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彼方の隣人  作者: 夏目羊
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12/12・私が知らないことばかり

 駅前のドーナツ屋はそこまで混んでいなかった。二人席を確保して交互にドーナツを買いに行った。テーブルの上にはドーナツが二つずつ乗った皿が二皿と紅茶とコーヒーが鎮座している。紅茶が私でコーヒーが周だ。


「あ、星川に聞きたいこと、ノートにメモしたよ」


 肩掛けのスクールバッグに入った大学ノートを周に差し出すと、彼はそれを受け取って表紙を確認し「数学のノート」と呟いた。なんだか物言いたげな呟きだったけど無視だ無視。たまたま目の前にあったのが数3のノートだったのだ。見逃してほしい。

 私の紅茶には砂糖を一本とレモンポーション。周はコーヒーに砂糖を二本とコーヒーフレッシュを一つ入れるみたいで、それらがトレーに乗っている。無糖のブラックコーヒーよりもミルクと砂糖の入った甘いコーヒーを好んで飲んでいるという事実を鑑みるに、やっぱり宇宙人にも味覚はあるんだろうな。


「けっこう聞きたいことがあるんだね」


 ノートに書いてある質問を一通り確認したらしい周が小首を傾げた。そりゃそーだ。聞きたいことは山の如くある。けど、それでもかなり質問は精選したつもりだ。周のコーヒーに砂糖とミルクを入れながら「別に答えたくないんなら良いけど」と返すと「答えられないものには答えないけど、問題ないものなら答える」と返ってきた。そして二人質問大会が開催されたのである。


 質問その一。何故周達は地球にやってきたのか。


「前に言ったけど、ヒトの観察をするため。もっと詳しく言えばヒトの思考や感情や、そういうものを観測するため」

「どういうこと?」


 周はコーヒーを一口飲んで口腔を湿らせた。そして一言「ぼくたちの種族に喜怒哀楽の感情は無い」と呟いた。


 曰く、宇宙人には体が無いらしい。それは前に聞いていた。もっと詳しく話を聞くと、遥か昔、周達の種族も私達と同じように物理的な体を持って一つの星に住んでいたようだ。

 文明がとても進んでいて、豊かな星。その種族はより自身の種族が栄えることを願い、長い長い時間をかけて文明を発展させていった。


「地球人は医療の発展をもって長寿を目指している。さて、ここで問題だ。長寿が達成されたらさ、人類は次に何を望むと思う?」

「……うーん」

 望むもの。唸っていたら周は「地位も財も持った王様とか皇帝が欲しがったものだね」とヒントをくれた。そういえば高校一年の時にやった世界史かなんかの授業でそんな人の話をやったような……

「朕は国家なりの人?」

「それはフランスの人だね。そっちじゃなくて中国の人」

「地位も財も持った人が求めるもの……永遠の命、とか?」

「そう。少なくともぼく達の種族はそれを望んだ」


 争いも苦しみも無い世界。より栄えるにはそれが必要だった。争いは種族に対して淘汰を起こす。死は平等に種族に苦しみを与える。それらをなくすためにはどうしたら良いのか。

 長きに渡る討論の末、出た結論が『感情と体の放棄』だった。何というか、とても極端な気がする。そして彼らは進んだ文明の力で、感情を欠落させた精神のみで恒久的に生きる方法を生み出した。


「感情が無いって言うけど、星川は笑うよね?」

「笑顔は相手に対して害意がないことを示すのにぴったりの表情でしょ?」

「……町の、クリスマスのイルミネーション見て綺麗って言ってた」

「ヒトがああいうものを綺麗、と言うのは普通のことだよね」


 何だかとてもモヤモヤする。じゃあ今までの周の言葉は全て嘘だったのだろうか。隣で一緒に楽しんだこと、一緒に悲しんだこと。全て私の一人相撲で彼は何も思わなかったのだろうか。


「栄えるのに不必要だって結論付けたのに、何で今更感情を観測しに来たの?」


 周はコーヒーに向けていた視線をついと上げた。


「寿命という概念の無いぼく達は恒久的に生きている。だから、遠い昔のことは一つずつ忘れていった。もちろん感情についても」


 地球の人達からしてみれば海馬を持たないぼく達が物事を忘れるだなんて変に思うだろうね、と言って周はドーナツをひと齧りした。それからコーヒーをひとくち。


「広い宇宙の中で、ぼく達と同じレベルで高度な精神を持っている生き物はそう居ない。宇宙って生命体がそんなにいないんだ。

 だから、とても久しぶりに、ある程度高度な精神構造を持つ君達を発見して、ぼく達の種族は興味を持った」

「それで、観察」

「そう」

「……」


 質問その二。水瀬あさひの死因について。


「ある程度人はどんな風に死ぬのか、っていうのは決まっているようだ。あさひの場合それが外での不慮の事故。ああ、ここで言う外っていうのは家以外のことだな」

「家は安全なの?」

「家の中は安全だね」


 家の中が安全なのは、実のところかなり嬉しい。やっぱり家は休息出来る場所じゃないと。


「もしかして学校は安全じゃなかったりする?」

「学校だと大体ぼくが介入出来るから問題はないけど……気をつけて欲しくはあるね」

「その、安全かどうかは星川が介入出来るか出来ないかで変わるの?」

「まぁ大体。神様とゲームをするのに必要なルールみたいなものだよ」


 人の命をなんだと思っているんだ……と思いつつも不思議と怒りは沸かなかった。あまりにも非現実すぎて気持ちが追いついていないのかもしれない。


 質問その三。他の人間が巻き込まれることは無いのか。


「無い。そういう決まりになってる」

「決まり、ねぇ。まぁ私の事故に誰も巻き込まれないなら、それで」


 質問その四。神様ってどんな人。


「ぼく達と同じく精神体として存在している、はずなんだけど……」

「なに?」

「体を休めているときに、つまり寝ているときに夢で接触されることがあるんだ。そのときは何故か人の形をとっている」

「へぇ、やっぱり仙人みたいなおじいちゃんなの?」

「いや」


 周はしばらく口籠ったあと真っ直ぐ私の瞳を覗き込むように見た。ゆるりと彼の首が傾いだ。


「君の姿」

「え?」

「君の姿で出てくる」

「なんで」

「さぁ?色々な仮説は立てられるけど、答えてはくれないから分からないな」


 神様なんだから美女にも仙人のようなおじいちゃんにもなれそうなのに、神様も物好きだ。


 質問その五。付き合う意味について。


「物理的に近いほうが、守りやすいから」

「星川は宇宙人なんだし、便利な道具とかないの?」

「昔はあったかもしれないけど、体を捨てたときに全部不要になったから今はほとんど何も無い」

「ええ……」


 質問その六。水瀬あさひを救うことに関して星川周が出来ることについて。


「危険を察知して手を引いたり、物理的にぼくが壁になったり」

「めちゃめちゃ現実的な救出方法だ……でもそれだと離れてるときはどうするの?」

「君あるいは加害者の精神に干渉する。ある程度の事故は回避できる」

「宇宙人っぽい!」

「あとは、ぼくがワープして以下同様」

「さらに宇宙人っぽい!」

「でもこれくらいしか出来ないんだ。その上ワープは……地球の法則に反するから力を使う」

「じゃあワープは出来るだけ使わない方向でいきたいんだね」

「そう。だから出来るだけ、ぼくは君の近くにいたい」


 質問その七。周の体はどうなってるの?首が折れているように見えたけど平気なの?


「一応、ぼくの体は君達の体を模したものだ。例えば先日の事故でぼくの体がまるきり君たちのものと同じだったなら、ぼくの内臓は破裂していただろう。

 ぼくの中には内臓を模したものが存在するけど、それは君たちのそれとは違う紛い物で実際には機能していない」

「えっと、外側っていうか表面上は似せて作ってあるんだ。ふーん。ちなみに血は赤色?」


 ちょっと意地悪な気持ちでついつい聞いてしまった。どうしようこれでムラサキ色とかだったら。


「血は通っていない」

「え……」

「腕とかを切って見せようか?」

「いえ、あの、結構です」

「あさひはスプラッタが苦手だからね」


 周は目を細めて口角をあげた。からかっているみたいな表情だ。


「ああ、でも脳周辺は君達と遜色ないものを頭部に埋め込んでいる。感情と脳には密接な繋がりがあるから。これも実際目で見て確認できなくもないけど……確認、する?」

「しません」


 自分の目の前のチョコレートドーナツをぱくっと食べると、周も一口齧ってあったシュガーグレーズのかかったドーナツを食べた。ふたくち。男の子の一口は大きい。


「宇宙人に性別とかってあるの?」

「無い。体が無ければ性別なんて関係ないから」

「でも周は男の子の姿だよね」

「それは、君の好みに合うよう形を整えたから」

 なかなかに衝撃的な発言だ。思わずどもってしまった。

「ど、どういうこと?」

「観察するにあたって、嫌われているよりかは好かれている方が良い。君が女の子を好きだったら女の子の形になっていた。この姿、結構好きでしょ?」


 問うてくる彼の表情はひたすらフラットだ。それ以上でもそれ以下でもない。そう言っているような表情に何だかとっても複雑な気分になる。実際、言われたとおり見た目は結構好きな部類だから指摘されると何とも言えない気持ちにしかならない。


 微妙な顔になっているであろう私の気持ちなんかいざ知らず、周は淡々と紙ナプキンで指先を拭いてコーヒーを飲んだ。それから程なくしてもう一つのドーナツを手に取り、私の目の前に出した。ドーナツを選ぶ際、気になっていた期間限定のドーナツだ。


「さっき、これを食べるかどうか、すごく迷ってた」

「何でわかったの?」

「わかるよ。ずっと観察してきたから」

「……私は、周のこと全く分からないのに。いいよ、周が食べなよ。甘いの好きでしょ」


 周はきょとんとあどけない表情を浮かべたあと、不思議そうに私を見た。そして「別に甘いものが好きってわけじゃない」と口許に僅かばかりの笑みを浮かべた。うそ、え、だって。


「一緒に出かけるときいつも甘いもの食べに行くでしょ」

「ああ、そうだね。でも別に好きなわけじゃない。だって、ぼくには好きって感情が分からない」

「ならなんで」


 閉じた唇にふわふわしたイーストドーナツが優しく押し当てられる。彼がドーナツを私から離すか、私がドーナツを食べるかしないと喋れないやつだ、これ。

 微笑を湛える周とムッと口を閉じた私との間で膠着状態がしばらく続いて、結局先に折れたのはこちらの方だった。ヤケになってドーナツを齧る。この期間限定のドーナツに罪は無いのだ。雪をイメージした粉砂糖と生クリーム、サンタクロースの衣装を意識しているのか赤くて甘酸っぱいソース。やっぱり私の目に狂いは無かった。すごく美味しい。

 餌付けをされる私を満足そうに眺めて周は空いた手でコーヒーを飲んだ。


「あさひは、甘いものを食べるときにすごく笑顔になる」

「む」

「笑顔のお手本って感じの。甘味の強いものを食べると君を思い出す。笑顔の参考にさせてもらってる」


 秘密めいた笑みで彼は言う。その言葉を信じるなら、私と彼の笑顔は似たものでないといけない。それなのに、彼の笑みは私のものよりも静謐で凪いでいるように感じた。

 分かったつもりでいることが、どれだけ傲慢なことであるか。改めて思い知らされているような気分だ。

 ずっと信じていたことが、ごくあっさりひっくり返される。目の前の宇宙人が宇宙人だと判明したときに受けた衝撃に比べれば、ちっぽけなものなのかもしれない。でも、そのちっぽけな事実でも私の内側にしっかり刺さって抜けない棘のようなものになる。それは何だかとても不公平に思えた。


「私は周のことが全然分かってないのに、周は私のことをよく分かってるんだね」

「そうだね」

「それって何か不公平だよね。私、周のこと知りたい」

「なに、それ」


 告白みたいだ、と眉を少し下げた彼には本当に感情がないのだろうか。


「今まで保留にしてたけど、確かに付き合った方が都合が良いのかも」


 レモンティーで喉を潤すと、さっぱりとした甘みが口の中に広がった。でも、あまり意味はなさそうだ。すぐに喉はカラカラになってしまう。意を決して言わなきゃいけないことがある。


「——私を、彼女にしてください」


 小さく頭を下げたあと周の顔を見ると彼は眩しいものを見るように私に視線を向けていた。分からない彼のことを、私はもっと知らなければならない。

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