その4 怪異!キノコ男
「どっせぇい!」
本日12頭目の猪に見事な下手投げが決まった。
景気良くスッ飛んでいく森のどうぶつを見送り、タメエモンは一息吐き出し腹帯をばん、と叩く。
「ファナ。魔者の穴というのは、あとどれくらいで到着するのですか?」
「えっと、あの栗の木を過ぎたから……もうちょっとです。30分くらいかな」
「ちぃとばかし急ぐぞ。時間をかければかけるほど無益な争いを生みそうだ」
怪力野郎三人は花の精霊術使いにエルフを伴い、タンニ国領とゴムワ国領との境にある『レジスタの森』を進んでいた。
土地勘の有るファナ曰く、森の中ほどに魔者の巣窟と噂される危険な洞穴があるという。
ゴムワの外道な事業を支える魔者『マタンドラゴラ』を栽培するには格好の場所であろう。
実際、目的地へ近付けば近付くほど、かの場所に何らかの異常なり秘密があると確信できてくる。
「……この調子じゃ、何もない方がかえって不思議だぜ」
ゲバの言葉は一行全員の思いを代弁するものだ。
――何故なら。進むごとに遭遇する獣の類が、明らかに凶暴化しているのだから。
「マタンドラゴラのせいだって考えれば説明つきます。やっぱり、この先にたくさんあるんだ……」
声を落とすファナ。
その時、タエルは自信のスキンヘッドにわずかな圧力を感じた。
肩車の格好から離れようとしない幼女エルフ・プララが、タエルの坊主頭をヒシと抱きしめている。
「プララ、大丈夫だよ。ごめんね、怖がらせちゃって」
「あの、いい加減降りてくれませんかね」
「てめえタエル!エルフを肩車する大役を降りるってのか?バチ当たりが!」
「じゃあ貴方が代わって下さいよ、ゲバ」
エルフ信奉者であるゲバは、タエルの申し出に「いいの!?」と言わんばかりの喜色を隠さない。
だが、当のプララはゲバを見るやプイと顔を背け、再びタエルの頭皮を小さな掌でつかまえた。
ショックでうなだれるゲバの目の前に、凶暴化した熊蜥蜴が飛び出してくる。
ゲバはうなだれたまま手斧をフルスイングして、通常より強化された魔者を両断した。
*
件の洞穴は、魔者の穴は、入り口からして異様な雰囲気に満ち満ちていた。
それは瘴気か。それとも、狂気か。
牽引してきた移動神殿を入り口近くに留め、カンテラや安全帯、ザイルといった探索用の装備を持ち出す。
タメエモンとゲバが前衛に立ち、後ろは光子砲とプララを担いだタエルにファナが続く。
「タメエモン、たぶんあの辺の岩陰に何匹か居る。上にも気ィつけろ」
言って、ゲバは指し示した方向に灯りを投げる。
予告通り、洞穴の天井から中型犬ほどのコウモリが牙を剥いてきた。更に足元からは3匹の大蛇だ。
ゲバが巨大手斧を投擲。柄にザイルを括りつけられた斧はゲバを中心に半円弧を描きコウモリの群れを横薙ぎにした。
地上から迫った大蛇は、タメエモンが手にした木の棒で一匹ずつ頭を突き潰す。
「……律儀に持ってきてたのかよ、その棒」
モア王国の王より賜った何の変哲も無い木の棒が思わぬ実用に立っていた。
「まだ27本残っているぞ。あとで持っていくといい」
「……いらねェ」
危険地帯に足を踏み込んでいるというのに軽口を叩くのは、過度の緊張による消耗を防ぐためだ。
このように着々と洞窟を進むにつれ、空間が開けていく。
「見てください。この破片、新しいです。ツルハシか何かを使った跡ですね」
岩石の壁や足元を注意深く観察していたタエルが、気付きを確信とする。
苔も生さぬ岩肌は、この空間に人の手が入っていることを意味していた。
「間違いないようだのお。ほれ、あすこに木箱が転がっている」
「あれ……“菌床箱”です。育てたキノコをそのまま運べるように、よく使うの」
要するに、魔者の穴には揺るぎない物証が至るところに転がっていた。
整備拡張された洞窟空間、菌床栽培用の木箱。
――そして、魔者か獣の牙にやられたのであろう、二人の騎士の亡骸。襟元のバッジはもちろんゴムワ国の紋章である。
「……自業自得だな。おおかた収穫作業でヘマやって、凶暴になった狼にでもやられたんだろ」
はき捨てて別の場所の探索を始めるゲバ。
その後ろでは、生まれて初めて無惨な人間の死体を目の当たりにした少女が怯えた様子で息を呑んでいた。
「大丈夫ですか、ファナ」
「う……は、はい。大丈夫、です!」
瞳の奥から込み上げる涙を押しとどめた少女は気丈にも騎士の亡骸を注視する。
頬から喉にかけて深々と抉られた遺骸の眼窩から、皺だらけの椎茸に似た子実体が生えてきていることに気がついた。
表面を緑色の粘液で覆った“それ”を知識と照らし合わせ、ファナは緊迫した声を絞り出す。
「間違いなく、マタンドラゴラ……!」
「こいつがそうなのか」
「生き物の死体に生えるとは、なんという……!」
女神ルアを狂信しているとはいえ、僧侶としての道徳心を持つタエルが嫌悪感に顔を歪ませる。
スキンヘッドにしがみ付くプララの小さな手にも力がこもっている。
亡骸に手を合わせ供養の呪を唱えようとするタエルだが、彼の祈りは遮られた。
「なんじゃこりゃあ!?」
タメエモンが驚きの声を上げる。手にした灯りが照らすのは、いつの間にか一行を取り囲んでいた獣や魔者の群れだ。
「生き物の気配は無かったぞ!?」
訝るゲバが手近な狼に注視。やはり、獣らに生気なし。
ぐずぐずの毛皮は一部が腐って落ち、眼窩からは目玉が零れ落ちている。
後ろに控えた四足獣型の魔者も、更にはボロ布を身につけた“人間”も、一様に生気なく。
それら全て、身体の至る所から件の魔者キノコ『マタンドラゴラ』が生えていた。
「死者を養分とするだけでなく、操っているというのか……このような冒涜!」
我慢ならず、腰だめに構えた天資武器・光子砲のトリガーを引く。
放たれた光弾は正面で炸裂し洞窟を明るく照らす。『死者の群れ』の動作は緩慢で、拡がる光から逃れられず荼毘にふされた。
「せめてもの慈悲です。ルア様の美光に抱かれて、逝きなさい――」
タエルは砲を持たぬ片掌を顔の前に構え、略式の弔いで死者を送る。
「タエル、下がれぃ!まだ“一匹”、残っておるぞォ!」
前衛役の二人が役割通り前へ出る。視線の先には、カンテラの薄明かりに照らされたおぞましい人型魔者である。
「……なんだよコイツは。全身がマタンドラゴラだってのか?」
眉間にしわ寄せるゲバが、眼前の異類に最大級の警戒を向ける。
生者を狂わせ、死者を立ち上がらせるマタンドラゴラが群生し、四肢具えた怪人型をなしたのだ。
キノコ怪人の足元には、菌床の木箱が十数にも積み重ねられている。
此れは単なる魔性の異類にあらず。人為の業が暴走した成れの果てであった。
怪人マタンドラゴラが粘液にまみれた身体を振るわせるのを見るや、花のエルフ・プララが慌ててタエルの頭上から飛び降りる。
「だめぇ!」
初めて耳にするエルフの声は見た目相応に幼子のもの。
だが、彼女は紛れもなく精霊力の顕現体たる妖精である。
エルフゆえに。正面に突き出した小さな両手は堅牢な“光の壁”を形成し、マタンドラゴラが全身より噴出した胞子からタエルとファナを守る事ができたのだ。
「うおおおおお!!」
視界を遮るほどの胞子を突っ切って、ゲバは怪人に大斧一撃。キノコ魔者を真っ向から切り伏せる。
「おいゲバァ!まだ奥にたくさん居るぞォ!!」
「おうよ!全部やっちまうぞァァァァ!!」
野太い巨漢の絶叫が、洞窟に反響する。
前衛でマタンドラゴラの胞子を思い切り吸い込んだ二人は、完全に狂奔作用の影響下におかれてしまったのだ。
タエルが制止の声をかけるより早く、二人は洞窟の更に奥へと突き進んでいった。
洞窟の奥は闇に包まれてうかがい知れないが、獣と男二人の咆哮が響いてくるので“何が居て、何をやっているか”は容易に想像ができた。
「ど、どうしましょう、タエルさん!?」
「まあ、あの二人は放っておいても大丈夫でしょう。それより」
「ふぁな!たえる!だめ、だめぇ!」
「――ここはエルフの“警告”に従うのが賢明でしょう」
プララは大きな瞳から涙をこぼしながら、二人の服の裾を引っ張って懸命に何かを訴える。
彼女が動揺する原因が、切り裂かれてもなお蠕動を続ける魔者マタンドラゴラの体片にあることは明らかだ。
タエルは、少女二人を伴って洞窟からの退却を決断した。
*
魔者の穴から脱出したタエル達が目にしたのは、業の果ての更なる果て。
洞窟の中で死んだ者たちは、土に還ることを許されない。
地の底まで張り巡らされたマタンドラゴラの菌根は、おびただしい数の亡骸を“蓄え”にしている。
そしていま、蓄えた死の数は“充分な量”に達した。
森の大地が次々と隆起して、囚われの死者が眠りから叩き起こされる。
輪廻に還れぬ亡骸は、一所に、一つのモノにより合わせられ。
寄生魔者・マタンドラゴラが持つ狂気の本能が増殖し、無数の死体を繋ぎ合わせる!
洞窟の直上、小高い丘の上。異類の魔性と人の業とが生み出せし、四本足の屍人馬が姿を現した。
「こんなこと、こんなことって……」
おぞましさをそのまま形にした巨大屍魔者を見上げ、ファナが唇を震わせる。
魔者は無数の死体を強引に押し固めるようにして形作られており、体表には無惨な死が幾重にも折り重なっていた。
正気を持つ者が見るべき存在ではないのだ。
「ええ、そうです。あんな存在、あってはならない」
善き生と共に、善き死あるべしと幼い頃から聞かされてきたタエルには、そびえ立つ冒涜的な存在を許すことなどできない。
拳を握り締め空を仰いだ彼は、次に足元へと視線を移し。
「そう思うでしょう、“あなた”も」
呼びかけられたエルフは、目尻に残る涙を振り切って力強く頷いた。
「ファナ、プララ。あなた達の力を借りたい」
「私たちの力?」
「ええ。“遠見の精霊術”は使えますよね」
「使えます、けど。何をするんですか、タエルさん」
「この移動神殿に――女神ルア様に、力の源である光を捧げるのです」
遠見の精霊術とは、術者の目の前にレンズの役割を果たす障壁を作り出すものである。
ファナが指示されたのは移動神殿の真上に巨大なレンズを作り出すことだ。
「プララ、あなたはファナに術を維持する精霊力を与えてください」
「タエルさんはどうするの?」
「私は、ルア様に祈り、お美力を賜ります――“今度こそ”!!!」
*
巨大屍魔者マタンドラゴラは、顕現を終えるとゆっくり歩き出した。
森を抜ければ間もなく人里。しかもマタンドラゴラが進む先にあるのはタンニの街である。
「ファナ、プララ、急ぎましょう!」
タエルに呼びかけられ、ファナが移動神殿の上方に意識を集中。空間が歪み、神殿の上に巨大な凸レンズが形成された。
集められた陽光が神殿の白磁の壁に吸い込まれる。昼間ながら外壁全体がほの明るく輝き始めたのを見届け、タエルは神殿の中へ。
「ルア様、どうか力をお貸し下さい!あの哀れな死者たちを、慈しみの光で送り届ける光の力を!!」
<<戦闘中枢体からのアクセスを検出、接続開始>>
祈りの応えがタエルの脳裏に響く。彼が焦がれ求める女神の声だ。
神殿中央・色違いの床が突如せり上がり、棺を縦にしたようなクロムメタル色の『中枢機関』が現れた。
開け放たれた箱から伸びる機械触手がタエルの全身に絡みつく。筋肉僧侶は陶然とした表情で触手を受け入れる。
<<接続完了――中枢機関、起動>>
暗闇の中、ルアの声だけが響き渡る。
全身をぶよぶよとした緩衝装置に包まれて、タエルは顔も知らぬ母の胎内へ還った心地がしていた。
<<星光力充填150%を突破――機神構築開始>>
信仰が。憧憬が。恋慕が。欲望が。浪漫が。
――――その男の全業は、これより一つの輝機神と成るのだ!




