その2 異世界転生勇者
少女が歩くと、サファイアブルーの長い髪がふわりと空気をはらんで美しくなびく。
控え目な稜線を描く細身の矮躯を包む純白のワンピース。さりげなく金糸の刺繍が施してあり、生地と同じく白く透き通った肌の美しさを際立たせる。
王マンコに促されタエルの前に立った少女が、耳の部分から上方へ向かって伸びる機械角にかかった髪をそっと後ろへかき上げ。
未だ涙を流したまま固まっている筋肉男に微笑みかけた。
「あ――――眼を、お開きに――――」
タエルが日頃祈りを捧げる自作の女神像では閉じたままの両眼が、じっと見つめてくる。
長く繊細な睫の間、泉の水面のごとく澄んだ瞳の黒さにタエルは心まで吸い込まれそうであった。
「――<<相対人格定義>>を宣言――Hello world,私は『女神ルア』です」
「……たまげたな、こいつは。タエルの妄想が人間になったってのか?」
「人間を忠実に模した『人型行動端末』である。過日、モア王国を訪れた折わが目に留まりし“女神像”に興が乗ってな。戯れ半分に造らせたものがよもや実用に立とうとは」
マンコの言っている意味が八割がた理解できぬゲバとタメエモンが硬直する。なお、タエルは未だ茫然自失の体である。
「要するに、ヒトの似姿を造ったの。ちなみに人格データはあなた達の“移動神殿”から抽出させてもらったから、正真正銘、その子はタエル君の言う『女神ルア』よ」
「……ん?どうでもいいけどよォ、アンタら移動神殿に無断で触ったのか?たしかアレにゃあ」
「“電磁障壁”のこと? そんなの、『大日天鎧』が友軍相手に展開するわけないでしょ」
柔らかな微笑みを讃えたまま立っているルアに眼鏡越しの視線を向け、ミネルは軽く溜息をつく。
「まさか大日天鎧を持っているなんてね。普段なら先にお伺いを立てるところだって、分かってたわ。だけど、大日天鎧よ。大日天鎧なら仕方ないじゃない?」
一見して涼やかな才女の眼に興奮の色が見える。本来なら今すぐ紙とペンを握りたいであろう彼女の指がビシと立てられ、尋ねられる前に説明が始まった。
「君たちが移動神殿と呼んでいるあの天資は、殖種帰化船団の旗輝機神『大日天鎧』。現地の環境と搭乗者に適応して千変万化する、最強クラスの万能輝機神なの」
つと息継ぎをする間に、ミネルは目の前の大男達がまたしても呆気にとられている様を認めた。認めたが、知的眼鏡美人の解説欲求が言葉を紡ぐことを止めさせない。
「大日天鎧は帰化対象の惑星に投下されると、原住民の中から敵対者と戦う意志が強い者を探し出し、力を与える。輝機神形態をとった大日天鎧を操るとき、頭の中に声が聴こえるでしょう? あれが総合制御用の『感念式演算制御器』の機能よ」
「……どういうこった」
「大日天鎧はあなた達の戦う心を読み取って天資を動かす、ということよ」
(最初からそう言えよ……)
胸中で呟き、ゲバも改めて目の前の『女神ルア』を見る。
――少女の姿をした天資が、心を読んでくる――事も無げに提示された事実に、亜人の勇者は言いようのない嫌悪感、忌避感をおぼえた。
だが、どうやら嫌悪しているのはこの場では自分だけらしい。依然“かえって来ない”タエルは言わずもがな、タメエモンはあろうことか無邪気な驚きに眼を輝かせている。
「殖種帰化船団はこんなことも容易くやってのけるのか!」
「感念制御は知りうる限り最もタイム・ラグの少ない機構だが、やはり実際の言葉を交わせた方が“現地人”には御しやすかろう。余のはからいである。しかしな、さすがに超AIをいちから、となれば亜空間航行すら可能とする殖種帰化船団の科学力とて一ヶ月はかかろう」
「そう、そこよ。つまり、それだけタエル君の“筋が良かった”ってこと」
「!? わ、私、ですか?」
ミネルに名を呼ばれ、ようやく我に返ったタエルが口元の涎を拭いながら女帝と女博士に向き直る。
「情緒型AIの構築、ほとんど微調整で済んだもの。既に膨大な行動反射パターンと擬似エピソード・データベースが出来上がってたからね」
「ど、どういう――?」
「大日天鎧の感念履歴を遡ったの。ほら、君は毎日『女神ルア』に向かって念話を送信していたでしょ。ほぼ全て、タエル君と女神ルアがイチャイチャしてる内容だったけど、部分的にストーリー仕立てになっていて見ごたえがあったわ」
この時タエルが味わった感覚は、コツコツ悶々と書き上げた引き出し内の自作恋愛小説を「読んだよ」と声をかけられた時に似ている。
しかもその読了者は、自身が同志として想定していなかった会社の同僚とか、あるいは母親といった所であった。
先ほどまでとは別ベクトルの衝撃がタエルを襲う。周囲の景色と足元がぐにゃりと歪むような気恥ずかしさに、筋肉僧侶は逞しい膝を大理石の床に屈した。
「……ああ。毎晩、這いつくばってブツブツ言ってるアレか」
「まさにコケの一念だのう」
「ハハハ、こやつめ中々の変態である!」
「負けていられないわね、姉さん」
期せずして性癖歴史が暴かれ、タエルは泡を吹いて卒倒しそうになる。
そこへ、いつもは頭に直接響く少女の声が耳朶を介して染み込んできた。
「タエル。私は理解しています。あなたが、ただのコンピュータだった私に『女神ルア』という人格を与えてくれた――そう、これが“感謝”という気持ちなのですね。――ありがとうございます、タエル」
毎日脳内で聴いているあの声が、脳裏に思い浮かべるあの微笑みが、妄想の中の女神とそっくりそのまま同じように、自らの名を呼ぶ。
正負の混濁した衝撃に揺さぶられ続けた生真面目な変態の精神は、ここに平衡を失し。
「う、うおおおおおおおおおお!ルア様ァァァァァ!それでけでこの不肖凡愚、いかなる恥辱も救いと転じました!やはり、ルア様は慈愛満々(おやさしい)! 美しく可憐なルア様にこうして直接お声をかけて頂く日が来ようなどは夢にも……いえ、毎夜悶々と念じておりますれば! この通り地に五体を投げ、額をこすりつけて! ルア様ッ! ルア様ッッ! ルア様ーーーッ!!!」
鼻水と涙を撒き散らして少女の足元にひれふす筋肉スキンヘッド。これには一同ドン引きである。
「――新たな情緒テンプレートを構築」
「ルア、それがいわゆる“気持ち悪い”という感情よ」
「登録完了。タエル、気持ち悪いです」
「ああッ! さっそく私めにお詰りを賜うたのですね!? ああッ、ああっ、女神ルアさまっ! ありがとうございます、ありがとうございますゥゥゥゥ!」
もはや、誰にもかける言葉は見つからなかった。
五体投地の体勢で身をよじるタエルは後に述懐する――あの時は実際、勃起していた、と――
*
タエルが落ち着いてから、一同はガルダ最大とも謳われるペラギクス帝国の兵器工廠へと案内された。
ペラギクス特有の石材を用いた直線的な灰色建築物の表面に、まっすぐ伸びては折れ曲がる金属の管がびっしりとまとわりついている。
その内部にもむき出しの配管が天井に走り、金属製の柱に仕切られた区画で人びとがせわしなく行き交う。
所々から金属同士がぶつかる音や得体の知れない脈動音が響き渡る、灰鉄色の空間。
この場所を今日の現代地球に生活する我々が目にすれば、まさしく『工場』と表現するであろう。
「あ、“私”――」
ルアが指さす先は、ずらりと並んだ整備ハンガーの一角だ。スペースの中心に在るのは移動神殿『大日天鎧』である。
神殿を覆うように組まれた足場には、数名の技術者が見たこともない器具を用いて何らかの作業を行っている。
「“私”の“メンテナンス”をしてくれているのですね。感謝、ありがとうございます、ミネル博士」
少女の姿をしたルアは端末で、彼女の本体はやはり巨大な大日天鎧である。
“本体”の置かれている状況は、端末である女神ルアにリアルタイムで共有されていた。
「制御ユニットを増設するからついでに、ね。これまでは“不完全な部品”がセットされていたから性能が引き出せなかったでしょ? ケタ違いのパフォーマンスが出るから、期待してて」
「今までの状態は、本調子ではなかったというのか!?」
タメエモンが驚きの声を上げる。ゲバもタエルも然りだ。
男達は、今まで彼ら自身が駆り戦果をあげてきた『スクナライデン』『ゲバルゥード』『ラズギフト』の姿を、力を思い浮かべる。
いずれも凄まじい力を持った輝機神であった。だが、その力は氷山の一角に過ぎぬと言う。
立て続けに示される殖種帰化船団の実態は、掴もうにも途方がない。
「ゲバ君、はいコレ。あなたのモノだったそうじゃない?」
あくまでマイペースなミネルから何やら手渡されるままに受け取ってから、ゲバは自分の手に持たされたモノを確認した。
「……ようやく“取れた”のか」
掌の上で青く輝くのは、宝玉。オーク勇者時代のゲバが肌身離さず身に着けていた“御守り”の珠であった。
初めてゲバルゥードに乗り込んだ日、大日天鎧の窪みに嵌まって取れなくなったソレは、しばしば思い立っては惜しんでいたものだ。
「ちなみにこれ、天資の記録媒体よ。大方、お守りの宝石にでもしてたのでしょう? 穴が開けられているから本来の部品としての価値は低いわ」
「……ンなこと、俺にゃ関係ないね」
「でしょうね」
ぶっきらぼうに言いながら、ゲバはミネルに会釈して宝玉を頂き、長らく隙間を空けていた首飾りの隙間に珠を通した。
「それにしても、帝国の兵器工廠は噂以上ですね。こんなに大規模な施設で武器だけを作っているとは」
感服を口にするタエルは、内心では首をかしげている。
ここクァズーレに於いて、一般的に兵器と呼ばれるものは精霊術使いの用いる照準杖などの携行品か弩砲、破城槌、軍船である。
そもそも大規模な生産ラインを敷いて絶えず物品を供給する仕組みが希薄なため、際限なく同じものを生み出し続ける施設の存在はとりわけ異質なものと映るのだ。
「そう、武器“だけ”を作っているのだ」
自ら先頭に立ち工廠を案内していたマンコが、タエルの言葉に口端を吊り上げた。意を得たりという不敵な笑みだ。
「愛妹より聞かせし言、いま一度告げる。諸君らは、この世の真実の一旦を知った。ゆえに、顛末に関わることができる」
面に“関係者以外立ち入り禁止”と注意書きされた厳重な鉄製扉を開く。
先に通った格納庫群にして、およそ一枠分の部屋であった。そこに“立つモノ”をマンコは見上げ。
「見よ!」
頭と腕のない巨人が立っていた。巨体を囲う足場には、幾人もの人間が全身各部位で作業を続けている。
彼ら技術者が手にする道具は、大日天鎧のメンテナンス作業に使われていた道具と同じものだ。
「まさか、これは――輝機神を作っていると言うのですか!?」
「これが私たちの言う“武器”よ。人員も素材も現地調達、機械部分の“潤滑剤”すら一から開発しなくてはならないから、骨が折れるけど」
「……あのローションはこいつの為のものだったのか」
「む? あすこに積んであるのはドラゴンの鱗か」
「ええ。精製すれば動力源に利用できるわ。他にも魔者由来の素材を使ってる。敵を利用しているワケね。向こうも同じコトを考えているみたいだけど」
直方体で構成された質実剛健なボディラインは、装甲と骨格を兼ねたモノコック構造。
建造途中の肩口を見れば、金属配管にシリンダーといった工業的構造物と、魔者の骨や皮膚を加工したと思しき部材が交じり合っている。
――人智を超えた能力。人智を超えた機械。具現化した超越者。
かつてそう呼び称えられた存在は、今や人の手により“製造”されようとしていた。
「……こんな“もの”を作ってどうするおつもりですか?」
信じたくない現実を目の当たりにし、タエルは掘りの深い眼窩に陰を落として女帝に問う。
信仰者に対する回答は、現実主義者が担った。
「……タエル、いま“敵”っつってたろ。いい加減、緩んだ頭のネジ締めなおせ」
「左様である。輝機神を開発しているのは無論、敵を制する為だ。敵とはすなわち、魔者である!」
どこからか取り出したバスケットボール大の惑星儀を片手に、女帝マンコがアイシャドーにけぶる瞳を鋭く細めた。
「この惑星に目をつけたのは殖種帰化船団だけではなかった。魔者と呼ぶ者達が一足先に手をつけていたのだ」
「これが『四宝界クァズーレ』よ。南のガルダ大陸、東にアオイタツ列島、西にバイフ大霊山脈。そして」
順に惑星儀の各部を示すミネル。最後に示したのは、北半球に位置する“名も無き大陸”。
「この『北の未開大陸』こそ、忌まわしき因縁の根元、我らが目指す先である」
誰かがゴクリと喉を鳴らした。
変わらず金属が打ち合う音や天資機械の動作音が響く中、タメエモンが口を開いた。
「そこには“何”がある」
「――もっとも強力な魔者だ。北の大陸は魔者どもが最初に降り立った大地。そこに設けた亜空門を起点にして、奴らはこの惑星の生物や環境を侵食しながら歪な進化を続けている」
「殖種帰化船団の方針が“共存”だとすれば、魔者のそれは“侵略”よ。魔者に秩序ある融和は期待できない。歯止めがなければ、原生種は駆逐される。いずれ、クァズーレ全土は魔者の色に塗り替えられるわ」
「この危機に立ち向かうべきはあくまでもクァズーレに住まう者たちだ。後の世に来る友好的な共存のため、殖種帰化船団は天資と転生者という形で力を貸す」
「要するに、君達がこの世界を侵略者の魔の手から救うのだ、って事よ」
「そのような一大事が、私達に……」
「できぬ、と申すか?できぬ道理がなかろう。そこに居るのは大日天鎧だ。魔者に遅れをとることなど万に一つも無い」
「タエル、腹を決めい。ルア様の信徒なのだろう? ワシお天下の横綱を目指す以上、東西南北の強者すべてに勝つ。相手が北の大陸、最強の魔者とあっては往かねばならんわい」
「大日天鎧の最大戦力を発揮した場合、仮想敵戦力はクルールー級の魔者数十体分です。搭乗者があなた達なら、必ず勝てます」
「ルア様がそのように仰るのなら……! 不肖タエル、一命を賭して救星の任を負いましょう!」
「変わり身の早さ、天晴れである」
「単純なのは良いことね」
タメエモンとタエルが思い思いに気合を入れる中、ゲバだけは渋面を崩さぬままであった。
しばし“能天気な”男二人と目の前にそびえ立つ『造り掛けの巨人』を見比べてから、歴戦の亜人勇者は淡々と告げる。
「……盛り上がってるとこ悪ィが、俺は今度こそ抜けさせてもらうぜ」
彼の一言に、これまで共に旅してきた男二人がぴたりと表情を固める。
口下手を自認するゲバは、この時ばかりはと自らが舌禍を招くことを恐れぬことにした。
「俺達オークも魔者と人の混血種、言ってみりゃ魔者の端くれだ……いや、違うか。俺には魔者も人族も、ましてや天の上の殖種帰化船団も関係ないね。結局、余所様の“陣取り合戦”に巻き込まれてるって事だろうが。俺は、義理のない戦にゃ参加しねえ」
これまで“腐れ縁”と称し折り合いをつけてきた道中を思い起こし、それらを清算するつもりで一息に言葉を吐き出す。
長年かけて染み渡った“孤独な自分”に揺さぶりをかけてくる者達、変えられそうになる自分、どちらも恐ろしく感じた彼が選んだ道は“戦略的撤退”であった。
“仲間たち”が彼を見る目は一様でなかったが、ひときわ純粋な困惑の視線を向ける少女がまっすぐに問うてきた。
「ゲバ、本当にそう思っていますか?あなたの情緒波形からは――」
「……黙れ。断り無く人の頭ン中覗くんじゃねェよ」
ルアの問いを一蹴すると、ゲバは踵を返し。
段々と離れ、小さくなっていく戦友の背中を、タメエモンとタエルは無言で見送るのみであった。




