その5 地を護る者
「先日までと比べて、立ち位置が私から平均40cm離れてますよ。何故ですか? タエル」
朝靄けぶるミケ寺院の庭先。
女神ルアは不思議そうに、長身のタエルを見上げ覗く。
まっすぐな黒い瞳を向けられた筋肉僧侶は、スキンヘッドを頭頂まで赤く染めた。
「そ、それはその」
「それは?」
「それは」
無言。ピュオー、と山間の寺院に風が吹く。
緊張に枯れた喉は声を絞り出せず。タエルの口がぱくぱくと開閉するのを見て、ルアは不満げに頬を膨らませた。
「タメエモンは、何かわかりますか?」
「ううむ、わからんでもないが、ワシが口にするのも酷だろう」
ふくよかな頬肉の間で小さな目を細めるタメエモンの笑みは、いつもに増して優しげに見える。
首をかしげるルアだが、ニ=ヤンの言葉に興味――否、注意の対象を逸らされた。
「気をつけなされ。バイフの奥地から生きて還って来た者は未だ嘗て居らん。かの秘境には得体の知れぬ魔者が棲むと言われておる」
「さしずめ、居城を守る門番か」
「そのような話、私も初めて聞きました」
「徒に吹聴するような事ではないからな。だが、お前たちには必要な情報じゃ。すまんな、タエル。昨晩のうちに話しておく所じゃった」
「……そういえばタエル、昨晩はずいぶん遅い時刻までニ=ヤン師とお話ししていましたね。なにをお話ししていたんですか?」
女神ルアの、妥協なきコンピュータの部分が忘れかけていた追及を再会。
背後では駐車してあったラズギフト・ハーフが分解をはじめ、何らかの輝機神への構築を開始しつつあった。
まさかの脅迫に観念したタエルは、茹蛸のような顔を手で覆いながら口を開いた。
「まあ、ええと……子供は何人欲しいか、という」
「子供? タエルは子供が欲しいのですか」
きょとんとした表情で尋ねてくる女神が何気なく一歩、近付く。
ただそれだけの言動に、筋肉僧侶はのけぞった!
「アアアーッ! 勿体なァーいッッッ!!」」
エビ反りからのブリッジである。
なんとなく眺めていたキハヤも、この挙動はさすがに気になった。
「タメエモン、タエルの様子がおかしい」
「ああ、タエルはいつもおかしいからな」
「何かの病気なのか?」
「ある意味病気みたいなモノだのう」
「そっか」
呆れる住職ニ=ヤンの後ろでは、兄弟子僧侶たちが口々に「久し振りに見た」「変わってないなァ」などと言っている。
そこへ、何処からともなく飄々とした響きの声が聴こえてきた。
「やぁ、賑やかだね」
少年とも少女ともつかぬ、ともすれば齢すら定まらぬ中性的な響き。声の主は、瓦で葺いた寺院の屋根に座っていた。
小柄な細身を包む衣――指先まで隠れる大きな袖と膝下まで伸びる裾の導師服は、青白い絹で仕立てられている。
赤みがかった長髪が細長い三つ編みにしてあり、動物の尾を連想させた。
顔立ちはかなり若く、やはり少年とも少女ともとれる印象だが、いずれにしても枕に“美”をつけて然るべき稀な容貌である。
「珍しー、“クルマ”型の輝機神かー! いいなあ、乗ってみたいな」
この場には“気”を読むことに長けたバイフの僧侶衆と、同じく武の心得があるタメエモン達が集まっている。
彼らに一切気取られることなく頭上に“出現”したその人物は、ひらりと屋根から飛び降りるなりラズギフト・ハーフに目を輝かせた。
「……その天資に近付かないで下さい。何者ですか、あなた」
謎の闖入者に一同が身構える中、ひとりニ=ヤンだけが趣の異なる驚き顔を浮かべた。
「貴方様はもしや、大羅仙アサヒ師ですかな!?」
「うん。そうだよ。ニ=ヤン、50年振りだっけ? ずいぶん老けたねー」
「大羅仙!?」
「ん?なんだ、知ってんじゃない、キミ」
タエルをはじめ、僧侶衆は『大羅仙アサヒ』の名を聞くや、まるで幻を直視しているかのような顔をする。
「この御仁は有名人なのか?身のこなしからして、只者でないことだけはワシにも判るが」
「そうそう。ボク、この辺じゃかなり有名だよ、でっかい人。人呼んで『西の導師』『幻の覚者』――いろいろ呼ばれるけど『大羅仙』の通り名がお気に入りさ」
「おまえ、偉いやつなのか」
「んー、別に権力者って訳じゃないケドね。しっかし、キミもまたでっかいねえ。ミケ寺院のムサ苦しさは相変わらずだなあ」
わざとらしくうんざり顔をつくったアサヒが、横並びになった男達をぐるり見渡す。
と、筋肉と汗の山脈に咲いた一輪の花――ルアに目を留めて、滑るような足運びで近付いた。
「女の子も居るじゃない。でっかい連中ばっかりで気がつかなかったよ。しかもキミ、すっごくカワイイね!」
「か、かわいい、ですか? あの、その……“困惑”? いえ、これは“恥ずかしい”、です」
「あはは、そんなに“照れ”なくったっていいよ。自信持ちなよ」
アサヒがルアの肩に手を置いた所で、脇に控えたタエルは牽制の咳払い。隠し切れない嫉妬の気を吐き出した。
「お言葉ですがアサヒ師。ルア様が戸惑われます。婦人にあまり馴れ馴れしくしないで頂きたい!」
「ヘンなの。別にいいじゃないか、女の子同士なんだからさ」
「えっ」
沈黙。それはそれは気まずい沈黙。
目が泳ぐタエルの視界に、一様に妙なこわばり方の兄弟子衆の顔が見えた。
「おまえ女だったのか」
無頓着なキハヤの一言が沈黙切り裂き戦慄をもたらす。
勢い、タエルは彫りの深い眼窩に青い眼をクワッと光らせ一喝。
「キハヤ、言葉を選びなさい!」
このまま気まずさを有耶無耶の内に流そうという腹づもりであった。
姑息な大人の思惑は、隣で素直に頭を下げる女神の徳を引き立たせる。
「てっきり男の子だと思っていました! 失礼いたしました、アサヒ様」
「あはは、よく間違えられるんだよね。うーん……服装のせいかなぁ? これなら、どう?」
大羅仙アサヒ、やおら懐より取り出したるは呪符の束。
頭上に放られた符はひとりでに渦を巻き、少女アサヒの小柄な身体を繭のごとく覆う。
符の繭は一秒と経たず風にさらわれ。
中から出てきたアサヒの出で立ちに、むくつけき男衆の「おおお」と野太い歓声をあげた。
手元まで覆っていた白い導師服は跡形もなく、今、アサヒが身にまとっているのはパールホワイトのチャイナ衣裳であった。
両袖の無いノースリーブ、肩口のアームホールから腋下が覗く。
股下数センチまで詰められた裾から伸びる健康的な両脚は眩しく、目のやり場に困る。
ミニスカチャイナ。縁取りに金糸の刺繍が入ったミニスカチャイナである!
「わぁ――」
目を丸くするルアに、アサヒはいたずらっぽく微笑むと、またもや何処からともなく符束を取り出し。
今度はルアが符に包まれた。大羅仙アサヒの“更衣の術”はまったくもって万能だ。
呪符の繭から出てきたルアは、本人も気付かぬ間に、アサヒと同じデザインの青い衣裳を着せられた。
ミケ寺院の僧侶達が沸き立つ。
平生は禁欲生活を余儀なくされている彼らである。美少女二人の艶姿は、もはや眼福を通り越して劇毒的な刺激と言えた。
男達の視線に得意気なアサヒの隣で、着慣れたワンピースよりも遥かに丈の短いミニスカチャイナ、二の腕と太ももの露出に戸惑うルアの頬がうっすら桃色に染まる。
正しく“恥らう”女神は、おずおずと自らの信徒に問いかけた。しかも上目遣いで。
「――タエル、似合いますか?」
「はい」
即答。
褐色の真顔に、鼻血の赤が鮮やかであった。
*
ラズギフト・ハーフの車窓に、厳つい岩山の景色が流れていく。
キハヤと並んで外を眺めつつ、アサヒはタエルが斯く斯くしかじかと語る『北の大陸』の脅威に相槌を打っている。
「ふぅん。いよいよどっちも準備が整ってきたんだね。ふぅん、ふぅん。これはいよいよだねー」
「いよいよって?」
「“人類”と魔者の争いが始まるのさ」
問うたキハヤを見上げる小柄な仙少女は、微笑みと言うにもつかみどころの無い飄々とした表情。
腕組みをして向かいの壁に背中を預けたタメエモンは、彼女の様子にそこはかとない高揚を感じた。
「何やら楽しそうだのう、アサヒ殿。見かけによらず荒事好みか」
「いやいや、憂鬱だよ。仕事が増えるもの」
「アサヒ師の仕事とは?」
タエルの質問に答える代わり、大羅仙アサヒはチャイナ服の脇に開いた袖ぐりに手を入れた。
「だからさ、こういうこと!」
四枚の符がラズギフト・ハーフの窓から投げ放たれる。
宙舞う紙の札は螺旋状の軌道を描き、進行方向の岩壁を穿ち削った。
すると、これまで通り過ぎてきたと同じ“何の変哲も無い岩”が突如隆起。
山そのものがヒリ出したかのような、全身岩石・ヒトガタの魔者となった。
輝機神に匹敵する巨体の全高、20メートル超。
脚と同等の太さ長さの両腕は、見るからに怪力持ちであることを窺わせた。
ルアが車輌に急制動をかける。男達も立ち上がり、臨戦の眼差しで岩石巨人を見上げ。
「これは――“ゴーレム”ですか!?」
「このクルマはかっこよくてステキだけど、目立ちすぎるね!山の“門番”ども、いきり立ってる!」
「なるほど! こいつが居るから、誰もバイフの奥へ行けなかったのか」
ラズギフト・ハーフの天井が開放される。
上空に浮かび上がった閻環征門の光輪を確認して、キハヤはいち早く車外へ躍り出た。
「……キハヤトゥーマ、行く!」
「ちょっと待って」
勇み足ハーフオーガの背を、アサヒが飄々とした声色で呼び止める。
「キミ一人じゃ大変だよー」
「大丈夫。オレは強い」
「キハヤ、人の話はきちんと聞こうね? ボクはさっき、門番“ども”って言ったんだよ」
アサヒが言い終えるや、隆起した地面から次々と巨大ゴーレムが出現。
四肢備え敵意孕んだ岩の巨躯が、20に及ぶ群れをなして一行の眼前に立ち塞がった。
*
前方より、岩石の大地を蹴って迫るゴーレム一体。
太い右腕を振り上げた岩巨人。狙うは対峙した黒い巨鬼・キハヤトゥーマだ。
「遅ェんだよ!」
輝機神キハヤトゥーマと一体化したハーフオーガは、荒々しく罵ってゴーレムの膝関節へローキック。
一発、二発、三発、同じ場所へ連続して叩き込み、岩で出来た膝を粉砕!
体勢崩したゴーレムが転倒するよりも早く、黒鬼の踵が脳天へ打ち落とされた。
左脚と頭部を砕かれたゴーレムがその場に崩れ落ち。
キハヤトゥーマ、敵を粉砕した余韻も残心もなく、即座に後方へ振り返る。
振り返りと同時に身を屈め、背後から振るわれた岩腕をかわして回し蹴り!
挟み撃ちに失敗した二体目のゴーレムが、脇腹を蹴り砕かれて仰向けに倒れた。
崩れた仲間に怯むことなく、第三、第四、第五第六のゴーレムが殺到!
「まとめてブッ壊してやるぜ! 来いやオラァ!」
キハヤトゥーマの蹴りが飛ぶ、その前に、ゴーレムの群れがまとめて爆散!
短く舌打ちしたキハヤが十の眼球を向けた先には、ラズギフトが両腕の光子砲を構えていた。
「引金の半分は私が! タメエモン、残り半分をお願いします!」
「おう、任せろ! タンニで世話になっていた時分、射撃も少々心得ている!」
<<大日天鎧よりキハヤトゥーマへ指令送信。ラズギフトの掃射を遊撃でフォローして下さい>>
脳裏に響くルアの声に、キハヤは無言で従う。
改造ハーフオーガのキハヤは、脳の一部を天資により電脳化されている。
電脳に指令を送っていた閻環征門の制御権限は、今やルアが掌握している。
女神の言葉は、今のキハヤにとって強制力を伴う言霊であった。
<<前方に敵性魔者“ゴーレム”の増援を確認。現時点の総数48――全武装のセーフティを開放します>>
雨後の筍もかくやとばかりに地表から続々生まれるゴーレム群を、タエルは一纏めに視界に収める。
搭乗者の脳裏で思考直結式トリガーが引かれ、ラズギフトは全身に具わる“火力”を解き放った!
両腕の二連装ビーム砲が光の束を放ち、光子ミサイルが次々と打ち上げられ。着弾したゴーレムの身体を削り取る。
胸部の五連光榴弾が前面を焼き払い、腰部対空光線砲はゴーレムの関節を射抜き回避を妨害。
三点バーストモードにした右肩のギガ・バスター・キャノンの光弾は、一射で数体の岩巨人をまとめて貫いていく。
押し寄せるゴーレムの群れを、ラズギフトは圧倒的な火力で捻じ伏せる。
運よく女神の炎から逃れたゴーレムも、戦場を縦横無尽に駆け回るキハヤトゥーマが残らず狩り獲った。
「やるねぇ。『オメガスライム』は焼き払って退治する。セオリー通りだ」
ラズギフトの頭部に腰を下ろしたアサヒが、呑気な声で関心する。
戦闘中の輝機神の頭上に座るなど危険極まりないのだが、もはやアサヒの行動にいちいち突っ込みを入れる者は居なかった。
「スライム?ゴーレムではないのですか、アサヒ師」
「ゴーレムってのはねえ。群体として成長したスライムが、岩をつなぎ合わせて人型に擬態しているのさ」
「一匹なら取るに足らないスライムも、寄り集まれば百人力という寸法か」
「その通り。群体の魔者は数が多いほど強くなるからね。しっかし、ずいぶん増えたもんだ」
既に相当な数のゴーレムを消し炭に変えたが、倒す端から残骸の下が隆起して、新たなゴーレムが追加されていく。
これまで倒した数と同じかそれ以上の大群ゴーレムに、タエルは思わず唸る。
「まだ出てくるのですか……!」
<<警告。星光力充填率8%。兵装の運用に必要な星光力が不足しています>>
「なに!? まだ一度しか撃っておらんじゃないか!」
<<ラズギフトの機構は火力を優先しています>>
「ヘッ、クソ燃費だな!いいぜ、ここは俺に任せろ。何百体出てこようが、蹴り倒してやる!」
キハヤが吠え、岩巨人の“軍勢”に躍り出る。
舞うように脚を振るうキハヤトゥーマの周囲で岩石の破片が飛び散るが、手数の限界から徐々に四方八方をゴーレムに囲まれていく。
袋叩きは時間の問題だ。
「これだけの数、さすがにキハヤトゥーマだけでは相手をしきれませんよ」
「……そうだ、ルア様よ。いつぞやオストリッチで使った“赫力来電”をラズギフトにも使えんか?」
<<――可能ですが、推奨しません>>
「どうしてだ」
<<本作戦の最終目標は“北の大陸”における首魁敵性魔者の撃破です。各機関への負担を考慮して、赫力来電は温存――キハヤトゥーマを軸にした一転突破で、ゴーレム群を振り切ることを提案します>>
「ここは逃げを打って、親玉を目指せということか。それも一理ある、が」
女神ルアは、脳裏に直接響く平板な声調で戦術的撤退を告げる。
彼女の念話に対し、異を唱える意思を送信したのはタエルであった。
「それはできませんよ、ルア様。このゴーレム達を捨て置くのは“いけない”」
<<――何故ですか? タエル>>
「ゴーレムの正体は数を増したスライムだと言われた時、気付いたのです。この辺り、遍在する精霊力が極端に“薄い”のです。バイフは過酷な環境ですが、それでも精霊力は満ちている。それが薄まっている理由は、おそらく――」
「異様に数を増やしたスライムが、精霊力を食い荒らした、か」
「ええ。このままスライムが増え続ければ、やがて山の精霊力は枯れ果てるでしょう。そうしたら、待っているのは諸共の滅びです。人も獣も、草木も魔者も死に絶える。この世は、生と死が両立していて在るがままなのです。私は、この地を死で塗り潰させたくない」
その時、中枢機関に格納されたタメエモンとルアは、思念接続を通じてタエルの思いを垣間見た。
彼がいま思うのは、生まれ育った故郷、共に生きた人びと、そして、これから共に生きていく人――全き“生”への愛である。
タエルの愛は、燃え盛る。それはまさに、覚悟と同義の烈しさをもって。
「お願いします、ルア様。ラズギフトにいま一度、星光力の加護を! 此処も彼方も、戦うべき場所には変わりないのです――!」
「そうそう。その通りだよ、タエル」
不意に、アサヒの声が聴こえてくる。異様によく通る少女の声は、遠いどこかから響いている。
アサヒはいつの間にかラズギフトの頭頂部から消え、背の高い尖り岩の先に立っていた。
「こういうのが暴れまわる足元で、無関係の衆生が踏み潰されないようにしなくちゃね」
言って、大羅仙アサヒは両手で印契を結んだ。天穿つ剣を模した印の指先に、精霊力の光が灯る。
続いて唱る呪に、連なる山々が鳴動――否、吼え始めた!
轟音伴う地響きは、山にひしめくゴーレムすらよろめかす。
大地から伝播した震動が、大気にも伝わり空まで達し。
アサヒの声明が天地を穿ち、バイフ大霊山脈の“中心”へと至る隧道を繋げる!
*
「ディエン・レイ・フイティ!」
人間がバイフを抜けられぬように、魔者もこの山脈より先へは進めない。何故か?
「ライラ・レイ・ウォーダティ!」
何故なら、“あいつ”がいるからだ。
「クォライ・バイフー・レイワン!」
大羅仙の呼び声が、霊峰に響き渡る。
山の叫びが極まるや、アサヒの立つ岩柱が弾け、遂に“あいつ”が姿を表した。
それは山の守護者!
それは、大摂理の番人!
それは――虎面人躯の輝機神!
「超凌跋虎『ビャクライ』見参ッッッ!!」




