その2 エルフ
街外れの林を少し行くと、一面に拡がる色とりどりの花が彼らの視界を埋め尽くした。
そよぐ風にはこばれて、色ともどもに豊かな芳香が鼻腔を通り抜けていく。
「これは――なんと、美しい」
僧侶タエルもこの時ばかりは、持って回った思惟考察をやめて素直な感嘆を口にした。
隣の力士も溜息を漏らしている。
二人の様子を見て、ファナは満足気に笑顔を咲かせた。
「ここ、曾御祖父さんが作ったんです。花同士が助け合って、いつまでも自分たちで咲き続けてるんですよ」
ファナの家は代々続く薬屋であり、材料となる草木の類には並みならぬ知識の蓄積があるらしい。
花同士が及ぼす相互作用により完璧な生態系を作り出したというこの空間は、奇跡の美しさを咲き誇らせている。
「私、この花畑が大好きで。小さい頃は毎日ここで遊んでて、今もよく元気をもらいに来るんです」
目を細めて風に揺れる花を眺めるファナもまた、この花畑に咲くうちの一輪。
三人はしばらく無心に風景を眺めていたが、不意に花畑の一角が不自然に揺れ動いた。
「誰か居るのか?」
「――あ、プララ!」
ファナの声を聞いたからであろう、花畑の一角に身を隠していた一人の少女がひょっこりと顔を出した。
年の頃は10にも満たぬであろう少女、幼女だ。
腰まで伸ばした金髪に透き通るような白い肌で、くりくりと大きな碧眼が美しく可憐。
小さな体を包む丈の短いワンピースは植物の葉のような鮮やかな緑色で、布ではない何かで出来ているようにも見える。
まるで作り物の人形のような美幼女だが、何より目を引くのは彼女の“耳”――横向きに長く伸びた耳介であった。
「ファナ、この子は知り合いか」
「はい。最近、ここでよく会うんです。お花が好きみたいで、仲良しなの。ね、プララ」
プララと呼ばれた幼女がこくりと頷く。
駆け寄ったファナに挨拶代わりと抱きしめられ、豊かな胸に笑顔で頬を埋める愛らしい姿にタメエモンは小さな目を細める。
一方タエルはといえば、プララのまとう気配――精霊力の異様さを感じ取り注意深く彼女を観察し始めた。
そして、精霊術の専門家たる僧侶タエルはほどなくして気付いたのである。
「――――エルフだ」
一言口にしてから、ゴクリと喉を鳴らすタエル。
自分の出した結論が信じられなかったが、目の前に在る事実は受け入れざるを得なかった。
プララが身にまとう精霊力は人間では考えられないほどの密度と輝きを具えている。
それすなわち、この幼女は小さな肉体そのものを精霊力で“為している”ということであった。
「ファナ、その子……プララですか。プララは間違いなく『エルフ』ですよね?」
おそるおそる確認するタエルに対し、ファナはきょとんとして抱きしめたままのプララを見る。
「エルフ?プララ、エルフだったの?」
幼女プララは、ファナの胸からぷはっと顔を離してから、小さくこくりとうなずいた。
「あっさり肯定した……エルフ……実在、したんですね」
「えるふと言うと、いつぞやゲバが言っておったアレか」
「ええ。自然界の精霊力がより集まって人の姿を為した存在。精霊力そのもの。妖精とも呼ばれます」
修行していた山でも時としてまことしやかに存在が噂されていたが、タエルは「人間の煩悩が作り出した幻想に過ぎぬ」と思っていたのだ。
だがプララの姿形は噂で語られていた特長とほぼ合致し、何より精霊力の塊であるという点において彼女の存在を一言で表現するには『エルフ』という言葉が最も適切に思えてしまった。
「よく分からないけど、凄かったんだねプララ」
未だきょとんとしているファナに、プララが得意気に胸を張る。自身のことをどれほど自覚しているかは怪しい。
「精霊力の塊というからとんでもないものを想像していたが、かわいらしいじゃないか」
タメエモンも相変わらず小さな目をいっそう細めて微笑んでいる。
どうやらこの場に居る者たちはタエルを除いて“無頓着”な性質であるらしく、エルフという言葉を出してもなお特段身構える様子が見られなかった。
頭を抱えたくなってきたタエルとどこ吹く風のタメエモン。
ここでようやく、エルフ幼女プララは二人の大男を指差して首をかしげた。
視線はファナに向いている。「この人達だれ?」と物語る視線である。
「あ、この人達はね、私のお手伝いをしてくれてるのよ」
「おう。ワシはタメエモン。よろしくな、プララ」
プララは少しの間じっとタメエモンとタエルを見つめてから、ファナの服の裾を引っ張って自分の方を向かせる。
小さな手でつくった握り拳を胸の前に持ってきて張り切った表情をつくるエルフ幼女の意図は、言葉無しでファナに伝わった。
「え?プララも手伝ってくれるの?」
こくこくとうなずくプララは再びタエルの方へ向き直ると、ファナに負けず劣らず可憐な花のような笑みを咲かせた。
そしてまじまじとタエルとタメエモンを見比べてから、笑顔でタエルの方へ駆け寄る。
「プララ、なんだか嬉しそう。どうしたの?」
いつも顔を合わせる幼女エルフがはしゃいだ様子なのに気付いたファナが呼びかける。
プララはタエルに駆け寄ると、彼の周囲をぐるぐる走り回った後に腰の辺りにしがみついた。
突然の行動に一同が驚く間に、プララはタエルの筋肉質な身体をよじ登ってあっという間に“登頂”した。肩車の体勢だ。
「あっ、ダメよ!そんなことしちゃ!」
ファナが咎めるのが耳に入っていないようで、プララはタエルのスキンヘッドを小さな手でペチペチと触って喜んでいる。
当のタエルは幼女エルフを頭の上で遊ばせたまま、「エルフは外精霊術使いに惹かれるのだろうか」などと分析していた。
「気に入られたな、タエル」
「そのようですね」
「他人事だのう」
「そんなことないですよ」
タメエモンの和やかなコメントは、タエルには違和感をもって耳に入ってきた。
タエルは感覚的に、プララは見た目こそ幼女であるが明らかに人間――生物とは異なる存在であると理解したからである。
飽きもせず肩車ではしゃぐ幼女エルフの小さな掌は、単なる体温とは異なる“非日常の温感”を持っていたのだ。
――それはすなわち、物質として顕現するほどに濃密な精霊力の存在感であった。




