。私達も、例に漏れず。


 土曜の午前十時に出発して、目的地に着いたのは午前十一時過ぎくらい。

 ここ数年の間に出来たばかりの、地元のものとは比べるのもおこがましいくらい大きなショッピングモールでお昼を食べて、ぶらぶらと適当にお店を回った。


 流石ここら一帯で一番大きな複合商業施設なだけあって、多数のショップはもちろん、映画館や数種のスポーツを楽しめるエンターテイメント施設なんかも併設されていて暇はいくらでも潰せた。

 しかし、私達が暇を潰すために選んだのは施設の端の方にあった企画展だった。企画展のテーマは「世界の名作レプリカ」。

 高校生男女が選ぶ暇の潰し方としては少々地味めではあったけど、いつもこういうのは私任せな周が興味を持った展示だったのと、お財布と相談した結果これを見学することになった。基本的にバイトが禁止されている真白辺南高生の財布の中身はここ最近の外気温並みに冷えているのだ。


 受付のお姉さんに学生証を提示し高校生料金を支払った。映画と比べると三百円安い。貧乏学生的にこれは嬉しかった。

 展示場所は、もともと色々な展示企画を行うスペースのようだった。モール内の他の場所は、クリスマスが近いからかクリスマスの装飾がこれでもか!というくらいしてあって、とても明るい雰囲気で色調を纏めてあったのに対し、そこだけは周りから切り取ったかのように落ち着いた空間になっていた。


「落ち着いた色の壁だね」

「絵が映えるよう工夫しているんじゃないかな」

「へぇ」


 他にもお客さんはちらほらいたけど、私達くらいの年代の人は全然いない。お客さんの年齢層が高いからか、本物の美術館のようにとても静かだった。

 あまり芸術に対して造詣の深くない私でも、教科書やテレビで見たことがあるような絵や彫刻、それから名前をぼんやり聞いたことがあるような画家の作品が洋の東西を問わずずらりと並んでいた。


「あ、これ中学の美術の教科書で見たことある」

「モネの睡蓮だね」

「これも見たことある」

「フェルメールの真珠の耳飾りの少女」

「これとこれは歴史の教科書で見たことある」

「葛飾北斎の富嶽三十六景の神奈川沖波裏とボッティチェリのヴィーナスの誕生。どれも解説出来るけど、いる?」

「いや、いいよ」


 確かに、ここにあるものは有名な絵が多い。だからその題名や画家の名前をノータイムで答えられるのは、別におかしい話じゃない。ここは自身の無教養さを嘆くべきか。いやいや、これはほぼノータイムでタイトルと画家名を言えて解説まで添えられる周の方がおかしい。多分。きっと。

 先に進んでいくと近現代の画家の作品が並んでいた。ここまでくると私にはもう岡本太郎くらいしかピンとくるものがない。先に展示してある太陽の塔のレプリカに寄っていって上の顔をじっと見つめる。


「正面の二つのうち、どっちが本物の顔なんだろう」

「どっちも本物らしいよ」


 周はやっぱり私の疑問に淀みなく答える。


「へぇ」

「ちなみに後ろにも顔があって、それも本物」

「そうなんだ」


 可愛らしいサイズの太陽の塔。後ろに回り込むと、なるほど確かに第三の顔がある。背面の顔は、一体何を見ているんだろう。小さな疑問を抱きながら順路を進む。


 そしてそこには絵が一枚しかなかった。あまり大きくないカンバス。幾重にも塗られた油絵の具。金の額縁の内側には、男の子がいる。どこかで見たことがあるような、そんな男の子だ。星を砕いて溶かし込んだような髪の毛。宇宙の瞳。絞られた照明で照らされているその絵の近くにタイトルプレートは掲示されていなかった。


「周、これって」

「神様の、宇宙人ってタイトルの絵だよ」


 またノータイム。でも返答に違和感。からかっているのかと思って周を見ると、黒いはずの彼の髪は星のように煌めいていて、何故か今まで来ていた筈の私服ではなく白い学ランを着ていた。まるで王子さまのようだ。絵の中の男の子とぴったり同じ装いをしている。


 ぽかんとしていると彼は悪戯が成功した子どものような笑顔を見せた。いつもの周より、ずいぶん賑やかな笑い方だ。その笑い方があまりにもそぐわなくて思わず凝視してしまう。

 ひとしきりクスクス笑った彼はニヤニヤした笑みを浮かべながら一言、「これは夢だよ」と言って私の手を取った。


 順路に逆らって軽やかに歩いていく。いつのまにか私達以外の人はいなくなっていた。


「こんな偽物、見てて楽しかった?」


 名だたる作品のレプリカたちを横目に無邪気な笑顔。「楽しかったよ」と答えると「ふぅん」なんて気の無い返事が返ってきた。私の返答なんか心底どうでも良いと思っているような声だった。


「君は偽物に価値あるいは意味があると思う?」

「え」


 岡本太郎、ボッティチェリ、北斎、フェルメール、モネ。どんどん流れていく。


「ボクは、やっぱり真に価値があるのは本物だと思うんだよね。逆に言えば偽物に本物以上の価値が無いんじゃないかなって」

「なにを」


 2Pカラー周は振り向いて立ち止まる。

 宇宙の瞳はいつだって煌めいていた。でも目の前にいる2Pカラー周の瞳はとても深い黒色だ。光さえ吸い込んでしまうブラックホールのようだった。


「君はずっと騙されている。今この瞬間も。星川周は真実を明かすつもりが無いみたいだ。今までもこれからも。

 君たちの関係は全て全て嘘で構築されていくんだね」


 色以外、容貌は周と全く一緒だ。なのに何かが違う。どこかが決定的に違う。そのはずなのに何が違うのか分からない。


「それってさ、一体なんの意味があるんだろうね?」


 無邪気で無垢だからこそ胸に刺さるものがある。問いには答えられない。


「君にはもっと思い出さなきゃならないことがある」


 晴れやかにそう宣言して2Pカラー周はにっこり笑った。繋いでいた手が解かれて、思い切り突き飛ばされる。予期していなかった衝撃に、私は後ろに倒れこんだ。来たる床との衝突に思わず目を瞑る。けど背中を襲う痛みはいつまでもやってこなかった。浮遊感。あ、これ、落ちてる。荒唐無稽な展開ってやつは、夢にありがちなことだ。

 目を開けると随分遠くなってしまった穴の淵からこちらを覗き込むように2Pカラー周がこちらを見ていて、そしてゆるゆると手を振っていた。そして暗転。急な場面展開も、夢にはまぁ、ありがちなことだ。


 その夢の中で私は濃紺のセーラー服を着ていた。これからの成長を考慮して、少しだけ大きめのセーラー服。俯くとスカートにすっぽりと覆われている膝が見えて正直ダサい。卒業間際には丁度良い長さになるんだけど、それをこの時点での私は知らない。私は周りを見回す。

 放課後。夕日で赤い廊下。寂しい冬の日。これは過去の夢だ。約束をしていた。一緒に帰る約束を。周の部活の方が早く終わるから、教室で待っているように言ったのは過去の私だ。

 過去の私は隠れてしまう。教室側から姿を見られないように。周がいるはずの教室。扉はきっちり閉ざされている。きっちり閉まった扉のその真横。息を潜めて廊下で棒立ちになる私。入ろうとしたところで中に周と、周以外の誰かがいることに気付いて、入るのをやめたのだ。


 磨りガラスに影が映ってしまっただろうか。でも、どうやら中の人達は私に気付いていないようだった。

 聞くつもりなんて一切無かったけど、ただならない雰囲気に私はその場を動けなかった。まるでリノリウムの床に上靴のゴム底が癒着してしまったかのようだった。


「星川君のことが好きです」


 恋なんてよく分からなかった。

 なんとなく周りに流されて少女漫画雑誌を購読していたけど、私の周りには意地悪でカッコいいやんちゃな男の子はいなかったし、色素の薄い王子さまのような男の子もいなかった。それに私だって少女漫画に出てくるような可愛くて健気な女の子という訳ではなくて、だから、恋というものが余計遠くに感じた。


「そうなの?」

「うん。文化祭のとき、一緒に仕事をしてていいなって思ったの。だから、あの、付き合ってほしい」


 声の主は知っている。あんまり話したことがないクラスメイトの女の子。委員長をやっていて真面目そうな女の子。中学一年の秋に開催された文化祭で周は実行委員をしていた。そのことがあったからか、文化祭の準備日にちょくちょく彼女と一緒にいるところを見た。

 心臓が早鐘を打つ。私が告白しているわけでもないのに、とてもうるさい。


「ごめんね」

 幾分か沈んだように聞こえる声に、私の心臓は少しだけ落ち着きを見せ始める。

 ああ駄目だよ、安心したら。この先の展開を知っている私は中学生の私にその旨を伝えたいけど、当然そんなことは出来ない。

「……理由を聞かせてほしい。水瀬さんがいるから?」

 理由なんか聞いちゃ駄目だ。そう思うのに私の足は動かない。周は淡々とした声音でその言葉を口にした。


「違うよ。だって、ぼくは誰のことも好きにならないから」


 うん、そうだよね。

 だって星川周はさ、宇宙人で、感情が無いんでしょ?


 その日、一緒に帰ろう、という周との約束を私は破った。

 断りの言葉と反して周は委員長とひっそり付き合うことになり、私は周のことを「星川」と呼ぶようになった。中学一年の、冬のことだ。また世界が暗転する。



 ☆



「あともう一駅で、着くよ」

「うん」


 目覚めは特別悪いものでもなかった。悪いものではなかったが、一時間弱の睡眠はずっしりとした疲労感から私を解放してくれなかった。余計に疲れたというか、なんというか。そんな私を見て、周は少し首を傾ける。


「夢見が随分良くなかったみたいだ」

 おかげさまで。


 左側にいる周から、無言で右手を借りる。周は自身の手に絡む私の手をじぃっと見ている。その瞳の中にはやっぱり星がちらちら瞬いていた。

 こうして手を繋いでいたら私達は電車内でいちゃつくカップルに見えるんだろう。でも実際の私達は利害の一致からただ恋人のふりをしているのにすぎない。


「ねぇ、周って人の夢に干渉できたりする?」

「出来なくはないけど……どうしたの?」

「いや、その、夢に周が出てきたから」

「ふぅん」


 あ。デジャヴ。聞き覚えがある呟きだ。でも表情が圧倒的に違う。なんだかこっちの方がほっとする。そこまで表情筋は動いていないけど何となく嬉しそうな周を見て思う。


「あさひの夢には特に干渉してないよ」

「そっか」

「うん」


 たかが夢だと切り捨てるのは簡単だ。だけど夢の中の彼の言葉が私の胸を内側からちくちくと刺している。


 ——君はずっと騙されている。今この瞬間も。星川周は真実を明かすつもりが無いみたいだ。今までもこれからも。

 君たちの関係は全て全て嘘で構築されていくんだね。


 でも、もし気になることがあるなら、君は背面の顔で物事を見るべきだよ。これはボクから君への、ささやかなヒントだ。無事に、誕生日が迎えられるといいね。

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