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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第6部

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92/202

第5話『シェラタン子爵領』中編

~~補足説明~~

ハマル子爵は第5近衛騎士団団長のブラッド、

前ハマル子爵はブラッドとセシリーの父親です。

紛らわしいので、補足してみたり。


「おい、着いたぜ」

「……う、ん?」


 ティナは目を開け、しょぼつく目を擦った。

 乾いた泥がパラパラと零れ落ちる。

 意識は胡乱だ。

 何処に着いたのか理解できない。

 ふと視線を傾けると、ロバがティナを見上げていた。

 ぞんざいに扱ってしまったが、きちんと付いて来たようだ。

 ああ、リノルに着いたんですね、とティナは体を起こし、荷台から身を乗り出した。

 どれくらい眠っていたのか、街は黄昏……ある種の気怠さと寂しさを感じさせる色彩に染まっていた。

 リノルは古い街だ。

 大通りに面した建物は古く、朽ち果てる日を待つ廃墟のように見える。

 もちろん、あくまで印象……そういう風に感じただけで、実際はそこまで寂れていない。

 夕方ともなれば人気がなくなるのは当然だし、今の時間から熱心に客を呼び込もうとする店の方が珍しい。


「この先がな、広場になってるんだよ」

「……」


 いつの間にか隣に移動していたコールが大通りの先を指し示す。


「明日は広場で店を開く」

「そんな簡単に開けるのですか?」


 ティナが指摘すると、コールはニヤリと笑った。

 ちょっとだけ意地の悪そうな笑みだ。


「旅人のくせに何にも知らねーんだな。ちょっとした手続きは必要になるけど、ハマル子爵領、エラキス侯爵領、カド伯爵領では誰でも露店を開けるんだぜ」


 ティナは馬鹿にされているみたいでちょっとだけムッとしたが、反感はすぐに萎んでしまった。

 コールは誇らしげだった。

 とっておきの玩具を自慢する子どものようだ。

 すごい、すごい、と無邪気に伝えようとしている。

 ティナはコールの気持ちを理解できない。

 誰でも露店を開けるという制度が領主の都合で作られたものだと考えてしまうからだ。

 コールは違う。

 きっと、コールは領主の都合で作られた制度に自分だけの価値を見出しているのだろう。

 それが妬ましくて、ちょっと意地悪をしてやりたくなった。


「領地間を移動する時は通行税が掛かると思うんですけど?」

「今言った三つの領地は通行税がいらねーんだな、これが」

「じゃあ、三つの領地の相場を調べれば簡単にお金が稼げますね」

「同じことを考えてるヤツがいなけりゃな」


 ティナの意地悪は空振りに終わった。


「今日はゆっくり宿で休もうぜ」

「う、でも、ボクは文無しで」


 ティナは言葉に詰まった。

 馬車を泊められる宿は割高だ。


「見れば分かるっての。ま、自分でも甘いってのは分かってるんだけどよ。こっちも事情があってさ。懐具合に余裕があるし、しばらくは寝覚めの悪いマネをしないようにしたいんだよ」


 どうやら、コールは善意から助けてくれた訳ではないようだ。


「ほら、お前って放って置いたら、死にそうだろ?」


 失礼な! とティナは思ったが、口にはしなかった。

 コールが拾ってくれなければ悲惨な目に遭っていたのは間違いないからだ。


「……お世話になります」


 ティナは情けない気持ちでコールに頭を下げた。



 宿はティナが想像していたよりも立派だった。

 建物は二階建て、食堂は宿泊客専用らしく手狭だ。

 建物の中にはコールのような行商人のために荷を保管する倉庫があり、外にはしっかりとした造りの厩舎と車両を置くスペースがある。

 コールは手慣れた様子で受付を済ませると、さっさと酒場に行ってしまった。

 替えの服を渡していく所が徹底している。

 ティナは一抹の不安を覚えたが、別棟にある浴場に向かった。

 浴場は一人ずつ交代で使うタイプのようだ。

 脱衣所で服を脱ぐと、乾いた泥がバラバラと床に落ちた。

 生まれたままの姿になったティナは浴室に入り、落胆した。

 浴室は期待していたほど立派ではなかったのだ。

 湯を張った大樽があり、他に手桶と大きなタライがある。

 高い位置にある小さな窓が唯一の光源だ。

 ティナはタライに入り、手桶で汲んだ湯を頭から被った。

 泥水、いや、泥湯がティナの肌を伝い、タライに溜まっていく。

 何度もお湯を頭から被り、タライの湯を交換する。

 タライに溜まる湯が透明になると、浴室を出た。

 ティナは布で体を拭き、自分の体を見下ろした。

 肌は白く、体の線は細い。

 胸はちょっと膨らんでいるが、まるで少年のような体付きだ。

 コールに渡された服に着替え、袖と裾の余った部分を折る。

 汚れた服と下着は宿の従業員が回収したようだ。

 自分達の部屋に戻ると、コールがベッドに横たわっていた。

 宿の部屋はベッドが二つあるだけだ。


「ああ、戻ったのか?」


 コールは体を起こし、ベッドの縁に座り直した。


「そっちも早いんですね」

「ん、まあ、大した情報もなかったしな」


 どうやら、コールは酒場に情報収集に行っていたようだ。

 それならそうと教えてくれれば良いのに、とティナは空いている方のベッドに腰を下ろした。


「随分とキレイになったじゃねーか」

「ボク、男ですよ」

「俺も男色のケはねーよ」


 ティナが牽制すると、コールは不機嫌そうに言った。


「コールさんは……」

「さんはいらねー。それからタメ口で良い」


 タメ口? とティナは首を傾げた。


「タメ口ってのは俺が喋ってるみたいな言葉遣いだよ」

「分かった。コールは、その、行商人になってから長いの?」

「ああ、十年以上やってる」

「え?」


 思わず、ティナは聞き返した。


「念のために言っておくけど、俺は今年で十八だぜ」


 ん? とティナは首を傾げた。

 今年で十八歳ということは……今は十七歳ということではないだろうか。


「どうして、そんな紛らわしい言い方するの?」


 ティナが尋ねると、コールは舌打ちした。


「……若いと舐められるんだよ」


 だったら嘘を吐けば良さそうなものだが、コールなりの信念があるのかも知れない。


「で、お前は何歳なんだよ」

「十五だよ」


 ああ、とコールは頷いた。


「コールは凄いね。二つしか違わないのに立派に行商人してるんだから」

「誉めても何も出ねーぞ」


 そう言いながら、コールは満更でもなさそうだ。


「な、なぁ、俺って立派に商人してるか?」

「うん、立派だよ」


 ティナは頷くと、コールは照れ隠しするように鼻を擦った。


「ま、まあ、俺も色々と修羅場を潜り抜けてるからな。きっと、そのせいだ。盗賊とやり合ったこともあるからな」

「え! よく無事だったね?」

「いや、そこは機転を利かしたんだよ」


 コールは身振り手振りを交え、当時の様子を面白可笑しく語った。

 話は夜更けまで続いた。



 翌日、ティナは広場を見て、目を丸くした。

 露店が広場を埋め尽くしていたのだ。

 一見すると無秩序に並んでいるように見えるが、よく見れば規則性があることに気付く。

 多くの露店を収められるように試行錯誤した結果だろう。

 露店に並ぶ商品の多くは保存食だ。

 チーズは大して珍しくないが、魚の干物や塩漬けは珍しい。

 ハマル子爵領とシェラタン子爵領はそれほど海から離れていないが、前エラキス侯爵の時代は通行税が高く、海の魚は富裕層の食べ物だった。


「わぁ、凄いね~」

「俺にとっては見慣れた光景になりつつあるけどな」


 コールは手際よく露店を組み立てる。

 露店は木製の骨組みに布製の屋根を張っただけの簡素な物だ。

 他に木の板が何枚もある。

 端が凹凸になっているので、組み合わせて陳列棚として使うのだろう。


「ホントに凄いよ」


 ティナは溜息交じりに言った。

 広場の様子は二つの意味で驚きだった。

 一つは自分の領地とあまりに違うため、もう一つはかつてのハマル子爵領を知るためだった。

 昨日、抱いた印象は見当違いだった。

 朽ちる日を待つ廃墟なんて、とんでもない。

 これからも成長できる、もっと発展できる、と街が訴えているような光景だった。


「どうしてかな?」

「そりゃ、商品の仕入れ先があって、安全に旅ができて、通行税もいらねぇ。おまけに出店の手続きも楽とくりゃ、どんなヤツだって集まってくるだろ」


 コールは手を休め、リノルの広場が賑わっている理由を指折り数えた。

 ティナは恥ずかしさのあまり俯いた。

 領主である自分が一介の行商人さえ理解していることに気付けなかったのだ。


「それにしても通行税をなくすなんて、ハマル子爵は思いきったことをするよね」

「それだけ必死だったんだろ?」

「必死?」


 ティナは首を傾げた。


「あの頃……一年半くらい前か? まあ、とにかくカド伯爵領に港ができたばかりの頃は色々あったんだよ。だから、ハマル子爵は流れに取り残されないように必死だったんじゃねーのかな、って」

「色々って?」


 コールはあまり邪魔をするなよと言いたげな目でティナを睨んだ。


「シナー貿易組合ができたり、大手の商会がそれまで使っていた交易路を使わなくなったり、行商人の組合ができたり……まあ、色々だ」

「そうなんだ」


 本当に凄い、とティナは心の中でハマル子爵を賞賛する。

 ハマル子爵は自分の領地を通る商人が減ったことに気付き、すぐに手を打った。

 だからこそ、リノルの街はこれほど賑わっているのだろう。

 あれ? とティナは首を傾げた。

 ハマル子爵は自分の領地を通る商人の数が減っていることに気付いた。

 では、何故、父は対策を講じなかったのか。

 少なくとも、死んだ父が何かをした様子はなかった。


「おい、ハマル子爵の屋敷に用があるんだろ?」

「ん? うん、そうだった」


 ティナは疑問を棚上げし、ハマル子爵の屋敷に向かった。



 白亜の館が視線の先にある。

 庭の木々は葉を落としているが、そんな状態でも庭師の丁寧な仕事ぶりとハマル子爵が庭に何を求めているのかが伝わってくるようだった。

 ティナは門の前に立ち、安堵の息を吐いた。

 途中で叔父の妨害にあったが、コールのお陰で無事に辿り着くことができた。

 コールにお礼をしなければなりませんね。

 いえ、その前に身分を偽っていたことを明かさなければ、とティナは笑った。

 コールが怒る可能性もあるが、慌てふためいている姿を想像して笑ってしまったのだ。


「……お前さん、お屋敷に何の用かの?」


 声のした方を見ると、老人が立っていた。

 かなり高齢なのだろう。

 腰は曲がり、髪と髭は黄色味がかった白だ。

 服は泥で汚れているが、汚らしい印象はない。

 屋敷の使用人が様子を見に来たのだろう。


「お前さん、お屋敷に何の用かの?」


 老人は同じ質問を繰り返した。

 眼差しは鋭いが、それだけではない。

 可哀想な子を見るような光が宿っていた。


「……お前さん」

「あ、すみません。わた……ボクはシェラタン子爵の使いで」


 ティナは老人の言葉を遮り、書簡を差し出した。

 荷物は盗まれたが、護身用の短剣と書簡だけは自分で持っていたのだ。

 もっとも、この書簡は予備だ。

 何事もなければ囮として先に出発した使用人が同じ内容の書簡を届けているはずだ。


「ワシが奥様に届けよう」

「あ、あの、前ハマル子爵に……何でもないです」


 ティナは老人に睨み付けられて俯いた。

 正直、前ハマル子爵夫人は苦手だ。

 前ハマル子爵は穏やかな気性の持ち主なのだが、夫人は気性が激しいのだ。

 老人は書簡を受け取ると、屋敷に向かって歩き出した。


「けど、これで終わりです」


 前ハマル子爵が後ろ盾になると明言してくれれば、現当主……第五近衛騎士団団長であるブラッドもティナを無碍に扱えないだろう。

 ティナは明るい未来を夢想して笑みを浮かべた。



「……あれ? おかしいな? 夕陽が見える」


 おかしいな、おかしいよ、とティナは目を擦ったが、夕陽は消えない。

 当然だ。

 老人と別れてから何時間も経っているのだ。

 太陽はいつもと同じように動いていた。

 おかしなことは何も起きていない。


「……待たせて済まなかったのぅ」

「いえいえ、全然! 待っていません!」

「随分、待たせたはずじゃが?」


 ティナが振り向いて言うと、老人は面食らったような表情を浮かべた。


「で、どうでしたか?」

「うむ、奥様から手紙を預かってきた」


 老人は二つに折られた紙をティナに渡すと、屋敷に戻っていった。

 ティナは慌てて紙を開き、文章を読んだ。


「『主人はエラキス侯爵領に行ってますの』……酷すぎますぅぅぅ!」


 ティナはその場で泣き崩れた。

 あんまりな対応だった。

 何時間も待たせたことも酷ければ、貴族同士の遣り取りで紙を使うのも酷い。


「あ~、その様子だと、目的を達成できなかったみたいだな」


 顔を上げると、コールが気まずそうな表情を浮かべて立っていた。


「コール、心配で見に来てくれたの?」

「ばっ、そんなんじゃねーよ」


 コールは顔を真っ赤にして否定した。


「そう、そうだよね。コールには仕事があるもんね」

「……」


 ティナが涙を堪えて笑うと、コールは苛立ったように髪を掻き毟った。


「心配で見に来たんだよ! だから、そんな顔するな!」


 コールは大声で言って、ティナから紙を奪った。


「……エラキス侯爵領か」


 コールは渋い顔をした。


「仕方がねーな。エラキス侯爵領まで送り届けてやるよ」

「良いの?」

「放って置いたら、殺されそうだしな」


 ティナは項垂れるしかなかった。



 翌日の早朝、ティナとコールはリノルの街を出発した。

 途中で馬を休ませ、二人で食事を摂った。

 固いパンと干し肉、生温い水というメニューだったが、不思議と美味しく感じられた。

 ハシェルに到着したのはその日の夕方だった。


「あ~、こりゃ、待たされるな」

「どうかしたの?」

「見たまんまだよ」


 ティナは荷台から身を乗り出し、コールの言葉の意味を理解した。

 人と馬車の列が城門まで伸びていたのだ。

 トラブルでもあったのか、十人近い兵士が列を監視している。


「待つしかないね」

「そうも言ってられねーだろ。ちょっと、待ってろ。商人の業を見せてやる」


 コールは馬車から降りると、やや離れた所に立っている兵士に近づいていった。

 立派な大剣を背負った虎の獣人だ。

 どうやら、コールは装備を見て、虎の獣人が現場責任者だと判断したらしい。

 コールは揉み手で虎の獣人に近づき、親しげに話し掛けた。

 どんな話をしているのか分からないが、虎の獣人は迷惑そうだ。

 コールは親しげに馴れ馴れしく虎の獣人に触れた。

 次の瞬間、虎の獣人はコールの腕を捻り上げた。

 ティナは咄嗟に逃げようとしたが、できなかった。

 逃げようと身動ぎした瞬間、矢が御者席に突き立ったからだ。


「コ、コール、何をしたの?」


 ティナは涙目で両手を挙げた。

 槍を構えた兵士がじりじりと距離を詰めてきていた。



 ティナとコールは城門のすぐ近くにある兵士の詰め所に連行された。

 詰め所は頑丈そうな煉瓦造りの建物だった。

 外観は縦長の直方体……一階の奥に階段があるので、少なくとも二階建てのようだ。

 兵士が行き来している点から察するに二階は休憩所にでもなっているのだろう。

 詰め所の二階がどうなっているのか確かめる術はないが、一階の用途はよく分かった。

 一階は取調室を兼ねている。

 一階の中央にはテーブルが置かれ、奥には机、通りに面した壁際にはイスが置かれている。

 コールとエルフの女はテーブルを挟んで向かい合っている。

 奥の机に向かっているのもエルフの女だ。

 ティナは壁際のイスに座らされていた。

 コールは憔悴しきったように項垂れている。

 相手がエルフの女だけならば、ここまで憔悴しなかったかも知れない。

 だが、エルフの女の背後にはミノタウルスとリザードマンが立っていた。

 二人とも歴戦の兵士然とした雰囲気を漂わせている。

 まあ、そんな雰囲気がなくても、彼らの丸太のような腕を見れば大抵の相手は萎縮するだろう。

 机に向かっているエルフは調書を取っている。

 信じられないことにエルフが文字を書いているのだ。

 エルフ……亜人は人間よりも劣った存在と教わってきた。

 人間でも読み書きできる者は限られているのに、このエルフはどのようにして字を書けるようになったのか。

 疑問は尽きないが、今は取調中だ。

 ティナは壁際のイスに座り、取調を受けるコールを見つめることしかできない。

 コツ、コツという音が響く。

 エルフの女が指先で机を叩いているのだ。


「もう一度、聞くけど……なんで、賄賂を渡そうとしたみたいな?」


 エルフの女は不機嫌そうな声音でコールに尋ねた。

 ちなみに賄賂とはコールが言っていた『商人の業』のことである。


「あ、え~、す、すみません。ツレに格好良い所を見せようとして調子に乗りました」


 コールは今にも泣き出しそうな声で答えた。

 演技ではない。

 もう演技をするという段階は通り過ぎた。

 この遣り取りはすでに何十回も行われているのだ。

 最初はコールにも虚勢を張る余裕があったのだが、強がり、上っ面だけの反省、逆ギレ、拗ねという過程を経て、とうとう心を折られた。

 あんなに頼もしく見えたコールが今は小さく見える。

 ふぅ、とエルフの女はわざとらしく溜息を吐いた。


「じゃ、もう一回、聞くけど、賄賂を渡そうとした理由は?」

「すみません」


 コールは頭を垂れ、謝るばかりだ。


「……ごめんで済んだら」

「ああ、誰かと思えばコール君じゃないですか」


 エルフの女が柳眉を逆立てた次の瞬間、場違いなほど穏やかな声が詰め所に響いた。

 声のした方を見ると、穏やかな笑みを浮かべた男が立っていた。

 年齢は五十を越えたくらいだろうか。

 地味ながらも仕立ての良い服を着ている。


「ニコラさんの知り合い、みたいな?」

「はい、行商人組合とはそれなりに良い関係を築いていますから。その、コール君が何かしたのでしょうか?」


 ニコラと呼ばれた男は遠慮がちに言った。


「タイガに賄賂を渡そうとしたみたいな」

「ああ、それは」


 ニコラは顔を顰めた。


「もう良いから、引き取ってみたいな。荷馬車の方も後で取りに来て欲しいみたいな。ついでにロバも」

「はい、コール君……それと、貴方も行きましょう」


 ニコラは労るようにコールの肩に触れる。

 すると、コールは立ち上がり、フラフラと歩き出した。

 ティナは慌ててコールの後を追う。

 ニコラも一緒だ。

 コールに追いつき、三人で道なりに進む。


「コール君、今回は初犯だから大目に見て貰えましたが、クロノ様の領地で賄賂は御法度です」

「あれで、ですか?」


 ニコラは苦笑いを浮かべた。


「あれは周囲に対する警告を兼ねていたのでしょう」

「な、何だって! ってことはアレか、俺は晒し者にされたのか!」


 元気を取り戻したコールは振り返り、詰め所の方を睨んだ。


「アリデッドさんとデネブさんは自分の仕事をしただけです。あの二人を恨むのは筋違いというものです」

「そ、それはそうだけど」


 コールは口籠もった。

 理屈として正しいのは分かるが、感情が追いついていないと言った所だろうか。

 ニコラは立ち止まり、詰め所の方を見つめた。


「……昔、この辺りはとても治安が悪かったんですよ」

「あ、まあ、それくらいは」


 コールは歯切れが悪い。


「クロノ様が領主になってから、この辺りの治安はかなり改善されましたが、それは一朝一夕に達成されたものではありません」


 ニコラの口調は穏やかだった。


「俺が連中の努力を台無しにする所だった、ってことだろ?」

「いいえ、それだけではありません。今回、コール君は幾つもの過ちを犯しています。少なくともコール君の経歴に傷がついたのは間違いないでしょう」


 うぐっ、とコールは呻いた。


「コール君、『あの場』にいた貴方ならば分かると思いますが、私達も努力をしなければなりません」

「分かって、ます」


 ニコラは自嘲的な笑みを浮かべた。

 もしかしたら、ニコラも若い頃にコールと同じ失敗をしたのかも知れない。


「コール君、今夜の宿は決まっているのですか?」

「いえ、まだ」

「良ければ私の方で手配しますよ」


 コールはティナとニコラを交互に見つめ、


「よろしくお願いします」


 と頭を下げた。



 はぁぁぁぁ、とティナは長い溜息を吐いて、ベッドに倒れ込んだ。

 上品さに欠けると思うが、咎める者はいない。

 きっと、隣の部屋にいるコールもベッドに倒れ込んでいるはずだ。

 高圧的な態度で何時間も責められたのだ。

 エルフが文字を書けるなんて、と思う。

 亜人が人間より劣っているかは別として、教養の本質は余裕だ。

 衣食住を確保した上で時間的、金銭的に余裕のある者だけが教養を身に付けられる。

 仰向けになると、照明用のマジック・アイテムが白い光を放っていた。


「……宿にマジック・アイテム」


 ティナは小さく呟いた。

 ニコラが手配してくれた宿は街の中心付近にあった。

 厩舎と車両を置くスペースはない。

 宿のグレードはコールと泊まったそれよりも下……ではないのかも知れないが、照明用のマジック・アイテムが宿に設置されている。

 照明用のマジック・アイテムは比較的安価だが、金貨十枚はする。

 あくまでマジック・アイテムの中で安い部類に属するというだけなのだ。

 これも余裕の表れだろうか。


「……クロノ」


 初めてその名を耳にしたのは二年前の舞踏会だ。

 殺戮者スローターの二つ名を持つクロード・クロフォード男爵の一人息子。

 前エラキス侯爵に横領の罪を着せたとも噂されていた。

 後ろ盾として申し分ないが、あまりお近づきになりたくないタイプだ。


「少し会うくらいなら」


 ティナはゆっくりと目を閉じた。

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