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彼方の隣人  作者: 夏目羊
2/17

12/10〜11・前途多難な予感

「せ、生命の危機って」


 いつも歩いている通学路で車が勢いよく突っ込んで来たことを思い出して震える。幼馴染の首がとんでもない方向に曲がっている、という絵面が衝撃的すぎてすっかり忘れていた。

 そういえば周の首は大丈夫なのかな。事故後、周は何でもないような表情で私の顔を見ていたし、痛そうな様子は微塵も見せていなかったけど。


「星川はその、首は平気なの?」


 本当に怖かったし人生で一番衝撃的だったから、あんな場面を見た直後でも夢かもしれない、と思ってしまう。それなのに周は涼しい顔で「問題ない」と一言。


「ああ、でも、この身体のパフォーマンスは落ちてるんだ」

「……パフォーマンス?」

「詳しく話がしたいから、そこの公園に入ってとりあえず座ろう」


 手を引いて誘導されて、公園の冷やっこい石のベンチに並んで座った。もう日は落ちているし、長居するには寒すぎるからか公園には私達しか居なかった。横目で周を観察しながら小さく息を吐く。息は白い姿を見せたかと思うと直ぐに消えた。


「あの、なんていうか、全体的にどういうこと?」


 おそるおそる訊ねると、周は夏休みにあった模試で私が躓いた脂肪族の構造解析の問題を教えてくれたときのような真面目な顔で淡々と説明を始めた。


「君が人生で死にそうになった局面は、未然に防いだのも全て合わせると六百十二回ある。

 その度に君を助けていたわけなんだけど、蓄積した損傷がそろそろこの身体を限界に導きそうなんだ」


 いきなりリアルそうでリアルに聞こえない数字が出てきてビビる。うそ、私、生命の危機に遭いすぎ…?

 とはいえ、先程のような生命の危機にはそこまで遭遇していない。……はずだ。でも、それは周が知らず知らずのうちに助けてくれているからなのか。あまりにもぶっ飛んだ話だ。夢みたいな話を信じたくなくて、茶化したくなる。


「そんなこと言って、私を騙くらかして宇宙に連れ去って解剖とかしちゃうんじゃないの?」


 笑って言うと彼もそれに応えるようにゆるりと微笑した。


「それもいいかもしれない」

「え」

「冗談」


 その笑みは、やっぱりいつもの星川周で、何だか狐につままれたみたいだ。学校の廊下や通学路で会ったとき、それから家に来た時に見せる表情と全く一緒のもので逆に戸惑う。


「何でそんなに守ってくれるの?」

「君が観察対象だから」


 即答かつ、にべもないビジネスライクな言葉で少しガッカリしてしまった。別に、大層な理由を期待していたわけじゃないけど、それにしたって何か情とか……そういうのがあっても良いと思う。

 一緒に幼馴染として過ごしてきて、ときどき、この人感情あるのかな?なんて思うこともあったけど、今改めて考えると宇宙人だったから気持ちの規格が地球人とは違ったから違和感があったのかもしれない。


 内心ガッカリしながら「ていうかそもそも、なんで私はそんなに死にそうになるの?」と聞いてみると表情はそのままに、スッと視線が逸らされた。今まで完璧だったのにいきなりボロが出たような、そんな感じ。確実に何かを隠している。周の顔を両手で挟んでこちらに無理矢理向けると、少し驚いたような表情とコンニチハ。


「何か隠してる」

「……」

「隠してるでしょ」

「何故分かるの?」

「別に、分かってる訳じゃないけど。なんとなく」


 外気に触れている周の頬は熱を失っている。ほっぺた、柔らかい。睫毛、長い。こんなに人らしいのに。

 周は私の手にそっと触れて、壊れ物を取り扱うように握った。私の熱と周の熱がじわじわと一緒の温度になっていく。ぴたりと閉じられていた彼の唇が開いた。


「この地球に生きている動物の寿命は、君達人間の多くが神と呼んでいる存在によって予め決められている」

「なんかいきなりスピリチュアルだね」

「水瀬あさひは本来小学二年生に死ぬ予定だったんだ」


 え、早逝すぎない?私は今度の誕生日、つまり十二月二十四日を迎えると十八歳になる。それを考えると私は十年生き延びてしまっていることになってしまう。


「な、なんで」

「隕石落下事故に巻き込まれて死ぬ決まりだった」


 確かに小学二年生の頃、私は隕石落下事故に巻き込まれて二週間ほど入院したことがあった。その入院している間に星川一家が隣に越して来ていて驚いた記憶がある。


「でもそれだと僕の目的が果たせないと思って、僕は君を救った」

「目的?」

「一番初めに観測したヒトの個体を観察すること」


 つまり、星川周はなんらかの方法で初めに観測したヒトである私を観察するために生かした……ということなのだろうか。


「リミットは十年。十年あさひを守りきれば、あとはあさひが不慮の事故で生命を脅かされることは無くなる」

「どうして十年?」

「……交渉したんだ。この星を管理してる存在と。君を観察したかったから」

「え……それって、その、神様?」

「そう。君が思うところの神様はぼく達の存在とそう違わない。地球を一つの箱庭として君達を初めとした命を管理・観察しているんだけど、彼あるいは彼女は、ぼく達よりも心というものを持っているらしい。賭けなんて非合理でやる意味を見出せないものを持ちかけられたよ」


 周は少し疲れたような顔をした。


「十年間、君を守りきれば勝ち。守りきらなければ負け。賭けをしなければいけないということに関して妥当性を全く感じなかったけど、それに乗らなければ君の観察が出来そうになかったから」

「はあ、それはお疲れ様です」

「……ちゃんと話分かってる?」

「わ、わかってるよう」

「本当かな」

「疑り深いなぁ。ていうか思ったんだけどさ、それって観察対象を私以外の寿命の長い人にすれば良かったんじゃないの?」


 周の目が驚いたように見開かれる。そこまでびっくりされるようなことを言った覚えがないから、こっちも少しびっくりしてしまう。だって、どう考えてもそっちの方が楽だ。合理的だ。宇宙人的に言えばそちらの方に妥当性がある。


「そうかもね」

「結局ヒトの観察が出来れば良いんでしょ。それなら私にこだわる必要、なかったんじゃない?」

「観察対象を別に据えて、リスク無しで観察を行う。確かにそっちの方が良いのかもしれない」


 綺麗めな顔だからなのか、何となくふわっとした雰囲気を持っているからか、周はなんとなく浮世離れしている感じがある。真顔だとより宇宙人ぽさが出る。宇宙人の目は依然として私を真っ直ぐ捉えていた。


「君の観察は、初めはリスクに見合うものでは無かったはずなんだ。だけど……」


 それから周は視線を下げてなんとなく黙ってしまい、私も言うことがなくなってしまった。


「私、自販機で何か買ってくるよ」

「うん……」

「星川はカフェラテ飲むでしょ」

「うん」


 周は飲み物とか食べ物だと主に甘いものを好む。冬場だとココアとかカフェラテとかそういうのを好んで飲んでいた。この公園にある自販機だと確かココアが無かったはず。だからカフェラテ。今まで疑問に思ったことはなかったけど、改めて考えてみると何だか変な感じだ。宇宙人にも味覚があるのかな。

 公園内にある自販機まで歩いていって、悴む指で財布から百円玉と十円玉数枚を取り出す。今日はなんとなくカフェラテの気分だから私も周と同じものを買おう。

 あつあつの缶を二本持って、さあ周の元へと戻ろう、と思ったその時だった。地面が大きく横に揺れて、自動販売機がぐらりと傾いた。


「あさひ」


 やけにクリアに聞こえた。と、思ったらいつのまにか腕を引っ張られていて、二本の缶のうち一本が私の手のひらから逃げていた。

 そして私から逃げた缶はそのままソレに押し潰された。一瞬でこちらに来られる距離に、周は居なかったはずだ。それなのに周は私の隣に立っている。思わず地べたにへたり込んだ私の腕を、彼は掴んで離さない。


「ねえ、星川」

「何」

「聞き忘れてたんだけど、星川の体は、パフォーマンスが落ちていくと具体的にどうなるの」


 見上げた周は静かに私を見下ろしていた。周の頭上に見える月は、まだまだ三日月と呼ぶにも満たないもので、光量が絞られている。だから私達を照らしてはくれない。光源だった自販機がうつ伏せになってしまって、私たちの周りだけがぽつんと暗い。暗がりで確認できる周の顔は、微笑んでいるように見えた。


「ぼく達の体は人間を模して作ってあるから、基本的に人間以上のパフォーマンスが出来るように作られていない。

 でも君を救うためには人間以上の力が必要で、その力はこの体に大きな負担をかける」


「生命の終わりを死とすればぼく達に死は存在しない。本来ぼく達は肉体というものを持たず、そこに在る。

 君達が言うところの精神のみでぼく達は存在し、こうして君達と接触し観察をするため、この肉体の内側に収まっているのに過ぎない。

 でも、ぼく達の精神が死ぬことは無くても、この今使っている肉体はこの地球の法則に従い死ぬ。

 つまりね、簡単に言うと、君を救うという名目で力を使いすぎると、負担がかかってぼくの体は死ぬんだ」


「流石に限界が近いらしくてね。でも安心して。君の誕生日までは保つから」


 しっかりと掴まれた腕。自販機の力に負けて無残にも押しつぶされた片割れのカフェラテ。


「私のところに来るときにさ、力使ったの?」

「遠かったから」

「力は使いすぎると良くないんでしょ」

「そう」


 片手に持っている熱いカフェラテの缶が、痛いくらいに存在を主張している。


「もし私が周の助けを拒否したら周はどうするの?」


 夜は深まる。星はちらちらと瞬いていて、まるで生きているみたいだ。浮かぶ痩せた月は私達を見下ろしている。彼の気持ちは想像できないけど、答えは何となく想像がついた。


「……それでも、僕は君を————」


 


 ☆



 事故が起きた日の翌日。結局昨晩は一睡も出来なかった。ぐるぐる色んなことを考えていたらいつのまにか鳥が起きる時間になって、外が明るくなっていた。昨日の夜は食欲が沸かなかったし、今日はなんだかお腹が痛い。完全に調子が悪い。部屋にある鏡で顔を見てみると顔色はすこぶる悪く見事な死にっぷりだった。

 二階の自室から一階のダイニングまで石橋を叩くように歩いた。滑って階段から落ちて死亡、とかシャレにならないからね。


「おかーさん、今日私、学校休む」


 ダイニングのテーブルのところでお弁当を包んでいたお母さんは私の顔を確認して「あら、酷い顔。やっぱり周君と喧嘩でもしたの?」なんて見当違いなことを言った。


「なんでそうなるの……お腹が痛いの」

「ええ、そうなの?あんた昨日久しぶりに周君と帰ってきたと思ったら何かすごく暗い顔してるから。お母さん、てっきり周君と喧嘩でもして悩んでるのかと思ったわ」

「喧嘩なんてしてないし」

「喧嘩っていうか、あんたが一方的にぷんすか怒るんだもんね〜」


 ぷんすかなんてしないし。ムッとしてると笑ったお母さんに頬を人差し指で刺された。お母さんの先の丸い爪が私の頬を連打。あんまりしつこくて、思わず払ってしまった。それでも母はニコニコしている。


「じゃあ学校には連絡しとくから、あんた寝てなさいね。食欲は?」

「ないけど、朝ご飯用意してあるんなら食べる……昼も食べるよ」

「うん。ならよし!レンジの中に目玉焼きとソーセージがあるし、トースターにまだ焼いてない食パンがセットしてあるから自分で焼いてね」


 お母さんは私にコーヒーだけ注いで、慌ただしく出て行った。今日はパートがある曜日なのだ。母が出て行ったあと、オーブントースターを稼働させて、コーヒーに砂糖を突っ込んだ。何となくテレビをつけると朝の情報番組が昨日の地震について報道していた。震源地はここの近く。死者はゼロ。よかった。


 オーブントースターが私を呼ぶより先に、玄関のチャイムが鳴った。あ、しまった。私まだパジャマのままだ。訪問者を映し出すモニターを確認。見知った顔がそこにあった。

 宅配便とか回覧板だったら少し待ってもらって着替えるけど、そのままでもいいか、の精神が働いた。

 扉を開けるとそこには周が立っていた。コートとマフラーを身につけて、通学鞄を肩から掛けている。いかにもこれから学校に行きますよ、という格好だ。昨日事故に遭ったとは微塵も思えない普通っぷり。それくらい周は平然としていて、実は昨日の出来事は全て夢だったんじゃないかという疑念がむくむくと沸く。


「ねぇ、昨日の出来事は夢?」

「残念ながら、夢ではないかな」


 がっくり項垂れる私に周は忍び笑いを漏らした。ここは笑うところじゃない。じっとり睨むと彼はその視線をいなして、おや、という顔をした。


「寝坊でもしたの?」

「違うよ。お腹痛いから休むの」

「そっか。おばさんは?」

「母さんなら出かけた。星川は何か用事?」


 周は瞬きを数回したのち、控えめにくつくつと喉を鳴らして笑いだした。


「迎えに来たんだ」

「迎え?」

「通学路で車が突っ込んでくるかもしれないから」

「……」

「まぁ、休むんならそれはそれで。家の中なら安全だから」

「え、安全なの?」


 昨日の夜から食べ物を喉に詰まらせたり風呂で溺れたり階段から落ちないように必死になっていたのに。詳しく聞いてみると私の死因は外での不慮の事故、らしい。普通に過ごしていて車に轢かれる、とか遊びに行った海で溺れる、とか。

 周がギリギリ介入出来そうなラインのもので死因は決まっているのだそうだ。だから周が物理的に介入できない死に方はしない。なかなかに謎判定だけど、とにかく家の中は安全らしい。ていうか、そこまで決まっているのか。何だか変な感じだ。周は閉めてある玄関のドアに寄っかかって腕を組んだ。


「君が小学生の頃にやたらと海や川で溺れそうになったのはそのせいだ」

「そうなの……じゃあ誕生日まで家に引きこもってたら賭けに勝てるんじゃない?」

「逆に聞くけど、それで勝ったことになると思う?」


 今一度しっかり考えてみる。「思わない」と言えば間髪入れずに「だろうね」という返答がくる。そうだ、これは賭けなのだ。勝敗がある事柄なのだ。家に引きこもって賭けに勝つのは、大富豪でいうジョーカー上がりと一緒だ。ズルだと糾弾されても文句を言えない。


「賭けはあさひが普通に生活することで成り立つ。大体インフルエンザでも二週間も引きこもるなんて出来ないし、許されない」

「そっかあ……あの、ちなみにこっちが負けたらどうなるの?」

「あさひは死ぬ」

「だよねぇ」


 がっくり肩を落としていると頭に何かが乗った。質量と形と状況から、これが周の手であるということは分かる。下げていた視線を上げると、ぱちっと目が合った。


「心配しなくていい、僕が守るから」


 周の指が私の髪を梳くように、さらりと撫ぜる。繊細な指の通り。真顔でそんなヒーローみたいなこと言うのはやめて欲しい。


「明日は学校に行けそう?」

「……うん。腹痛は大したことないから、明日は行けると思うよ」

「じゃあ、放課後はデートしよう」


 ……デート。あまりにも聞きなれない単語で、始め宇宙語か何かかと思ってしまった。彼の表情は変わらない。笑顔のえの字も無いくらいの真顔だ。流石に聞き間違いかと思って「あの、私の聞き間違いでしょうか?」と聞いたら周は目を細めて私を見た。


「聞き間違いじゃない。そういえば結局答えを聞いてないけど、付き合うよね?」

「いや、彼女になる必要性を感じないっていうか、何というか」

「嫌なの?ぼくのこと、嫌い?」


 一歩。周は距離を詰めて、私の息も詰まる。ふわりとあまり嗅ぎ慣れない石鹸の匂いがして、抱き締められた。

 耳に馴染んだその声は、内緒話を囁くような音量で私の鼓膜を揺らす。


「君はぼくに対して好意を持っているだろ」

「……」

「それがどういう種類のものかは流石に分からないけど」

「そんなの、なんで分かるの」

「だって君は、ぼくの観察対象だ」


 パッと離れた宇宙人は私の顔をじぃっと見たあと「また見たことない顔だ?」と言って笑った。他人の笑い方と比べると、周の笑い方は笑うという行為を何倍にも希釈したような細やかな笑みだ。それなのに、なんとなく嬉しそうな気持ちが伝わってくるような、そんな顔を見てしまうと何だか心臓のあたりがぎゅうと苦しくなる。


 何故か楽しそうな周が登校したあと、放置していたオーブントースターの存在を思い出した。随分前に私を呼んだらしいトースターは私が適当にツマミを回してしまったせいでパンを真っ黒焦げに変身させていた。トーストは仕方がないから表面をこそぎ落として食べることにした。


 はからずも減量化が成功してしまった食パンと、目玉焼き、それからソーセージ。コーヒーはきっと冷めてしまっている。でも温め直す気力は沸かなくて、そのままいただくことに決める。

 いただきます、と手を合わせ、冷めたコーヒーを口に含むとそれは苦かった。何も考えず砂糖を入れて、スプーンで掻き回してから再度ひとくち。今度は甘すぎるコーヒーが出来上がっていて、そういえばさっき砂糖を入れて掻き回さなかったんだな、と一人で納得。


 ああ、全く思考が纏まらない。きっとこれは寝不足だけが原因じゃない。これからのことに関してぐるぐると思考を巡らせる。前途はきっと多難だ。

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